第73話「虐殺呪文」

 凄腕ジャーナリスト、葛城令太郎は、学生時代の後輩に呼び出されて居酒屋の個室にいた。

 後輩は人間の脳を研究している男。

 眼鏡をかけた細面のインテリだ。ひどく思いつめた様子だった。


「……失礼、まず、調べさせてください」


 後輩は青い顔でテーブルの下に潜り込んで、ゴソゴソと何かを調べている。


「なにやってんだ?」

「よし、大丈夫そうですね。……盗聴器を探したんです」

「どうして盗聴の心配なんか? まあ、いまの政府なら、やるかもな……」


 この国、J国は国民への統制を強めている。政治活動や言論の自由は大幅に制限され、先月は反政府活動家がまとめて検挙された。

 となりの軍事独裁国家・C国に対抗するために国内を引き締める、という名目だが……


「でしょう? いまの政府はおかしい。先輩だってそう思うから、ジャーナリストとして政府を批判してるんでしょう?

 ぜひ先輩の力を借りたいんです。政府の恐ろしい企みを打ち砕きたいんです」


 ビールが運ばれてきたが、後輩は口もつけずに話を続けた。


「……僕は軍から依頼を受け、『虐殺の文法』を研究しました。正確には僕一人じゃなくて、プロジェクトチームですが」

「虐殺の文法? 何だそれ?」

「『虐殺器官』というSF小説に出てくるものです。要するに、『人間の脳にはバグがある。ある特定の文章を入力されるとおかしくなって、殺し合いを始めてしまう』というのが『虐殺の文法』です」

「SFの話だろ? 現実にあり得るのか?」

「もしあったなら、恐るべき兵器になります。『文章』は低コストで複製してバラまけるからです。研究の結果、『虐殺の文法』はないけど、『虐殺の呪文』はあることが判明しました」

「どう違うんだ?」

「人間全員に通用する『文法』は無いけど、一人ひとり専用の『呪文』は実在するんです。

 人間の脳はコンピュータみたいに大量生産された物じゃないから、神経細胞の繋がり方は全員違う。その繋がり方を解析して、ある特定のソフトウェアに入れると、その人間専用の虐殺呪文ができます。呪文を入力された人間は死んでしまうんです」

「すごいけど、戦争に使うことはできないな。敵兵の脳を全員分析するなんて、できるわけがない」

「敵には無理ですが、自分の国の国民相手ならできます。

 最近、うちの政府が福祉政策に力を入れてるでしょ? 『人間ドックの無料化で、健康寿命を伸ばそう』」

「うん。やってるな。福祉強化と言論規制。アメとムチってやつだ」

「その福祉政策は、国民の脳データを手に入れるのが目的でやってるんです。

 国民全員の脳データを手に入れれば、国民全員の虐殺呪文ができる。国は、都合の悪いやつをいつでも抹殺できる。究極の独裁体制です」


 後輩はビールをやっと持ち上げたが、飲まずにテーブルに叩きつけた。 


「先輩には、ぜひ、この恐ろしい陰謀を報道してほしい。先輩はヤクザにも大企業にも屈しないで活動してきた。きっと先輩ならできる」


 書類のぎっしり入った袋と、一枚の光ディスクを取り出した。


「全ての証拠がそろってます」


 令太郎は重々しくうなずいた。


「わかった。命をかける甲斐のある仕事だ」


 ☆


 居酒屋を出て、人通りの少ない路地を帰る。


「頼みました」

「ああ」


 その時、背後から、ギラリとヘッドライトの光が迫る。

 ……スクーターが突進してくる!

 ぶつかる、と思った瞬間、運転者が手を伸ばしてきた。

 令太郎が今受け取ったばかりの書類袋に向かって。

 とっさに全力で体当りした。重い衝撃、スクーターが吹っ飛ぶ。ガラスとプラスチックの破片が四散する。

 運転者はきれいに着地して立ち上がる。ナイフを抜いて、ためらいなく襲いかかってくる。


「そいつ、研究所の人間です!」

「ジャーナリストを殺して黙らせようってのかよ!? うちの国やべえな!」


 スクーターの男がナイフを振り回す。令太郎はカバンを盾にして必死にさばく。

 ジリジリと後退し、背中が店のシャッターにガチャンとぶつかった。


「援護! 援護してくれ!」

 

 令太郎は叫ぶ。後輩は昔から勉強一筋で、喧嘩などできない男だと分かっているが……


「はゆりんば、とるるまじ、くみなた、ゆすかり!」


 友人は援護してくれた。意味不明な言葉を叫んだのだ。

 反応は劇的だった。

 ナイフの男の顔が歪んだ。ありえないほどに口を開き、目玉をひん剥き……


「がっ、がっ、ぐヴぉらああ!」


 奇怪なうめき声をあげ、手足、腹、胸、体じゅうの筋肉が痙攣した。

 バキバキバキ……自らの筋力で骨が破壊されていく。

 その場に倒れた。

 生気が抜け落ち、死体と化したのがわかった。


「死んだ……これが『虐殺呪文』の力か……なるほど、研究所のメンバーはみんな脳を解析してるから、『虐殺呪文』がわかるんだな?」

「そういうことです。人が死んだのに、落ち着いてますね……」

「落ち着いてなんかいないさ。激怒してるんだよ、この国のやり口に。

 ただ報道するだけじゃダメだ。この国の体制をブッ潰すしかない!」


 ☆


 命を狙われているならば、普通に家に帰るわけもいかない。

 令太郎と後輩は二人で、路地裏にある汚いアパートに来た。


「ここはなんですか」

「俺が使っている拠点の1つ。セーフハウスみたいな……ここなら役所の記録調べてもわからないだろ」


 アパートの中はソファとパソコンだけで生活感がない。 


「まず、どうやって世論を動かすか、だ」

「資料は守れました。これを公開するだけでは駄目なんですか?」

「専門的すぎる。その資料が本当かどうかも普通の国民にはわからないだろ。呪文で人間を殺すなんてリアリティがない。漫画の読みすぎだと思われるよ」

「じゃあ、一体どうやって……?」

「実際に『虐殺呪文』で人を殺せば最高の証明になる」

「無理です、言ったでしょう。人間の脳はひとりひとり違うから、詳細な検査を行わないと呪文を確定できないんですよ」

「できる。お前は脳だけじゃなくてコンピュータにも詳しいだろ、プログラムもできるはず」

「まあ多少は」

「だから、『デタラメな言葉を無限に発生させるプログラム』を作るんだ。デタラメを何万何億と作れば、どれかが偶然、『虐殺呪文』になって、画面見てる奴が死ぬ。

 そういうプログラムを国民の間にバラまいてくれ」

「そんなにうまく行くもんですか? 確率論的にあり得ないような……」

「特定の一人を狙ってるわけじゃない。誰かが引っかかれば良いんだ。

 じゃあ頼んだ。俺は反政府組織を作らなきゃいけない。誰か一人でも死んだら、それを利用して、政府への怒りを盛り上げ、実際に打倒するまでつなげる」


 ☆

 

 「呪いのウェブサイト」がネット上にいくつも生まれた。

 おどろおどろしい音楽にのせて、意味不明な文字列が画面を流れていくだけの代物。

 「この呪文を聞き終えれば、あなたは死ぬ」


 最初は見向きもされなかったが、改良が進み、アニメ動画や美少女キャラクターと組み合わせたものが公開されて、しだいに注目を集めていった。

 パソコンやスマートホンにダウンロードさせれば「呪文」を生み出すことができるというアプリも開発された。


 こうして、何百万、何億という「呪文」がバラまかれ……

 最初に「呪文」の餌食になったのは、電車の中でスマホ片手に動画を見ていた高校生だった。

 のたうち回って絶命する高校生を、他の乗客たちが呆然と見ていた。


 次は、生配信中のユーチューバーだった。


「呪いのサイトとか言ってるけど、実際にはこんなの、嘘に決まって……」


 それが彼の最期の言葉になった。


 二人の人間が死ぬや否や、凄腕ジャーナリスト・令太郎は行動を開始した。


「これは政府による恐ろしい陰謀だ!

 人間の脳には、バグがあり、ある特定の呪文を入力すれば殺すことができる!

 政府は俺たち国民の脳を調べ上げて呪文を知ろうとしている! 俺たちをみんな殺す気なんだ! 許せないだろう! 立ち上がれ!」


 令太郎の呼びかけは多くの人に届いた。


「政府、許せん!」「戦うぞ!」


 奇跡のようにうまくいった。反政府組織はどんどん大きくなっていき、やがて武装蜂起した。


 ☆


 首都のあちこちで市街戦が行われ、炎が立ち上っていた。

 首相官邸の前では、令太郎ひきいる反政府組織と、政府側部隊がぶつかり合っていた。


「こちらは劣勢です! 奪った銃があると言っても、火力の差は大きい!」


 令太郎はバリケードの陰に伏せて敵の攻撃に耐えながら、部下の報告を受けていた。


「もうすぐ秘密兵器が投入される!」


 令太郎には秘策があった。後輩が開発した、虐殺呪文を使った兵器だ。


「見ろ、あれだ!」


 ヘリコプターが飛んできた。反政府組織のシンボルである白い斜めのラインがある。味方のヘリだ。

 大量の何かをバラバラと落とした。

 紙切れに見えた。


「なんだ、ただのビラか……」

「『呪文』の書かれたビラだ」


 敵兵の顔面に、風で飛ばされたビラが張り付く。

 次の瞬間、敵兵は全身を痙攣させて死んだ。

 次々に死者が出ていく。


 さらに、もう一機ヘリコプターが飛んできて、空中に文字を投映する。

 これも、ひらがなの「呪文」。

 呪文を見た政府側部隊が、一人また一人と死んでいく。

 政府側部隊の銃撃が弱まった。明らかにパニックに陥っている。

 当然だろう、ランダムな文字列では、よほどの偶然がない限り効果を発揮しない。死者が続々と出るはずがない。ありえないことが起こっている。

 政府側部隊はこう思って、恐怖に駆られているはずだった。


(まさか敵は、俺たちの脳を完全解析しているのか?)

(俺たち全員ぶんの呪文を知っていて、いつでも殺せるのか?)


「いまだ、突撃!」


 令太郎の叫びに呼応して、反政府組織は一斉にバリケードから飛び出す。

 銃撃を浴びて何人かが死ぬが、政府側の死者はもっと大きかった。


「降伏! 降伏する!」


 白い布を振り回して政府側部隊リーダーが出てくる。


「よしわかった。首相官邸の中を案内しろ」


 こうして令太郎たちは首相官邸に突入し、みごと政府を瓦解させた。


 部下は不思議そうな顔で聞いてくる


「それにしても、なぜ『呪文』が効いたんでしょう? 政府の奴らの脳データを入手したんですか?」

「いいや、そんなのは無理だった」

「だったらどうして……?」

「簡単さ。俺たちがたくさん作った『呪いのサイト』に秘密がある。あれは、ランダムに呪文を出すだけの代物じゃない。

 ランダムに呪文を出して、出した呪文を記録する機能があるんだ。

 ある呪文を出して人が死ななかったら『その呪文はハズレ』というデータが取れる。長く使えば使うほど、ハズレ呪文のデータが蓄積されていく。

 つまり、呪文を生成するときに完全なランダムでなく、『ハズレ呪文を除外したランダム』を出せる。どんどん有効率が高くなっていく……

 脳データは、もう要らないんだ」

「なるほど、そういうことだったのですか……」


 首相執務室の前まで来て、令太郎は言う。


「ここから先は一人にしてくれ」

「えっ……」


 令太郎は一人で執務室に入り、パソコン立ち上げる。

 そして、海外のサーバーを経由して、隣国C国の秘密情報部のコンピュータにアクセスする。


 複雑なパスワードを求められたが、迷いなく入力。

 パソコンのカメラに目を近づけ、網膜パターン認証を突破。


 音声通話回線が開かれた。


「工作員61号、作戦成功しました。政府の中枢を押さえ、また国防軍の殺害手段を持っています」


 回線の向こうにいる男……C国の情報部長は、満足げなため息をついた。


「良くやった。国防軍の動きは止められるんだな? 掌握済みだな?」

「はい、問題ありません」

「分かった。ただちに軍事侵攻を開始する」


 そこまで会話が進んだとき、背後にわずかな気配。

 振り向くと、後輩が拳銃を構え、蒼白な顔で立っていた。


「せ、先輩……まさか……C国と内通して……ウソでしょう? ウソだと言ってくれ……」


 令太郎は一瞬の躊躇もなく拳銃を抜き撃ち、後輩の拳銃を吹き飛ばした。


「そうさ、俺はC国のスパイだったんだよ。『虐殺呪文』を利用して、この国を瓦解させる、まさかこんなに上手く行くとはな」

「決して許されはしないぞ! 国民は、この国が独裁体制になるのが嫌だから協力したんだ。もっと独裁的なC国に支配されるなんて……

 今度はあんたが民衆に倒される番なんだ!」

「それはどうかな?」


 ドアが開き、銃を持った反政府組織メンバーが突入してきた。

 銃を……令太郎ではなく、後輩に向ける。


「偉大な指導者、葛城礼太郎閣下に仇なす者め!」

「なんで……こんなことが……?」


 驚愕に目を見開く後輩に、令太郎はニヤリと笑った。


「洗脳呪文の効果だね」

「洗脳……呪文!?」

「わがC国も長年、脳の研究をやっていたんだ。この国と違って『虐殺呪文』は発見できなかったけど、『洗脳呪文』とでも言うべきものを発見した。

 人間がどうやって物事を信じ、疑うのか、真偽を判断するとき脳はどう働いているのか。それを解明して、『疑う力を弱らせる呪文』が開発された。

 絶対になんでも信じさせるわけじゃないが、情報の与え方を工夫することでかなりの洗脳効果が期待できる」

「じゃあ……反政府組織を作れたのも、国民みんなが虐殺呪文のことを信じたのも、みんな洗脳呪文の力……?」

「そういうことさ。俺は洗脳呪文のエキスパートとして、この国に送り込まれてきたんだよ。

 俺の国の呪文も、なかなかのものだろ?」



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