第72話「恋愛マリオネット」
これで何度目だろう? トモヒコの両親が病室に押しかけてきた。
「トモヒコ、私はあんたのためを思って言ってるの!」
「俺も同感だ。その女のことはもう諦めろ」
トモヒコは追い返した。
「出て行ってくれ! 僕はカナを待ってる! ずっと好きなんだ! 奇跡を信じてる!」
再び静かになった病室。
トモヒコは、チューブにつながれて眠る若い娘を、じっと見る。
松島カナ。トモヒコの妻だ。
小柄でほっそりとした体型。透き通るような白い肌。
名匠の作り上げた人形のような、おそろしく整った顔立ち。
髪は短く刈られ、頭には痛々しい手術痕。
もう半年、目を開けたことはない。
だがトモヒコは知っている。
彼女の髪は長く伸ばすと、とても艶やかで、柔らかいのだと。
彼女の瞳は、深い知性の輝きをたたえているのだと。
小学校で子供たちを優しく教える、素晴らしい女性だったと。
「カナ……」
あんなに愛し合って、結婚した直後。
突然の交通事故が、すべてを壊した。
カナの両親と兄弟がこの世を去った。そしてカナも、脳が大きく傷ついて、ずっと昏睡している。
億単位の保険金が入ったが、なんの慰めにもなりはしない。
医者も、一度はサジを投げた。
奇跡でもない限り目を覚ますことはないと。
でも、トモヒコは信じ続けた。
奇跡はきっと起こる。起こして見せる。
カナとはずっと一緒にいるんだって誓ったから。
仕事を辞めてまで、病院に通いつめた。
そんな光景を、もしかすると医者が哀れんだのか、こう言ったのだ。
……たった一つだけ助かる可能性があります。
考案されたばかりで、安全性も立証されていない、今の段階では正当な医学とも言えない。
補助コンピュータをカナの脳内に入れて、脳の欠損した部分をサポートさせる方法だ。
トモヒコはその話に飛びついた。
つい先日、補助コンピュータを埋めこんだ。
どれほど長く、カナの手を握り締めていたのか。
ふと。
ぐっ……弱々しく握り返してきた。
トモヒコの心臓が高鳴る。
……まだだ。まだ決まったわけじゃない。脳が機能していなくても、単純な反射行動で握り返してくることがある。
握り返す力が、次第に強くなっていく。
いままで、こんなことはなかった!
カナが眠りについてから半年で、たったの一度も!
ぶる……カナがわずかに震え、身をよじった。そして、ゆっくりと瞼を開けたのだ。
「か……カナ……?」
トモヒコの声はかすれていた。信じてはいた。だが、それでも……夢じゃないだろうか……
カナは瞬きして、はっきりと意志のこもった瞳で、トモヒコを見つめてきた。
「カナ! カナ! 気が付いたのか! 僕がわかるか!?」
「もちろんよ、トモヒコ。……わたし、どうしたの? ここは病院……?」
体をよじり、あたりを見回そうとして、顔をしかめる。
「……体に力が入らない……」
「無理しなくていい! いま先生を呼んでくる! 誰か! 誰か来てくれ!! カナが目を覚ましたんだ!!」
すぐに看護師と医師が駆けつけた。全員が驚愕の表情。大騒ぎになった。
☆
それからしばらく、カナはリハビリを続けた。
最初はベッドから立ち上がることもできなかったが、順調に運動機能を回復していった。
言語機能と記憶は、まったく問題なく、リハビリの必要すらなかった。
トモヒコは毎日、病院を訪れてリハビリを応援した。
「早く治って、トモヒコと一緒に、家に帰る!」
「待ってるよ! 僕も再就職がんばらないと!」
二人は笑顔で言葉を交わす。
だが、なぜか医者の表情は硬かった。
カナが回復するにしたがって、医者はどんどん重苦しい表情になっていった。
ある日、トモヒコは医者に呼び出された。
医者は葬式のようなこわばった顔で、話し始めた。
「落ち着いて聞いてください。
実は……治療は成功ではなかったんですよ。死んでいるんです、松島カナさんは」
「何を言ってるんですか? カナは元気じゃないですか。今日なんて、階段まで登れるようになって。退院はいつですか?」
「違うんです。……いや、これを見せた方が早いかな」
医者はノートパソコンの画面を見せてきた。マウスをカチカチとクリック。
頭の断面図が表示された。頭蓋骨の中は真っ黒で、細長い板だけがある。
「これが、松島カナさんの頭部CTです」
「えっ……これじゃまるで、脳が無いように見えるんですが」
「実際に脳が無いんですよ。もう一枚、手術前のCTを見てください」
今度は、頭蓋骨の中に白い脳が収まっている。だが大きな黒い穴のようなものが開いていた。
「この黒い穴が損傷部分です。手術前の時点では、大きな損傷があって意識障害を起こしていたものの、脳組織の八割は残っていました。
ところが、脳を補助するためのコンピュータを入れた途端、急激に脳組織の崩壊が起こったんです。いまでは、脳幹という、ごく原始的な……呼吸をつかさどる部分まで含めて、綺麗さっぱり消えています」
「じゃあ、なんでカナは生きて、喋ってるんですか。脳がないのに喋れるわけないでしょう!?」
「……補助コンピュータが、脳の全ての機能を代替しているからだ。としか言いようがありません。
我々の推測はこうです。
補助コンピュータは、予想以上に素晴らしい機能を発揮した。脳を完全に解析して、松島カナさんが持っていた知性、人格や感情まで、完全に学習した。もともとの脳は不要になったから消滅した。
……こんな例は世界を見渡しても聞いたことがないのです。
予見は不可能であり、医療ミスではない、と認識しています。
しかし、お気の毒です」
医師は眉間に深いシワを刻んだまま、言葉を続けた。
頭がクラクラして、口の中が乾き、まともに喋ることができない。こう言うのがやっとだった。
「な……治すことは……できるんですよね?」
「残念ながら不可能と思われます。ただでさえ脳組織を再生するのは非常に困難なのに、跡形もなく消えたものをどうやって治すのか……
……それ以前に重要な問題として、病院に入院させておく理由もなくなりました。
松島カナさんは法律上、完全に死んでいます。遺体をコンピュータが操っている、マリオネットなんです。
病院は傷病者を回復させるための場所です。死んだ人間のために存在しているわけではありません。これ以上病院に置いておけないんですよ」
「出て行けって言うんですか」
「そこで提案です。補助コンピュータを開発した企業が、強い関心を示しています。他にも、複数の研究施設からオファーが来ています。
彼女を研究所に送りませんか。そうすれば彼女の治療費を負担する必要もなく……」
「冗談じゃない! カナを実験台にするんですか、モルモットみたいに! バラバラにして顕微鏡で見るんですか!
できるわけがない、彼女は退院させます。僕が引き取ります」
「お気持ちはわかるんですが……」
「わかってないでしょう!」
ドアをガンと閉めて部屋を飛び出し、彼女の病室に向かう。
「いますぐ病院を出るよ! 僕たちの家に帰るんだ!」
そう叫んで抱きしめた。
腕の中で、カナのか細い体が震え、意を決したように、抱きしめ返してくれた。
「……こわい。でも、うれしい」
……そうさ。愛おしい人が、死体であるはずがない。
☆
家は、狭いがおしゃれなアパートだ。いつでも帰ってこれるように整理整頓されていた。
「これ、私の……」
彼女が、壁にかかっている服を指さした。クリーニング屋のビニールに包まれた、小さい体格用の背広。
「そう、君が小学校で着ていた服。仕事にだって復帰できるよ」
「……ありがとう。お腹空いてない? お昼ごはん、食べてないでしょ?」
カナが手料理を作ってくれた。
「ひき肉の入ってる昭和風オムレツ! クラムチャウダースープをつけて、こんがり焼いたチーズトースト……トモヒコ、好きだったでしょ?」
ひとくち食べて、涙が溢れてきた。
「美味い! 事故の前と何も変わらない!」
「不安だったけど、体が覚えていたみたい」
と、その時、微笑んでいた彼女の顔が、急にこわばった。
「窓! 窓の外に! 誰かが!」
「えっ? ここは2階だよ?」
振り向いてみると、窓ガラスに張り付くように、若い男の顔が!
アパートにはしごをかけて登り、スマートフォンでこちらを撮っている!
とっさに窓を開け放つ。
「やべっ!」
若い男は慣れた様子で梯子を下りていく。
「誰だ!」
気づいた。
一人ではない。スマートフォンを持った青年たちが十人ほども、家を取り囲んでいた。
トモヒコは家から走り出て、怒声を叩きつけた。
「あんたたちは誰だ、何をやってるんだ」
「どーもー、こんばんわー。動画配信中でーす。『爆裂報道チャンネル』です。マスコミが触れない、世の中のヤバい真実を余すところなく報道しまーす」
「オレもでーす」「私もです」「ゾンビの嫁さん、出してくださいよ」
動画配信者たちは全員スマーフォンやライブカメラをかかげ、にやにや笑い。
「ゾンビって何のことだ!?」
「えー? とぼけたって無駄ですよ。全部知ってるんですから。あなたの嫁さんがもう死んでいて、頭に埋め込んだコンピュータで動いてる人形だってことは」
「世の中、口の軽い人間が多くてさー。病院にもいたわけ」
その時、カナが家から出てきた。
「ねえ、何の騒ぎ?」
「カナは家に入っていてくれ!」
トモヒコが反射的に叫んだが、もう遅い。青年はスマートフォンをカナに向ける。
「嬉しい出てきてくれたー。みなさん、この人がゾンビの奥さんです。頭にでっかい傷があって怖いっすねえ。
ゾンビって体とかどんな感じなのかな? 乳もんだら柔らかいのかな? いま試してみようと思いまーす」
トモヒコは両腕を広げて動画配信者の前に立ちはだかった。
「警察を呼ぶぞ!」
「呼んでみてくださいよー。あんたも一緒に捕まるよ?」
「なっ……?」
「だってあんたの嫁さん、死体だろ? 死体をコンピュータで無理やり動かしてるんだろ? 死体損壊罪になるじゃん。埋葬しないのも違法だよなあ?」
「やめろ! 死体死体って言うな!」
「ねえトモヒコ、私が死体ってどういうことなの?」
「奥さんに教えてねぇんだ? じゃあオレが教えるよ。あんたはとっくに死んでるんだ」
目を見開いて震えだすカナ。
「いい絵がとれましたー。へへへ」
「とにかく! 違法とかはどうだっていい! カナを傷つけるのは、苦しめるのはやめてくれ!」
そう叫んだが、動画配信者たちは去っていかない。
「この泣いているのがゾンビ嫁さんでーす」
「嘘泣きがうまいですね、人間そっくりにマネしてるんですねー」
……もういい! こいつらを全員、殴り飛ばしてでも追い返す!
トモヒコが決意を固めた時、タイヤをきしませて大型のRV車が走ってきた。
急ブレーキをかけ、青年たちを跳ね飛ばす寸前でやっと止まる。
次の瞬間、大型RV車から、ロボットが飛び降りた。
……メイドロボット!?
トモヒコは目を見張った。
そう、確かにメイドロボットだった。身長150センチ程度の小柄な少女が、スカートをふわりと翻す。
体の表面にプラスチックの光沢、関節に継ぎ目があり、明らかにロボットだ。
メイドロボットの両腕が変形し、銃口のようなものが出てきた。
「非殺傷弾による制圧を実行します。リラダン協会所有物を保護するための正当な行動です」
メイドロボットが冷たい声で告げる。
両腕の銃口からゴム弾が連射され、動画配信者たちをなぎ倒す。
「早くお乗りください」
メイドロボットに言われるがまま、クルマに乗り込む。
「間に合って良かった! 僕はリラダン協会の佐賀シンイチだ」
運転席の男は名乗ってクルマを発進させた。
「ありがとうございます。リラダン協会というのは? あの連中は何なんですか?」
すると後部座席で隣りに座っているカナが、袖をギュッと握りしめてきた。
「……それより……そんなことより……あの人たちの言っていたことは本当なの? 私がもう死んでいて、コンピュータで動いているとか」
不安にかすれた声だった。
嘘をついても誤魔化しきれないだろう。素直に話すことにした。
「医者はそう言ってる。君の頭に埋め込んだコンピュータが、脳のかわりになっているんだって。だから法律上、人間じゃないんだって……でも僕は、僕はそんなこと、信じて……」
運転席の男が、熱量のこもった声でさえぎった。
「いや、事実だ! 君たちにとってはショックかもしれないが、我々リラダン協会にとっては素晴らしいことだ」
「リラダン協会って何なんですか?」
そこまで言ったとき、クルマがカーブを曲がった。大きな西洋風の屋敷が見えてきた。
都内にこんな大邸宅、何億円するんだろうか……
と思ったら、クルマは大邸宅の門をくぐった。
「リラダン協会は『人間とロボットの恋愛、およびパートナーシップ』を推進する団体だ。サガ・ヒューマノイドテクノロジーって会社聞いたことあるかい?」
「はい、少しは。2足歩行ロボットを作ってる会社ですよね」
「僕の会社だ。僕は子供の時からずっとロボットが好きでね。どうして現実世界はアニメと違ってロボットに満ち溢れていないんだろうと、ずっと不満に思っていた。
巨大な戦闘用ロボットもいいが、特に好きなのが、人間に寄り添い、共に生きるロボットだ。
僕の夢を実現させたのがサガ・ヒューマノイノドテクノロジー社で、このメイドロボットのアイリちゃんというわけさ。
だけど法律は、人間とロボットが愛し合うことを認めてくれない。リラダン協会の活動も、あまり功を奏していない。
そんなところに現れたのが君だ。
松島カナさん! あなたは人間と全く同じ外見の、究極のロボットだ。
究極のロボットとして、僕たちの活動に加わってほしい。援助は惜しまない。
人間とロボットが愛を築けることを証明するんだ!」
トモヒコとカナは顔を見合わせた。
「カナはどう思う? 僕は抵抗ある。カナはロボットじゃなくて人間だ」
「私は、この人たちを頼ろうと思う。守ってもらえるなら……」
ふたりはリラダン協会から仕事や住まいを提供してもらうことになった。
☆
大きなホールの壇上に、トモヒコとカナは立っていた。
講演会だ。たくさんの人の視線が突き刺さってくる。
だが怖くない、何度もやっていることだし、隣にはカナがいるからだ。
「知り合ったときは中学の時でした。同じクラスで、他の子とうまく喋れない子がいて、その子がからかわれていたから、わたし、その子をかばったんです。
そしたら、私まで酷いイジメをうけるようになって。そのとき助けてくれたのがトモヒコさんだったんです」
「クラスの女子みんなが敵で、何をされても泣いたり逃げたりしなかった、カナの強さが格好良かった。だから助けたんです」
カナとトモヒコのふたりが交代で、いままでの人生を語る。
「……けっきょく、僕たち二人は結婚したんですが、最大の苦難はここでやってきました。
交通事故で、カナが脳に大きな損傷を負ったんです。
誰もが、もうカナのことは諦めろといいました。
でも、カナは戻ってきてくれたんです。
僕がずっとカナのそばにいて、帰りを待っていたからだと思います。
だから、奇跡は起こったんです。頭の中が機械になっても、そこには僕が知ってる通りのカナがいるんです。
手をつないだ時のぬくもりも、抱きしめた時の安らぎも、いままで紡いできた二人の思い出も、みんなカナの中にあるんです。
入れ物が機械に変わっただけです」
「だから私達、これからもずっと愛し合っています!」
☆
講演会が終わって、邸宅に戻る途中。
今日はトモヒコが車のハンドルを握っている。
「……今回の公演、反応がイマイチだったね……最初は『うおおおー!』みたいに喜んでもらえたのに」
「同じ話のしすぎかな?」
「トモヒコ、本当にわかってないの? 私たちの気持ちが伝わってるんだよ。いくら演技しても、この二人は本当は愛し合ってないって」
「何言ってるんだよ、僕たちは……」
「じゃあ、どうして? 今日もしないの?」
「いや、それは……」
トモヒコは口ごもった。
二人は最近、体を重ねていなかった。
トモヒコが、あれこれ理由をつけて嫌がるのだ。
「ちょっと僕の調子が悪いだけだよ」
「じゃあ、明日はきっと」
「うん、わかった」
そう約束したが、トモヒコは気が重かった。
裸になったカナを抱こうとすると、気持ちがスッと冷めるのだ。
頭ではわかっていても、カナそっくりの人形がそこに寝転んでいる、としか感じないのだ。
こんなことは絶対に口にできない。自分は一体どうなってしまったのか……
☆
次の日の夜、トモヒコは飲み屋で泥酔していた。
飲んでいる場合ではない。
早く帰ってカナとベッドを共にしなければいけない。
最愛の妻で、若く美しい肉体の持ち主。
それなのに、どうしても重苦しい義務に感じる。
そんな時、知らない女が声をかけてきた。
「ねえ、何か悩み事でもあるんでしょう?」
明るく染めた長い髪、豊満な体型。なまめかしい声。
ほっそりとしたお嬢様のカナとは正反対だ。
「いやな女がいるんでしょう? つきあいたくない女に、うんざりしているんでしょう?」
「そんなことはない、僕はずっと彼女を……」
とっさに答えたが、その次の言葉は言えなかった。女が抱きついてキスをしてきたからだ。
いやだ。そう思ったが、振り払えなかった。熟れた肉の柔らかさがトモヒコを包む。
「わたしが、そんな女のことは忘れさせてあげる」
なぜか逆らえなかった。心は嫌がっても、体の奥にある原始的な衝動がユキヒコを突き動かした。
トモヒコと女はホテルで交わった。
汗まみれになって抱き合う二人の姿を、隠しカメラがすべてとらえていた。
翌日、動画サイトにアップロードされた。
女は、動画配信者の雇った色仕掛け要員だったのだ。
☆
リラダン協会本部の会議室。
トモヒコは問い詰められていた。
佐賀シンイチ会長がテーブルを叩いて叫ぶ。
「一体どういう事なんだ!? ネットは凄まじい批判と嘲笑が渦巻いている。リラダン協会の評判は地に落ちた!」
「自分でも……わからないんだ……」
「あんたはカナさんを愛していたんじゃなかったのか。目が覚めないカナさんを半年も待っているくらい、強い絆があったんだろう? それをどうして!」
会長は殴りかかってきそうな形相だ。
それと比べてカナは怒ってはいなかった。
澄んだ悲しい瞳で見つめて、穏やかに問いかけてきた。
むかし学校のイジメに立ち向かったとき、決して声を荒げなかったように。
「ねえ、トモヒコ。私の何が駄目だったの?」
「わからない、わからないんだ……ただ、あの女と抱き合っているとき、『これが人間なのか』と思えた。
今の僕にとってカナは人間じゃないんだと思う。カナの手足が動かなくても、どんなに姿が変わっても良いと思ってた。でも、カナの頭の中身が機械になることは、僕はきっと耐えられなかった。
講演会で、みんなの前で、愛し合ってると言えば言うほど、それはウソだった。腹の底に無理がたまっていった。
すまない、カナ。本当にすまない……」
「……とにかく! 君のやったことはリラダン協会に対する最低の裏切りだ。君は即刻出て行ってもらう。
カナさんも、それでいいね? 彼の浮気を許す気はないね?」
「はい」
☆
追放されたトモヒコは、その足ですぐに病院を訪れた。
カナの主治医だった医者に会いに行ったのだ。
「僕の脳を調べてください!!」
「は?」
「先生は、カナの脳を研究するべきだって言ったでしょう。知り合いの研究所を紹介するって……
でも、調べるべきは僕の脳だったんです。
あんなに何年もカナのことが好きだったはずなのに。
カナは人間だ、愛してるんだと、言えば言うほど、体が裏切ってしまう、この脳みそ……
この差別意識がどうして生まれたのか、徹底的に調べてください!
僕にできることは、もう、それしか……」
言っているうちに涙がこぼれた。カナ相手に謝った時は、涙など流れなかったのに。
☆
そして数十年が過ぎた。
老人になったトモヒコは、訪問介護の訪れで目を覚ます。
車椅子に座って、介護ロボットに押されながら町を進む。
「今日は天気がよろしいですね」
「ああ。みんな幸せそうだ」
たくさんの家族、友人、恋人たちが歩いている。
人間とロボットの組み合わせが多い。
人間同士に見えても、実際には生体組織で作られたロボットかもしれない。
今では、人間とロボットが愛し合って結婚するのは当たり前になっている。
それだけでなく……
ふと思ったトモヒコは、介護ロボットに問いかけた。
「きみ、最初からロボットだったか?」
「おや、バレましたか。もとは人間で、この体に意識を転送して機械化したんです」
「やっぱり。微妙な癖があるからわかるよ」
人間とロボットは混ざり合った。
こんな世界を作ったのは、誰か?
カナとトモヒコの両方だ。
トモヒコが見上げると、ビルの壁に大きな看板があって、カナの顔がある。
真っ白な髪、深いしわが刻まれた老女だが、いまだにキリリと美しい。
リラダン協会会長として、いまも人間とロボットの融和に努める。
カナは「愛する人に裏切られた、悲しきロボット」という物語を背負って同情を集めた。
結果としてリラダン協会は、性質を変えつつも大きな組織になり、世界を変革した。
さらに、人間がロボットに拒絶反応を持つ原因が解明された。
子供のうちに薬を飲んで原因シナプスを休眠させれば、ロボットを差別しない人間になれる。
トモヒコの脳を調べた意味はあったのだ。
「……だけど、僕は飲まない」
介護ロボットに聞こえない小さな声で、トモヒコはつぶやく。
「そっちの世界に行く資格が、垣根を越えて愛し合う資格が、僕にはないから……」
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