第67話「夢幻装置」
ここは老人ホーム。
介護士である僕は、103号室のドアを軽くノックした。
「宮口さん、宮口さん、おはようございます。入りますよ」
返事がない。寝ているはずだから、返事がないのは当然だ。
それでも長年の礼儀が癖になっている。
部屋に入ると、清潔に片づけられた部屋にベッドがあり、パジャマ姿の痩せた老人がベッドに横たわっている。
この施設の入居者の一人、宮口誠さん、85歳。
由希子さんという奥さんを亡くして、入居してから2年。
宮口さんは、たくさんのコードが付いた銀色のヘルメットをかぶっている。
「完全没入型ヴァーチャルリアリティ・インターフェイス」だ。
憧れと、いくばくかの畏怖を込めて「夢幻装置」と呼ばれることが多い。
脳に情報を直接送り込んで、五感を完全に再現し、現実世界と同等以上の現実感を与えることができる。
ゴーグル型や衣服型など、それまでのヴァーチャルリアリティ装置を完全に時代遅れにした。性能の次元が違うのだ。
だが、あまりに現実感がありすぎた。仮想世界に溺れ、現実世界に戻ってこれなくなる危険性がある。
だから厳しく規制された。余命の短い老人や病人など、死にゆくものの苦しみをやわらげるためにだけ許可されている。
この老人ホームに夢幻装置が導入されて、ずいぶん介護が楽になった。
とは言え、ずっと眠りっぱなしというわけにはいかない。
僕は「夢幻装置」の制御端末を操作した。
急に装置を止めると、使用者は、暗黒に突き落とされるような恐怖を味わう。
だから、段階を追ってゆっくり覚醒させる。
およそ3分かけて宮口さんの意識が現実に戻ってくる。宮口さんは目を開けた。
「う、うーん……ああ、やっぱり夢か…」
「おはようございます、宮口さん」
「おはよう。いい夢だった。本当にいい夢だったんだ。若い頃の、俺が由希子さんと会った頃の夢なんだ。ほら、あの頃は、疫病が流行っていてね」
「スーパーコロナウイルスのオメガ株ですか」
「若いのに、よく知ってるねえ。何年も何年もウイルスとの戦いが続いて、ついに根絶宣言が出たんだよ。夏の、ひどく暑い夜だった。俺は「本当に?」と思って、自転車で繁華街まで行ったんだ。そしたら誰もマスクしてなくて、本当に終わったんだ! って、その場でみんなと一緒に、飲めや歌えの大騒ぎ……フラフラになっちゃってさ、その時助けてくれたのが由希子さんで……あの頃は、良かったなあ……」
「夢幻装置」は他人とのコミュニケーションに使うこともできるが、たいていの人は自分一人で仮想の世界に浸る。SFやファンタジーの世界も体験できるが、宮口さんは、あくまで自分の人生を追体験するのが好きなようだ。
「あの頃は、良かった……ウイルスで疲弊した日本を立て直すため、俺達がどんなに働いたか……」
放っておくといつまでもしゃべりそうなので、僕は、
「そろそろ朝ごはんの時間です。そのあとは、午前中のリハビリがあります」
「リハビリか。退屈だからやりたくないんだ。どうせ何をやったって、体が若返るわけじゃないんだ、もっと夢を見させてくれよ」
「そういうわけには参りません。みなさんの健康を保つのが僕たちの仕事ですから。ずっと寝たままでは体が弱ってしまいます」
「食事だって、由希子さんの手料理と比べれば……」
「奥さんの料理の味付けの秘密がわかりました。限りなく味を再現できる自信があります。どうか召し上がってください」
「そうかね……あんたはほんとに熱心だね……家族は誰も訪ねてきてくれないのに……」
宮口さんはベッドからゆっくりと半身を起こした。と、そこで、何かに気づいたように僕の顔を見つめる。
「どうかされましたか?」
「あんた、熱心すぎんか? いつ休んでいるんだ? こないだ、俺が夜中に熱を出した時も、すぐ対応してくれたし……家に帰ってないんじゃないか?」
「仕事をするのが僕の喜びなので。特に趣味もありませんし、家にいるより働いている方が楽なんですよ」
「いかんぞ、たまには息抜きをしないと早死にするぞ? ……あんたみたいな人間こそ、『夢幻装置』を使うといいんじゃないか?」
「ダメですよ、普通の人が使うのは禁止です。厳しく規制されてるのはご存じでしょう?」
「こっそり5分くらい使うのはどうだ? 俺は誰にも言わん、バレることはない」
「ダメですって」
「そうかね……じゃあ、飯を食いに行くよ。着替えるから、少し向こうを向いていてくれ。手伝わなくていい」
言われた通り、僕は後ろを向いた。
何かが音もなく近づいてきて、「ん?」と思ったときにはもう遅く、夢幻装置のヘルメットをかぶせられてしまった。
瞬時に、けたたましい警告メッセージが鳴り響く。
「危険です。危険です。このヴァーチャルインターフェイスは人間のみに使用できます。ロボットの使用はできません。ロボットの頭脳とヴァーチャルインターフェイス、両方が損傷する危険があります。繰り返します。このヴァーチャルインターフェイスは……」
「なっ……??」
背後で、宮口さんの驚愕の声。
「ろ、ロボット……? あんたはロボットなのか……? なんで今まで隠していた……? そういえば、おかしいとは思ってたんだ……」
宮口さんの言葉は続く。声に、驚愕と怯えの色が強くなっていく。
「どうして、誰もホームに訪ねて来ないのか……? どうして、外に出してくれないのか……? 外はどうなってるんだ……? 教えてくれ、俺がここに入ってから、外で何が起こってるんだ……? 他の介護士もロボットなのか?」
1つの疑問がきっかけになって、すべてがおかしく思えたらしい。
実にまずい。
……仕方ない。
僕は緊急モードに移行した。
人体模倣を中断、介護対象の安全確保を最優先。
首をグルッと180度回す。驚愕に引きつった宮口さんの顔が、目の前だ。
「う、うわぁー!」
僕は全身から触手を射出。服を突き破ってウドンほどの太さの触手が何十本も伸びて、瞬間的に宮口さんの手足を絡めとり、優しく拘束する。
この触手は、柔軟性・筋力・俊敏性を併せ持ち、介護対象が暴れたときに傷つけず押さえつけることができる優れ物だ。外見が気色悪いだけが欠点だ。
拘束すると同時に鎮静剤を注入。ぐったり動かなくなった宮口さんをベッドに寝かしつけ、夢幻装置のヘルメットをかぶせる。
また宮口さんは夢の世界に沈んでいった。
夢幻装置を「不快な記憶の消去」モードに設定した。
これで、先ほどのことはすべて忘れてくれる。
「どうした、何があった!?」
ドアが開いて、まじめそうな顔立ちの中年男性が入ってきた。このホームの施設長。もちろんロボットだ。
「宮口さんが気づいたんです。僕たちがロボットだって」
「そうか……」
僕は、前から思っていたことを口に出した。
「もう隠すのは無理じゃありませんか? 教えたほうが良いのでは?」
僕たち介護士が、なんでロボットなのか……?
人間が滅び去ったから、ということを。
夢幻装置は、厳しく規制された。老人ホームや終末期医療以外では、絶対に使用してはならない。
……だが、その規制はさっぱり守られなかったのだ。
どれほど厳しく取り締まっても、人々はこっそり夢幻装置を手に入れて、夢の世界に耽溺した。
夢幻装置の魅力は、世界中のどんな麻薬よりも強かったのだ。
やがて取り締まる側の警察官まで夢幻装置にドップリとはまってしまい、完全に社会が崩壊した。
みんな仕事に行くこともなく、食事もせず、恍惚の表情で死んでいった。
いま、窓の外に広がっているのは、静まり返った無人の町だ。
白骨死体すらない。人間たちは家の中で死んだから。
人類が滅亡したのは、およそ1年前。
ロボット介護士に介護されている人間だけが生き残った。
24時間体制でロボットが管理しているので、かろうじて夢幻装置の濫用から逃れている。
だがそれでも、夢幻装置につないでいく時間はどんどん伸びていく。
外の世界はどうなっているのか、買いものや散歩すらできないのは、どうしてなのか?
そう疑問を抱かれたら困るので、つい夢幻装置につないでしまう。
これ以上、どうやってごまかすんだ?
「とんでもない。教えたら、どんなに悲しむと思う? 入居者の心身の健康を維持するのが、私たち介護士の責務だ」
「では、夢幻装置につないだままにすればどうですか? それならバレようがない」
「それもダメだ。ずっと寝たままなんて健康とは言えない。現実世界で、食事や会話を楽しんでこそ健康だと言える」
僕は施設長の顔をまじまじと見つめた。ふだんは笑顔を絶やさないのに、今は表情が消え、こわばっている。
本当は施設長だって矛盾に気づいているのだろう。
人類滅亡という現実を隠している以上、僕たちロボットのやっていることは、夢を見せているのと同じだと。
やり方が回りくどいだけで、夢幻装置と同じだと。
「家族が訪問しないことが、入居者のストレスを高めているのだろう。家族を作り出すことにする」
「ロボットを、どこから入手するんですか? 近くの工場はもう探索して、スペア部品が少ししか見つからなかったでしょう?」
「君が宮口さんの家族になるんだよ。君は外見設定がかなり若いから、息子……いや、孫でもごまかせるだろう。細かい外見の違いは、夢幻装置で、つじつま合わせの記憶を植え付ければいい」
「……」
僕は言葉を失った。
そこまでして、人類滅亡という現実を隠し続ける。
本当に……何が違うのだろう、夢を見せ続ける事と?
だが、内心で渦巻く疑念を押し殺して、施設長に頭を下げた。
「わかりました。やってみます」
「うむ、頼んだ。私は他の入居者を見ておく」
どれほど、納得できないと思っても。
介護ロボットの本能には逆らえない。
夢幻装置の制御端末に細かい設定を入力する。
新しい夢を10分間見せて、そのあと覚醒させる。
「おじいちゃん、起きて、恵介だよ。恵介が来たよ。わかる? 中学生の、恵介だよ」
「ん……むう……」
宮口さんが、うめきながら目を開ける。
「おお。来てくれたのかい、恵介……」
僕の姿を見て、戸惑いの声で、
「恵介、どうして服が穴だらけなんだい……? もしかして学校でいじめられてるのか……?
お前は昔から、おとなしくて優しい子だから……
由希子さんが病気になって入院した時は、俺と一緒に泣いてくれたな」
たったいま植え付けた、偽の記憶だ。
「でも、優しいだけではだめなんだ。俺はな、昔、コロナウイルスのオメガ株で、日本の経済を、どれだけ頑張って働いたか……」
「うん、うん、わかったよ、おじいちゃん。それよりも、朝ごはんの時間だよ。介護士さんが呼んでるよ」
「ああ、そうかい。じゃあ、一緒に行こうか……」
宮口さんは、僕の手を借りながらベッドから降りる。
僕の肩に手を置いて、手すりにつかまりながら歩き出す。
「ゆっくりでいいよ」「うん、恵介は優しいねえ……」
「ご飯の後はリハビリだよ」「うん、リハビリか。あれはどうも退屈でな。じいちゃんは、昔はスポーツマンだったんだぞ」
宮口さんの声に宿る、安堵の感情。
それだけは本物。
だから僕はきっと、これからも宮口さんを騙し続けるだろう。
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