第61話「マントル・バード」

 異端の科学者・星谷博士が、自分の邸宅にたくさんの学者を招いた。

 やってきた学者たちは文句を言っている。


「なんで私たちを呼びつけた? 学会で普通に発表すればいいだろう?」

「君はいろいろ手広くやってるようだが、いまやってるのは地震の研究だろう? 生物学、物理学、人工知能の研究者まで……畑違いばかりじゃないか?」

「星谷くんは金持ちの道楽だから、好き勝手やれていいなあ」 


 最後に、分厚い黒縁眼鏡で禿げ頭の老人が現れた。年老いているが、その瞳に宿る光は少年のように若々しい。


「リンデマン博士! あなたまで呼ばれていたのですか!」


 リンデマン博士は、人類の宇宙進出を熱心に主張し、宇宙船の推進方式を次々に開発し、フォン・ブラウンの再来と呼ばれた天才だ。

 もう40年間、宇宙開発の主導的立場にあり、彼がいたからこそ、人類は火星・小惑星帯・木星に基地を作ることができた。


「実は、リンデマン博士の意見こそ、いちばんきいてみたかったのです」

 

 館の主である星谷博士がそう言う。


 みなが邸宅の食堂に集められると、星谷博士は全員に資料を配って、こう話し始めた。


「私は地震の研究をやってきました。知っての通り、日本は地震の大変多い国です。地震を予測して被害を抑えることは悲願だったのですが、たくさんの学者が研究を続けてきたにもかかわらず、地震予知は成功していません。

 そこで私は思ったのです。どうして予知できないのだろう。地震というのが何なのか、根本的に勘違いしていたのでは?

 たとえば天気や、天体の動きですら、人間は予測できる。精密に計算できる。

 自然の現象であるならば、それは計算式に分解し、シミュレートできる。

 できないのは、地震が自然のものではなく、何らかの意志によって起こされている現象だからでは?

 心を持ち、知性を持つ何者かが」


 科学者たちが鼻で笑った。


「地球が心を持っている、という説か? とっくの昔に否定されたトンデモ学説だ。いまさらそんなものを引っ張り出してくるとは」

「違うのです。地球そのものではなく、地球の内部、マントル層に生物がいるのです。お手元の資料をごらんください」 

 

 学者たちは分厚い資料を読み始め、みるみるうちに顔色を変えた。


「こ、これ、本当かね……ここまで調べたのか」

「捏造ではありません。観測機械を使って、再確認していただいてもけっこうです」


 資料には、マントル層に生命が存在することが明確に示されていた。


「しかし、マントルの中はすさまじい高圧だ。生きられるはずがない」

「原子が潰れた、スプーン一杯で何トンもあるような、きわめて高密度の物質で作られているんです。太陽が燃え尽きたあとの白色矮星にできる物質ですよね。地球の圧力くらいは、なんてことないわけです」

「その高密度の魚が、マントルを泳ぎ回って、地震を起こしているのか?」

「魚というより、鳥ですね。とても重いので、常にはばたいていないと地球の中心まで落ちてしまう。その生物にとってマントルは空気のように希薄なわけです。私はその生物を『マントル・バード』と名付けました。

 地球の奥深くにマントル・バードが存在すること。そのマントル・バードが地表近くまで上がってくるのが地震の原因であること。

 この二つは確実なのです。私がみなさんに聞きたいのは、ここから先なのです。

 ……なぜマントル・バードは上がってくるのか?」


 そこで星谷博士は言葉を切り、テーブルの上のパソコンで音声ファイルを再生した。

 合成音声で、何者かがしゃべっている。


「わたし は そとに でたい」「われわれ は そとのせかい しりたい」「きみは そとのせかい に いきている ものか?」「そとのせかい いきたい」「きみたちに あってみたい」「われわれ たくさん ふえた きかい つくった たたかうきかい かんがえるきかい」「でも そとには でられない」「そとのせかい しりたい」「そとのせかいのこと おしえてくれ」


「これは、いったい何かね?」

「私は特殊な人工地震波によってマントル・バードとのコミュニケーションに成功しました。これはマントル・バードがしゃべっているんです。マントル・バードは何億体もいて、高度な文明を築いています」

「ば、ばかな! 人類以外の知生体とコンタクトしたというのか! 地球外……いや、『地球内』知的生命体! 宇宙探査でなしえなかったことを!」

 

 宇宙開発の第一人者であるリンデマン博士は、誰よりも取り乱した。

 出し抜かれてプライドが傷ついた表情。知生体と出会えて感激する表情。ふたつがごちゃ混ぜになって泣き笑いの表情だった。


「そうなのです。でも、私は誇るつもりはありません。

 私には、どうやってマントル・バードを止められるかわからなくなったんです。

 私たち地球人類は星に憧れ、ロケットを開発して月や火星に行きましたよね。

 それと同じように、マントル・バードは外の世界に憧れて、上がってきている。それが地震の原因である。

 どうすれば止められます?

 止めて良いんでしょうか? 私たちに、彼らの好奇心を断ち切る資格があるんでしょうか? 人間だって他の星にどんどん進出している。月や火星に生命がなかったのは、結果としていなかったに過ぎない。生命がいても土足で踏み込んだでしょう」


 リンデマンが上ずった声で言った。


「待て。君がマントル・バードに接触したことで、彼らの好奇心は大いに刺激されたんじゃないか?」

「そうでしょうね。たくさん上に上がってくるでしょう。もしかすると地面すれすれでは満足できず、地上に上がってくるかもしれない。かれらの高密度の肉体は、地上に出たら、はじけ飛んでしまうかもしれませんが……それでも死を恐れず、来る者はいるでしょう」

「地面を泳ぐだけで、大地震になるのだ。そんな怪物が地上に出たらどうなる……?」

「海は割れ、山脈は崩れ……島も大陸も真っ二つですね。何億人が死ぬか、わかったものじゃない。どうすればいいと思います?」


 学者たちが、ああでもないこうでもないと議論を始めたが、いい案がでない。

 やがて全員の目が、黙っているリンデマンに集中した。

 リンデマン博士は重々しく口を開いた。


「……私が宇宙を目指し、様々な技術を開発しているの何故か。火星に行っても、小惑星帯に行っても立ちどまれないのはなぜか。

 富でも名声でもない。人類を発展させたいという気持ちでもない。

 ……会いたいからだ。空の向こうにいる誰かに。幼いころからずっと。

 ……地球外知的生命は来ない。こちらから会いに行くしかないと思ったのだ。

 ……きっとマントル・バードも同じなのだと思う。こちらから訪ねていくのだ。そして深い交流を行えば、満足してくれるかもしれない。外に出ないでくれるかもしれない」 

「地球の中心は300万気圧。そこに行ける船など作れるのですか?」

「私が中心となって開発する」

「宇宙開発を100年早めたと言われる博士なら、できるかもしれません」

「皮肉かね。足元に知的生命がいることにも気づかなかった男だ」


 ☆


 リンデマンの案が通った。

 アメリカ、日本、ドイツ、フランス……各国が力を合わせ、巨大な船が建設された。

 黒光りする直径200メートルの球体。

 球い形は、最大の強度を発揮するためだ。

 分厚いタングステン合金製で、内側は人造ダイヤモンドがみっちり詰まって支えている。

 動力は原子力。特殊震動波によって地面を軟化させ、沈み込んで移動する。

 理論上、72時間で地球中心核に到達し、かろうじて圧力に耐えられるはずだ。 


 船の乗員はたった5人。

 選抜された軍人が3人。この船を操船する役割だ。

 残る2人は、開発責任者のリンデマン博士。それと星谷博士だ。

 ふたりの博士は、軍人に続いて階段を上がり、ハッチから乗り込む。 

  

「私は開発責任がある。だが、君も来るとは思わなかったよ、星谷君」

「マントル・バードとのコミュニケーションには、慣れている私が必要ですよ」

「間近で知的生命に会いたい、それが本音ではないかね? そのためなら命を捨てても良いのだろう? 私もだよ」


 そうなのだ。この船は決死行なのだ。

 地震研究の副産物として、特殊震動波で地面を柔らかくする技術は開発された。

 この技術を使えば、下に向かって沈むことはできる。

 だが上昇する方法はない。超高圧の中ではドリルもスクリューも使えない。そんなもの船外に出した瞬間に潰れてしまう。

 この船はまっすぐ下に沈むだけで、帰ってくることはできない。最後は酸素切れで死ぬことになる。それを覚悟で乗っているのだ。


「原子力エンジン始動。特殊震動波発生。潜行開始」


 荒野の真ん中にある球体船が、腹の底に響くような重低音を発しながら、ずずず……と沈み込んでいく。


「現在、深度100キロ、200キロ……300キロ……」

「リンデマン博士、少し暑くありませんか?」

「熱が逃げるところがないからな。こんなものではない、最深部ではサウナ並みの温度になるはずだ」


「深度3000、4000キロ……」

「おかしいですね、マントル・バードからの呼びかけがないのですが。かれらの生息領域に踏み込んだというのに」

「メッセージは送ってみたかね?」

「何度も送ってますが、返信がないのです」


 不安を抱えながら、ついに到達した地球中心核。


「やあ そとからのひと きたのですか」


 やっとマントル・バードからのメッセージが来た。


「おお、私は星谷博士という者です。きみたちと話がするために来ました。外の世界のことを全部教えます。だから君たちのことも、もっと教えてください」

「私はリンデマン博士だ。興味深い。実に興味深い、瞬く間に地上人の言葉を覚えてしまった知性、地底の超高圧下でどんな文明を築いているのか……? 教えてくれ。君たちの全てが知りたいのだ!」


 しかしマントル・バードからの返信は。


「わたしたちは 行きます すでに 大部分のものが 行きました」

「行く!? どこに行くというのだ。地球の外に出るということか?」

「そとにでたら 地球の表面が壊れてしまって みなさんが死ぬのは わかりました だから そとにはでません でも そとにいきたい 他の世界に いきたい

 だからわたしたちは マイクロ・ブラックホール・ゲートを開発しました」


 リンデマンと星谷は度肝を抜かれた。


「なんだと!?」「何ですって!?」

「わたしたちは 高密度の物質で体が作られ 高密度物質の扱いには慣れています それを少し進めるだけで ブラックホール・ゲートは作れました

 この方法で 地球の外側に出ず 直接に他の星に行けます

 すでにわれわれは この星よりも密度が高くて 快適に過ごせる星を見つけています」

「どこだ、それはどこなんだ!」

「この星から 光の速さで8年ほど 燃え尽きた太陽です ずっと大きく あたたかく 豊穣なる新世界! わたしたちの大部分が そこに移住しました」


 リンデマンは額を汗まみれにしてうめいた。


「白色矮星だな? 8光年と言えばシリウスBか……とても宇宙船で行ける距離ではない……待ってくれ、行かないでくれ!」

「外に広がりたい 未知の世界を知りたいという 私たちの想いを なぜ止めるのですか? あなたたちは 言われれば止まりましたか……?」

「いや、それは止まらんが……! 私たちも連れて行ってもらうことはできないか?」

「無理です ブラックホール・ゲートの重力は 私たちの肉体でなければ とても耐えられない

 そうだ みなさんは地上に戻れず 困っているのでは ないですか?

 送り返してあげましょう マントルの流れを操るのは 私達には簡単なことです」

「そんなことを望んでいるのではない! 君たちと話がしたいのだ!」

「そろそろゲートが開きます 行かないと さようなら」


 どん、と突き上げるような衝撃があって、船は急上昇を開始した。

 たった24時間で地上まで戻ってきた。


 ハッチを開け、外の世界に這い出す、5人の乗員。

 生還できて喜んでいるのは軍人3人だけで、星谷とリンデマンは暗い表情だ。


「行ってしまった、私の呼びかけは、何の力もなかった……」


 とくにリンデマンの落ち込みようはひどかった。


「諦めないでください、シリウスまで行ける宇宙船を作れば良いんですよ」


 星谷がそう励ますと、リンデマンはひどく老け込んだ顔に、疲れ果てた笑顔を浮かべた。


「そうだ、その通りだ。私はもう一度、宇宙開発を100年進める……」


 ☆


 リンデマンはそれを実現できず、その後すぐに体調を崩して亡くなった。

 めぐりあったはずの知的生命体が、掌からすりぬけてしまった衝撃は、あまりに大きかったのだ。


 星谷は世界中から大絶賛された。地震を無くした功績は、ノーベル賞をあたえても足りないほどだ。

 だが偉人と称えられても、星谷は物憂げだったという。

 いつも空ばかり見上げていたという。 

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