第58話「100万回の蝶」

 千代。千代に会いたい。

 俺はカネを稼ぐこと、這い上がることだけ考えて生きてきた。

 友達だろうが嫁だろうが、出世の道具に過ぎない。

 どんなに這い上がっても満たされなかった。

 でも、千代が生まれてから。千代に出会ってから。

 俺は教えてもらった。誰かを愛することを。

 世界が一変した。

 それなのに、それなのに、千代は……

 中学校のブレザーを着て、校門の前ではにかんでいる千代が、最後に見た姿だ。

 中学1年のわりに幼い口調と声で、おとうさん、と、俺のことを呼んでくれて。

 やさしい子だった。おでこが広すぎることを気にしていた。

 千代に会いたい。そのためなら俺はなんでもする。


 ☆


 俺はスポーツカーを飛ばして、山の中にある、博士の研究所を訪れた。


「社長? こんな夜中にどうしたんですか?」

「タイムマシンをいますぐ使わせろ!」

「まだ重大な欠陥が直っていないんです。短時間の移動ができない。どうしても1万年前に移動してしまいます。これを改善しない限りは……」

「その話は何度も聞いた。だから高性能な人工冬眠装置を積んだんだろうが。1万年前に移動して9990年間眠れば、10年前に移動したのと同じだ。何の問題もない。いますぐ使わせろ。警察が来る」

「警察? どういうことです?」

「妻を殺したのがバレた」

「はあ!? 殺した? なぜ!?」

「俺がタイムマシンに会社のカネをつぎ込むのをやめろって言うんだ。死んだ者のことは忘れて、前に進めとか言いやがるんだ。自分の娘のことなのに、奴は……俺を邪魔するんだ……」

「社長……私の研究を支援してくれたことは感謝しています。死んだ娘さんに会いたい気持ちもわかります。でも、殺人は殺人だ。今の社長にタイムマシンを使わせることは、できな……」


 俺は拳銃を博士の眉間に向けた。


「ごちゃごちゃうるさい。早く使い方を教えろ」


 マッドサイエンティストだと思っていたが、しょせん世の中の常識に縛られた男か。

 俺は違うぞ。愛する娘のためならなんでもする。


 俺はタイムマシンに乗り込み、言われたとおりに操作した。

 軽いめまいがあって、装置全体がブウーンと振動した。


「時間移動が完了しました」


 なんだ、ずいぶんあっけないものだな。


 タイムマシンのハッチを開けて外に出てみる。

 まぶしい陽光。あたりは建物も道路もない。山と森しかない。

 空気がとてもきれいだ。だが、ここが本当に1万年前の世界か?

 

 しばらくあたりを見回していると、毛皮を体に巻き付けた、半裸の娘が現れた。

 石器人。縄文人というのが正しいか? タイムトラベル成功は間違いないようだ。


「××××?」


 石器人の娘が意味不明な言葉を発し、タイムマシンに近寄ってきたので、拳銃で威嚇して追い払ってやった。


「よし、あとは眠るだけだ」


 俺は冬眠装置を「9990年」にセットして、眠りについた。 

 目を覚ませば、千代の生きている時代だ。あとは交通事故を防ぎ、千代の命を救う。

 ずっと一緒だ。どんな金持ちになっても得られなかった喜びと幸せが。


「冷凍睡眠が完了しました」


 体の重さに苦しみながら、俺はタイムマシンを這い出した。


 あたりには道路があり、バスが通っている。

 それに乗って都会へと向かった。 

 千代に会ったら、なんと声をかけよう?

 そうだ、この時代には俺がもう一人いるんだ。タイムマシンのことを信じるだろうか? いや信じさせてみせる。


 などと思いながら都会に向かい、俺の家に着いた。


 鍵が合わない。開けることができない。

 不審に思いながらチャイムを押す。

 出てきたのは、俺の全く知らない中年女だった。


「誰だお前は?」

「あんたこそ誰よ?」

「俺はこの家の主人、宮坂大地だ。ミヤサカ電子の社長だ」

「何言ってんの? ここはあたしの家よ? ミヤサカ電子とか聞いたことないわ」

「なんだと!?」


 表札を見ると、確かに、俺の苗字じゃない。

 どういうことだ。家を間違えたのか? ミヤサカ電子が存在しないとは?


 俺は本屋に行って、経済雑誌を立ち読みした。ハードカバーのビジネス書も立ち読みした。

 ない! ミヤサカ電子が全く載ってない!


 ば、ばかな! なぜ歴史が変わった?

 

 ふと、本屋に不思議な地図が貼ってあることに気づいた。

 北海道が別の色になっている。『日本国』じゃなくて『日本社会主義共和国』だと……?

 愕然となった俺は本屋で歴史の本を読み漁った。

 歴史が変わっている。太平洋戦争の終わりが10月になって、北海道がソ連に占領されて、日本とは別の国になっている……

 俺の父は北海道出身だ。別の国になっていたら母と巡り合わない、俺が生まれてこない……

 どうしてこんなに歴史が変わった?

 もしや、1万年前の石器人の女を、銃で追い払ったからか? そのくらいしか思いつかない。


 もう一度だ。こんどは歴史を変えないように、慎重にだ。


 俺は山の中のタイムマシンに戻り、再び時間移動した。

 首尾よく1万年前に戻った俺は、タイムマシンの外にも出ず、冬眠装置を作動させる。

 これなら歴史へ影響など無いはずだ……!


「冷凍睡眠が完了しました」


 冬眠を終え、タイムマシンから地上に這い出した。

 バスが走ってくる。

 車体全体に巨大な広告があった。


 大東亜戦争戦勝七十周年記念


 ま、待て!?

 今度は日本が戦争に勝った世界なのか!?

 バスに乗ろうとしたが、俺の持っているカネが通用せず、乗ることができなかった。通りがかったクルマでヒッチハイクして東京を目指す。

 都内の景色は俺の知っているものと全く違う。高層ビルがない。道路が狭い。この世界の東京は空襲で焼かれなかったのだろう。


 東京の……文京区……区の名前も違う……道路も、ビルも、何一つ俺の知っている東京じゃない。

 たぶんこのあたりに俺の家があるんじゃないか。そう思って、汗まみれになって何時間もさまよった。いくら探しても見つからない。

 悪夢の中でもがいているような気分だ。

 ついに路地にへたりこんだ。


 ……思い出したよ。

 祖父と祖母は、復員船で知り合った。戦争に負けて、帰ってくる人たちの船で、知り合ったんだ。

 戦争に負けていなければ、出会っていない。だから俺は生まれない。

 体にムチ打って、俺は立ち上がった。

 この世界も駄目。もう一度。もう一度だ……


「時間移動が終了しました」「冷凍睡眠が終了しました」


 今度こそ……

 

 だが。

 

 徳川幕府が倒れず、21世紀になっても続いている侍の世界。

 日露戦争に負けて、いまだ全土がロシアに占領されている世界。

 鎖国自体がなかった世界……

 あらゆる看板が楔形文字で、車が空を飛んでいる世界になったときは、気がおかしくなりそうだった。何をどうすればメソポタミア文明が世界を制するんだよ。


 1万年の時間遡航を繰り返すたびに、世界はどんどん変わっていく……


 どうしてだ。

 俺は歴史なんて変えるつもりがないのに、なぜ変わる。

 「バタフライ・エフェクト」か。

 北京で蝶がはばたくと、ニューヨークで嵐が起こる……そんな風に、ごく小さな揺らぎを加えただけで、大きな影響を与えてしまうことがある。

 タイムマシンが1万年間地面に埋まっているだけで。本来は生えていた木がなくなり、小川の流れが変わり、つもりつもって1万年後の世界を変えてしまう。そういうことなのか。

 だが……だが……果てしなく繰り返せば、きっと俺が望んでいる世界もやってくる。

 サイコロを無限に振れば、6が連続することもある……

 猿がタイプライターを永遠に叩けば、シェイクスピアの戯曲を書いてしまうこともある……

 だからきっと……いつかは……

 

 ☆

 

 そのまえに、冷凍睡眠装置が故障した。


 ☆


 俺は一万年前の世界に取り残された。

 まぶしく降りそそぐ陽光。軽やかな鳥の声。 

 だが俺はタイムマシンの搭乗口に腰かけて、めそめそと泣いていた。

 なにもかも終わりだ。全ての希望は失われた。全身に力が入らない。

 ずっとうつむいて、頭の中に千代の思い出を果てしなくリフレインしている。


 そのうちに気づいた。


 俺は愚かだった。

 自分が上り詰めるだけではだめなのだと。他人を思いやる気持ちを。千代が教えてくれたのに。

 正反対の、他人を犠牲にすることばかり。

 最初から間違っていたのだ。千代の願いとは正反対のことをやっていた。

 いまさら気づいても遅い。


「××。××……。」


 と、誰かの声。やさしい女の声。

 おそるおそる、俺の肩を叩くものが。


 はっと顔を上げる。

 そこには、毛皮を体に巻き付けた、石器人の若い娘。

 似ていない。まったく千代に似ていない。

 でも似ている。やさしい声で、言葉はわからないが話しかけてくれた。 

 得体のしれない、よそ者の俺にか?

 俺が泣いているからか?

 ここにいた。千代と同じ心の持ち主が。

 もう、これだけしかない。

 俺は立ち上がって、娘の手を取った。

 傷だらけの分厚い手だ。苦しい暮らしなのだろう。

 

 きみの集落に連れて行ってくれ。生活を手助けしよう。俺が知る限りのことを教えよう。

  

 そうすれば、千代の心は、いてくれると思うから。

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