第55話「最終ヒーロー ジエンドマン」
「……それじゃ父さん。また明日、友香も連れてくるから」
「必要ないよ、こんな姿を孫に見せたくない」
「でも、それじゃ父さん……」
「おれのことは気にするな、75まで生きた、思い残すことはない」
末期癌で鳥ガラのように痩せこけた老人がそう言うと、息子は沈痛な表情で頭を下げ、病室から出ていった。
「……そう。思い残すことはない」
老人はベッドの上にあぐらをかいたまま、そう言ってため息をついた。
息子が気を利かせて個室をとってくれたが、この病室こそ自分の最期の地になるようだ。
まあ、75年も生きたのだ、癌で死ぬのは苦しいそうだが、死ぬこと自体は仕方ない。
必死に生きて、貧困の中から這い上がり、こうして金持ちになれた。子供にも孫にも恵まれた。満ち足りた人生だったと言えるのではないか。悔いることはない。
「大丈夫だ、おれに悔いはない。悔いはない……」
何度も言い聞かせるうちに。
……いいや。ちがうぞ。
悔いは残っている。やり残してきたことがある。
たった一つ、心の奥底に封じ込めてきた、くだらない夢。
誰にも話せない、だが大切な夢。
変身。
自分は、普通の人間ではないのだ。アンドロメダ星雲人のメダーに選ばれ、変身能力を与えられた。
ある動作を行うことで、スーパーヒーロー『ジエンドマン』に変身できるのだ。
幼いころから、そんな空想が心の中に根を張っていた。
不思議なのだ。どうして自分はそんな妄想を思いついたのだろう?
家は貧しくて、テレビなどという高級品はなかった。そもそも、自分が子供だった昭和30年頃はウルトラマンも仮面ライダーもまだ放送されていなかった。月光仮面と黄金バットくらいしかなかった。『変身ヒーロー』という概念自体が、ほとんど広まっていなかったはずなのに。
おそらくマンガだろう。落ちていたマンガを拾い読みして、そこに描かれていた物語を、現実とごっちゃにしたのだろう。
そのくだらない空想は、ずっと自分を支えてきた。
父親が女を作って出て行ったことで、みんなから白い目で見られ。
母親が必死になって働いても家は貧しく、ツギだらけのズボンを履いてアカギレを作り、崖下の掘っ立て小屋に住み。
「臭い」「汚い」「貧乏がうつる」と言われ続けてきた。
学校でも。工場に就職してからも。夜間学校でも。
馬鹿にされ、暴力を振るわれ続け……
そのたびに、こう思ってきた。
『おれは。おれはジエンドマンなんだぞ。変身すれば、お前なんて簡単にぶちのめせるんだぞ。だけどあえて我慢してやってるんだぞ。』
工場のカネを盗もう、友達を騙してカネをとろうと思ったときに、こんな声がきこえてきて、思いとどまらせてくれた。
『おれはジエンドマンだぞ。地球人代表として選ばれた人間だぞ。悪の道に走っては駄目だ。』
ジエンドマンという空想が無ければ、とっくに自殺するか、犯罪者になっていただろう。
実際に変身を試してみたことは、一度もない。
当たり前だ。本当は分かっていたのだ。スーパーヒーローなんているわけない。変身なんてできるわけない。
だから試さなかった。
試して、変身できなかったら、「やっぱりウソだった」と証明されてしまう。
でも試さなかったら、「もしかしたら本当に変身できるのかもしれない」という可能性が残る。
たとえわずかでも。
変身なんてありえないと分かっているからこそ、万に一つを、ゼロにしたくなかった。
だが……
老人はベッドの上で、シワだらけの手をぎゅっと握った。
もう試してみても良いんじゃないか。
ウソなのはわかっている。でもウソだと分かっても、もう失うものはない。いまさら心が傷ついて、それがどうしたのだ。
緊張で口の中はカラカラだ。胸は高鳴っている。
変身の方法は、一日たりとも忘れたことはない。
こうすれば良いんだ。
「……わが右手に勇気!」
顔の前に右手をかざし、指も折れよと握りしめる。
脳裏に、渦巻く銀河をイメージする。
「……わが左手に愛!」
今度は左手を顔の前にかざして、同じようにギリギリと握る。
「……ジエンド・クロスっ!」
そして高らかに叫んで、勢いよく両腕を交差させる。
わかっている、ウソだということは、わかって……
交差させた両腕の間から、謎の、まばゆい光が溢れだした。
「なっ……!?」
光は膨れ上がり、老人の全身を包み込む。
ほんの一瞬で光は消えた。
驚愕に震えて、自分の腕と、体を見下ろす。
パジャマを着ていたはずだったのに、パジャマはどこかに消えて、かわりに鮮やかな赤と銀のタイツが、体を覆っていた。
「なん……だ? これは……?」
フラフラと、病室に備えられた洗面所に行く。鏡に全身を映してみる。
「……!!」
今度こそ言葉を失った。
赤と銀のスマートなタイツ。背中にはマントがひるがえり、顔にはいかついデザインの仮面。不思議なことに仮面をつけていてもまったく視界が損なわれない。
心に描いてきた通りの、ジエンドマンの姿だ。
「ち、力はどうだ……?」
飛べ、と念じた。背中のマントに力がみなぎり、老人の体は天井に向かって勢いよくすっ飛んだ。
危ない!
そう思った瞬間、まるで物理の法則を無視して空中で停止した。
自分は飛べる。自由自在の飛行能力があるのだ。
「なんということだ……できた……変身、できてしまった……」
どうして、もっと早く試さなかったのだろう?
もっと早く試していれば……
その時、窓を魔法のように通り抜けて、小さな生き物が入ってきた。
赤ん坊のように体が小さくて、頭にアンテナをつけた、ユーモラスな姿の宇宙人。
知っている。これが何者なのか知っている。
「久しぶりメダ。やっと変身したメダ?」
「き、き、君は……」
「アンドロメダ星雲人のメダーだメダ。『七銀河連盟』を代表して来たメダ。『七銀河連盟』は、七つの銀河系と、そこに生きる300万種類の種族の連合体メダ。国連みたいなものメダ。忘れてしまったメダ?」
「覚えている。覚えているさ……」
その場に座り込んでガクガクと震えた。
ああ、すべては本当のことだったのだ。
妄想だと思い込んでいただけだったのだ。
くだらないのは自分の中の常識、そして臆病さ。
「メダー……俺がいまから、ヒーローとして戦うことはできるか……たとえわずかでも……」
「今さら無理メダ。老衰と病気で極端に衰弱しているメダ。ちょっと活動しただけで死んでしまうメダ。きみは何もできないメダ」
「ああ……」
絶望だ。
自分の人生は一体何だったのか。
それなりに成功をつかんだつもりだった。貧困と屈辱をはねのけて進んできたつもりだった。
だが本当は、為すべきことから目を背けてきただけの人生だったのだ。
ジエンドマンの力を正義のために使えばたくさんの悪が倒せた。ぐだぐだ言って変身を拒否してきたせいで、きっとたくさんの悪を見逃して、たくさんの人を死なせてきたのだ。
うちひしがれている老人に、メダーは明るく言った。
「ところで。きみの死が確定したことで、テストの結果が出たメダ。だからメダーは地球を去るメダ。お別れだメダ」
「……テスト?」
何を言われたのかわからず、メダーの顔を見つめる。
「説明聞いてなかったメダ? 地球人は『七銀河連盟』に加わるにふさわしい善良な種族か。それとも宇宙を食い尽くす邪悪な種族か、知りたいメダ。地球人にテストを課すことに決めたメダ。地球人が善とわかったならば連盟に迎え入れるメダ。悪と確定したなら、滅ぼすことも視野に入れるメダ」
そういわれてみれば……うっすらと思い出してきた。メダーから変身能力を与えられたとき、なにかややこしい理屈を言われたのだ。幼すぎて理解できなかった。
「無作為に選んだ地球人100人に、超人に変身する力を与えるメダ。その力をどう使うかで、地球人の本性がわかるメダ。結果は、能力を私利私欲のために使うものが49名。世のため人のために使うものが49名いたメダ。そして、力を使わなかったものが2名。ひとりはカトリックの神父で、もうひとりが君メダ」
「49人対49人だと、地球はどうなるんだ?」
「地球は1000年間のインターバル期間を置いた後、もう一度テストにかけられるメダ。残念メダ。こき使ってやろうと思ってたメダ」
「こき使う? どういうことだ?」
「『七銀河連盟』に新規参加した種族は、様々な科学技術の供与と引き換えに、メダーたち先輩種族に10万年間隷属する。宇宙の子弟制度メダ。どの種族も通った道メダ」
それでは……もし自分がヒーローになって正義のために戦っていたら、地球人は奴隷にされていたということか?
「1000年後にまた来るメダ。さらばメダ」
そう言ってメダーは天井を通り抜け、消えていった。
変身も解除され、老人はパジャマ姿に戻って、その場にくずおれた。
全身の力がまったく抜けてしまった。もう立てそうにない。このまま寝たきりかもしれない。
だが良いのだ。これは安堵で、力が抜けているのだから。陽だまりのような幸福感が体を包んでいるのだから。
……自分のやってきたことに、意味はあったのだから。
☆
ガラガラ……
病院の廊下を、空のストレッチャーを押して、看護師が進む。
「606号室の患者さん、亡くなったんだ?」
「うん。すごく安らかな死に顔だったよ。楽しい夢でも見ているみたいな……あんな人めったにいないよ」
「へえ。やっぱり人生の成功者は違うねえ」
誰も知らない。老人が笑顔で逝けた理由を。
誰も知らない。ジエンドマンが地球を救ったことを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます