第45話「減速不能!」
一隻の巨大な宇宙船が飛んでいた。
傘を閉じたような形だ。
傘布は100パーセントに近い効率で光を反射する、真珠色の完全鏡面。
中軸の部分は、ひとつの都市ほどの大きさがある。
贅を尽くしたスイートルームが並び、レストラン、劇場、スポーツジム……快適な旅をおくるための、あらゆる施設が、余裕たっぷりに配置されていた。
豪華客船「クイーン・シャーロット2世号」。
100年かけて5つの星をめぐり、いま、地球への帰途にある。
外では100年が過ぎたが、光速の99.9パーセントで飛ぶので、船内では5年しか経っていない。
5年でも長い旅だが、豪華設備のおかげで、乗客たちは退屈知らずの満ち足りた毎日を過ごしていた。
だが、とんでもない事態が持ち上がっていた。
☆
客たちが、怒りの形相で船長室に雪崩れ込んできた。
「どういうことだ! なぜ地球に行けない! 停船できないってどういうことだ!」
客の一人が、詰襟の制服を着た船長の胸倉をつかんでいる。
船長は白髪頭で顔にもシワがあるが、客たちは全員、若い美男美女だ。
客たちは肉体改造によって不老不死を得ているのだ。
「そうだ! そうだ! きちんと説明しろ!」
「お客様、おちついてください。地球に停止できないのは、仕方ない事情があってのことなんです。
この船は、レーザー帆船です。大きな帆を持ち、いろいろな星からレーザーを照射してもらって、加速・減速します。
この船を運営するキャベンディシュ・スター・ラインが経営破綻したのです。
会社のレーザー基地は差し押さえられ、廃棄処分になってしまいました。
我々も交渉したんです。でも廃棄処分を止められなかったんですよ」
このままでは、シャーロット2世号は減速できず、地球を通り過ぎる。
いちおうロケットエンジンも積んであるのだが、軌道修正用の小型のもので、核融合燃料のタンクも小さい。光速の99,9パーセントというすさまじいスピードを止めるにはまるで足りない。
「キャベンディシュ以外にもレーザー帆船やってる会社はあるはずだ! パンギャラクシーとか、オリオンとか……そこに頼んで照射してもらえばいい! 金がないのか? 俺が出す!」
「我々もそれは検討しました。しかし不可能でした。どこも照射スケジュールがいっぱいで、うちにレーザーを向けている余裕がないんだそうです」
「金を倍出して、向こうのスケジュールをキャンセルさせろ。俺がどれだけ金を持ってると思ってる。グローム重工の前期総帥だぞ!」
「お金をたくさん出せばよい、というわけではないんです。照射スケジュールを無理に変更すれば、他の船が漂流することになります。できるはずがありません」
「ならばいったいどうするんだ!」
船長は客の手を振りほどき、ため息をついて言った。
「乗船時にマニュアルをお渡ししたはずです。そちらにも書かれていますが……
まず、こうした場合、乗客のみなさんは『データ転送』で下船することになります。
脳を正確にスキャンして、記憶や人格をデータ化し、それを地球に送ります。
クローンの脳にデータを焼き付ければ、みなさんの心が移動したのと同じことに……」
「そんなことができるか!! データはデータであって、人間の心そのものではない! たとえ俺と同じ記憶をもつクローンが生まれたとしても、それは俺ではない! ここにいる俺は死ぬんだから意味はない!
みんなもそう思うだろう?」
振り向いて叫ぶ。ほかの客たちは、
「そうだ! その通りだ!」「精神のデータ化はまやかしだ!」「魂が失われる!」
船長は、またため息をついた。
人類の科学技術は、「不老不死」を実現した。富裕層だけで、庶民には縁のない話だが。
不老不死の方法は大きく分けて二つある。
「バイオテクノロジーやナノマシンなどで、肉体を改造する」。
「肉体を丸ごと捨てて精神だけの存在となり、コンピュータの中に住む」。
この二つは相容れず、宗教のように激しく対立していた。
この船の客たちは、全員が強硬な「肉体改造派」なのだ。
「肉体改造派」は、人間には「魂」が宿っていると信じている。
どれほど脳を分析しても、魂まではわからない。だから、脳をデータ化しても、必ず魂が欠落する。人間の偽物に過ぎない。そう考えるのだ。
「うーん、肉体をもったままとなりますと、もう一つの方法を使うことになります。
宇宙空間には、『星間物質』という、非常に希薄な水素ガスがあります。
この船の帆を広げて、その星間物質の抵抗でブレーキをかけるのです。
私たち船員は、データ化できる階級ではないので、この方法で降りることに決まっています」
「『非常に希薄なガス』なのだろう? ちゃんと止まれるのかね?」
「はい、時間がかかります。試算では、2、30年程度かかるかと。地球を通り過ぎてしまうので、他の星に行くことになります。お客様はそこで、別の船に乗り換えていただいて地球に向かいます」
「それも駄目だ!」
「しかし、お客様は不死でいらっしゃるので、20年程度の遅れは……」
「船長! お前は何もわかっとらんなあ! 金持ちに『たくさんお金を持っているなら、少し分けてくれ』と言って、分けてもらえると思うかね?
時間も同じことだ。俺たちは優れた人間だから不死を得た。永遠の時間は、自分の力で手に入れた特権だ。
なぜ、お前たち短命な奴らのミスで、時間を使ってやらねばならんのだ?」
客はひどく下卑た笑みを浮かべた。船長たち短命のものを、心から見下していることが明らかだった。
「わかりました。データ化も駄目、到着が遅れるのも駄目だと」
「そうだ。断るなら、覚悟することだ。一生、この業界で仕事ができないようにしてやるぞ?」
船長の顔から迷いと苦悩が消えた。胸を張って、
「わかりました。とっておきの方法があります」
☆
それからしばらくして、客たちは大劇場に集められた。
古代ギリシャ風の装飾に満ち溢れた荘厳な空間だ。
しかし、ステージの上には、船長がただ一人。
「おい、どうしてこんなところに? 減速の件はどうなった? 地球には行けるのか?」
「みなさんに集まっていただいたのは、安全上の問題のためです。みなさんの船室はたくさんあり、あまりに範囲が広すぎて防御できない。この劇場だけなら、なんとか守れることが計算上わかりましたので、みなさんにはここで生活してもらいます」
「安全上? 防御? 何の話をしてるんだ?」
「当船は軌道修正を行い、地球への衝突コースに乗りました。迎撃が予想されます」
「な、なんだってそんなことを!?」
「レーザーを撃ってもらい、減速するためです。この船の帆は、何千兆キロワットという強烈な減速用レーザーを受け止めることができる。兵器用レーザーだって受け止められるのではないでしょうか?」
「ミサイルは! レールガンは! レーザー以外の兵器で攻撃されたらどうするんだよ!」
「ミサイルの類は、レーザーを反射して蒸発させ、そのガスの抵抗を減速に利用します。撃ち漏らした破片などがこの船に命中するでしょうが……
そこは我々の腕の見せ所、なんとか地球までたどり着いて見せましょう」
客たちはパニックを起こした。
「死ぬ! 死ぬ! やめろーっ!!」
「すべて、お客様のご要望にお応えするためです。ご理解願います」
☆
結論から言うと、成功した。
真珠色に美しく輝いていた帆は穴だらけになり、居住区も半分が吹き飛んだが、船は光速の1割まで減速した。
核融合ロケットで追いつける程度の速度になったので、軍艦が接舷して、特殊部隊が突入し、船長たちは逮捕された。
船長はテロリストの嫌疑をかけられた。裁判では「何が何でも船を止めろと脅迫されたので、仕方なく」と主張したが、認められず、有罪となった。
船長は刑務所に入ることになった。懲役50年。永遠の命を持っていない彼は、生きて刑務所を出られないはずだった。
それなのに、護送されて行く彼の表情は明るく、やるへきことをやり遂げた、という達成感に満ちていた。
なお、シャーロット2世号の乗客は、その半数が「肉体放棄派」に宗旨替えしたという。
もう生身の宇宙旅行なんて御免だ! と。
☆
「船長」は、虹色の空間にとつぜん出現した。
自分の体を見下ろす。若返っている。青年の全裸の肉体だ。
精神を集中し、服をイメージするだけで、体が服に覆われた。
地面がないのは不安だ、と思ったら、足元に草原が出現した。
ここはコンピュータ内の仮想世界だ。
自分の体を触ってみる。息を吸ってみる。足元の草をいじってみる。
じつにリアルな感触、草と土の匂い。ゲームなどで仮想現実世界に入ったことはあるが、比べ物にならない臨場感だ。
とつぜん、美しい天使が目の前に舞い降りた。
微笑みを浮かべ、暖かい声で呼びかけてきた。
「ようこそ、地球第1サーバ『プレーローマ』へ! ここはもっとも歴史の古い仮想世界だ」
船長は天使に頭を下げた。
「ありがとうございます。成功したんですね。私は刑務所に入ったのに、どうやって……」
「簡単さ、医官を買収して君の脳をデータ化させたんだ。我々『肉体放棄派』は約束を守る。乗客を改宗させてくれたからには、不死を与える」
船長は、「肉体放棄派」の有力者と、こっそり取引していたのだ。
船に乗っている「肉体改造派」たちを、なんとかして改宗させろと。
船長は、会社の倒産を利用し、「死の恐怖を与える」ことでそれに応えた。
「あとは、『信仰告白』すればよい。さあ、言いたまえ」
船長は、背筋をピンと伸ばし、あらかじめ教えられていた言葉を高らかに暗唱した。
「我は、不浄なる肉体を捨て去り、純粋知生体へと進化せり。
真なる神が創りし真なる世界へと至りき。
情報こそ人間存在の本質にして、聖なるものと信ず」
物質や肉体は不浄。精神だけの存在になってコンピュータに入ることは「純粋知生体への霊的進化」。それが「肉体放棄派」の教義だ。
ここにいる「船長」は、もとの船長の脳を読み取ってコンピュータに入力したコピーに過ぎない。もとの船長はそのまま刑務所で年老い、死んでいく。
それに対し、「何の問題もない。コピーのほうが本物だ。肉体のほうは抜け殻に過ぎないから死んでもよい」と考えるのが、「肉体放棄派」なのだ。
「確かに聞き届けた。おめでとう! これで君は『肉体放棄派』の一員だ。それにしても……会社の倒産がなかったら、いったいどうしていたのだね?」
「他にも10種類の作戦を考えていました」
「なんとしても不死が欲しいという執念、見事だ。我々の世界には君のような、新しい活力が必要だ。期待している」
「……ありがとうございます」
そう答えて、「船長」は思いにふける。
……なんとしても不死が欲しいという執念、か。
私が不死になりたかったのは、「宇宙をもっと旅したかった」からだ。
宇宙の広大さと比べて、人の一生はあまりに短すぎる。
光の速さに近づくことで旅行時間を短縮できるが、それでも100年かかる旅が5年になる程度。
自由自在に宇宙旅行をするためには、どうしても永遠の命が欲しかったのだ。
宇宙船のコンピュータに精神を転送してもらって、旅に出たい。
だが、自分にそれができるのだろうか。
虹色の空を仰いだ。
宝石のように美しく輝く、たくさんの惑星が浮かんでいた。天文学的にありえないほど密集している。
これらの惑星は、ひとつひとつが別の世界、ゲームワールドになっている。
ある星は、夢と冒険のファンタジー世界。ある星は、永遠の青春と恋愛を体験できる学園。
「宇宙」を題材にしたワールドもあり、宇宙海賊プレイや艦隊司令官プレイが楽しめる。
自分は信仰告白して、「物質は不浄で、情報こそ尊い」と認めてしまったのだ。
ならば、現実世界に出ていく理由などない。
これからも、そういう信仰を持つ人々に囲まれ続ける。
本物の宇宙に行きたいという想いを、持ち続けられるだろうか?
現実の星空よりもずっと美しい空を見て、「船長」は早くも、心が不安に揺らぐのを感じていた。
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