第41話「冷凍の方程式」
冷凍睡眠客船「エターナルフォースブリザード003」は、惑星フラマリオンから地球に向けて出発した。
動力は昔ながらの核融合。巡行速度は光速の10分の1。60年かかる旅路。
乗組員も乗客も、カプセルの中で凍り付いて眠り、年を取らずに過ごす。
貧困層が乗る船だ。
金持ちは、準光速(光に近い速度)の宇宙船に乗る。
密航者が発見されたのは、出港してから30日後だった。
居住区の狭い食堂に、三人の人間がいる。
船長のジェローム・スミスと、モジャモジャ頭の甲板長ミンスキー。
そして、簡易宇宙服を身に着けた美少女。
短く切った銀色の髪。栄養失調状態で血色が悪いが、意志の強そうな大きな瞳が美しい。
「……ハッ、ハッ…ハッ……」
その美少女が、出されたチキン定食を、すさまじい勢いでがっついている。
食べ終わって、最後に水を一気飲みする。
しばらく待って、落ち着いた様子になったので船長が話しかけた。
「君の名前は? なぜ密航した?」
「……私はライラと申します。どうしてもフラマリオンの生活が嫌で、豊かな地球に行きたくて……」
船長はため息をついた。
そうだろう、それ以外に動機はないと思っていた。
惑星フラマリオンは、地球から6光年の近距離にあるが、地球が近いという以外何も良い所がない、貧しい星だ。
テラフォーミング(惑星改造)中に大事故が起こって中断されたため、空気は薄いまま。惑星全体が砂漠。
膨大な資源があるという情報を信じて移民団が渡ったが、実はその情報はロボット探査機のプログラムミスによるもの。資源は乏しかった。
移民団の末裔は、ご先祖さまの短慮を恨みながら暮らしている。
酸素マスクを着け、風呂に入る水すらなく、バクテリアを培養して作ったタンパク質ペーストを食べて……
「お父さんとお母さんが、一生懸命働いて、私を地球に運ぶお金を貯めてくれました。チケットは買えたんです」
「ではチケットを見せてくれ」
「買えたはず、なんです。悪い叔父に騙されて、お金を奪われました。叔父は別の便で地球に向かってます。信じてください、本当は買えたはずなんです」
「可愛そうだとは思うが、現にチケットを持っていない以上、君を地球に運ぶことはできない」
「じゃあ、私はフラマリオンに送り返されるんですか? いやです……」
船長は口ごもった。
黙ってしまった船長の代わりに、甲板長が冷たく言った。
「……もっと悪い。送り返す事はできないんだ。
すでに加速開始してから30日だろ? フラマリオンに引き返せる限界はとっくに超えてる」
核融合エンジンの宇宙船が光速の10パーセントまで加速するには膨大な燃料(推進剤)を必要とする。
減速するにも同様だ。
基本的に、この船は「光速の10パーセントまで加速して、目的地が近づいたら停止する」だけの燃料しか積んでいない。
今は、すでに光速の8パーセント。スピードが付きすぎているので、止まるだけで燃料の大部分を使ってしまう。
帰るための再加速ができない。
燃料漏出に備えて多少の予備はあるが、その程度では足りない。
「じゃあ……」
「君は処分される。殺すってことだ」
「チケットのお金は、地球に行ってから必ず払います! 約束します!」
手を合わせて涙を流すライラ。
船長はため息をついて答えた。
「お金の問題じゃないんだよ。君のぶんのカプセルがないんだ。
この船には、乗客がぴったり5000人、私たち乗組員が2人。5002人の冷凍睡眠カプセルしかない」
「予備とかは……」
「予備は故障した。直そうと試みたが、フラマリオンで手に入る部品では直せなかった。君を冷凍睡眠させようと思ったら、誰かをカプセルから出して、その人に死んでもらうことになる」
「……やれやれ、まるで、『冷たい方程式』だな」
「甲板長、なんだいそれは?」
「昔のSF小説だよ。宇宙船に密航者の少女がいて、その少女のせいで燃料が足りなくなる。宇宙船の全員を死なせるか、少女を殺すか、という二者択一の話なんだ。けっきょく、『少女を殺すしかない』というのが、方程式の答えになる。
その後、『方程式もの』というジャンルの小説がいろいろ書かれたんだ。
私なら違うやり方で方程式を解ける。私なら少女を助けられるっていってね。
人間を乾燥させて体重を減らすとか、人間を手術で繋ぎ合わせたり、脳みそだけにするとか……」
ライラが立ち上がった。
「私も手術してください! 手足を切って体を小さくすれば、ほかの人のカプセルに入れます。脳みそだけになってもいいです!」
「無茶をいうな。小説と現実は違う。そんな難しい手術、私達にはできない」
「なんとか方法はないんですか、冷凍睡眠カプセルは本当に修理できないんですか。ほかのもので代用するとか……」
そこで甲板長が、掌を机に叩きつけた。怒りも露わにまくしたてる。
「簡単に言ってくれるな! 冷凍睡眠は人類が生み出した科学技術の中でもっとも偉大なものだぞ。
そもそも冷凍睡眠という言葉を使うこと自体が間違いなのだ。
『睡眠』では心臓も呼吸器も動いているが、『冷凍睡眠』では止まる。まったく睡眠じゃない。
『人工冬眠』という呼び方のほうがまだ近いといえるだろう。
正確にはクリプトビオシスという現象で、これはクマムシという小型の虫が、極度の乾燥や真空状態で体を仮死状態にするものだ。
人工冬眠技術はこのクマムシを徹底的に研究したうえで、人類の宇宙進出の切り札として開発された。
特殊な糖類を細胞に浸透させて、凍結時に細胞が破裂することを防ぐ。
さらに医療ナノマシンで、ミトコンドリアの活動を同時に停止。
全身の何十兆という細胞を同期させて全部止めるんだぞ? これが可能になるまで多くの犠牲者をだした。
準光速(光に近い速度)宇宙船が実用化された今日でも、人工冬眠技術の偉大さは……」
そこまで言った後で、甲板長は我に返り、頭を下げた。
ライラは口を開けてポカンとしている。
「す、すまない。つい夢中になって……俺は熱狂的な『人工冬眠マニア』なんだ。冬眠技術を愛している。冬眠装置をいじるのが生きがいだ。
冬眠船は一回の航海で50年も100年もかかるから、普通の人は乗組員になりたがらない。変人ばかりなんだ」
「謝る必要はないよ、甲板長。言っていることに間違いはないんだから」
それからも、ライラは食い下がった。
こういう方法ならどうか、これならどうかと。
船長と甲板長は、それらすべての方法を、理路整然と否定した。
ライラを冬眠させる方法はない。
惑星フラマリオンに帰す方法もない。
ライラが最後に出したのは、冷凍睡眠なしで60年生き、老女の姿で地球にたどり着くという方法だった。
自分以外の全員が死体のように凍り付いた中で、たったひとりで60年。
その孤独のストレスは、計り知れない。
病気になっても医者はいない。
「私はそれでもかまいません。耐えて見せます」
「気持ちはわかるが……やはり食料の問題があるな、甲板長」
「そうだな。この船の食料は、俺たちふたりのぶんだけ、1000食くらいしか積んでない。
君を60年生かすには、少なくとも7万食が必要。まるで足りない」
「農業できるような設備もない。餓死するね」
こうして、最後の可能性も否定された。
「じゃあ、わたしは、死ぬしかないんですか……」
「そうなるな。
甲板長、君は席を外してくれ。コンピュータのチェックでもやっていてくれ。
私が責任者だ。手を汚すのは私だけでよい」
甲板長は、沈痛な表情で立ち上がり、食堂を出て行った。
「待ってください……!
私は死ぬのは、わかりました。
でも、その前に、私の話をきいてください。
わたしが、あの砂の星フラマリオンで、どんな生活をしてきたか。
どんなに、地球に行きたいと思っているか……
はなしを、きいてください。
わたしのことを、おぼえていてほしいんです……!」
「わかった。聞こう。いまから殺す人間の義務だ。
たとえそれが自己満足であっても」
ライラと船長は、椅子に座りなおした。
そしてライラは語る。
何時間も、静かな口調で、だが淀みなく、途切れることなく。
顔を悲しげに伏せたまま。
船長の胸に、ライラの身の上話は深く突き刺さった。
ほんとうに哀れな娘だと思う。ほんとうに助けてやりたいと思う。
だができない。私は船長なのだ。客を殺すことなど、できるものか。
ライラの話が一段落したので、船長は護身用の拳銃を取り出す。
頭を一撃、苦しませないつもりだ。
「……ねえ、船長さん」
「もう、話は十分に聞いたよ」
「さいごに、船長さんのことを教えてください。
船長さんは、どうして冷凍船の船長やっているんですか?
ふつうの人はやりたがらないって、言ってましたよね。
でも、船長さんは冷凍睡眠マニアというわけじゃない。
どうしてですか?」
「それは秘密だ」
「わたしはこれから死ぬんです。あの世まで秘密を持っていきます。
誰にも知られませんよ」
そこまでいわれると……
「わかった。
私が冷凍睡眠船に乗っているのは、妻のためなんだ」
「奥さん……ですか?」
「ああ。私と彼女は、惑星フラマリオンを環境改造するためのプロジェクトに取り組んでいた。
地球に遜色ない緑の星になるはずだったんだよ。
事故が起こって、彼女は死んだ。改造計画は中止になった。
私は彼女の遺志を継ぎ、改造計画をなんとか再起動させようと努力した。
だが、改造中止は覆らなかった。
私は、ずっと見守りたかったんだ。
彼女が命をかけた惑星を、何百年、何千年、この先どうなっていくのか、ずっと寄り添って見守りたかったんだ。
だから、フラマリオン便の船長になった」
この事情を言うのは初めてだった。
胸は楽にならず、むしろ痛みが増した。
だがそれでも、ライラが納得して死んでいけるのならば。
ながい沈黙。
ライラはずっと伏せていた顔を上げた。
「それ、私のご先祖様です」
「なんだって……?」
「船長の奥さんは、私の一族のご先祖様です。
ほんとうは事故で亡くなっていなかった。
負傷して、記憶を失った状態で救助されていたんです。
数年たって記憶が戻ったあと、あなたのことを探していました。
でも、見つからなくて、諦めて現地の人と結婚しました」
船長の血の気が引いた。
数年後には、すでに冷凍船に乗って宇宙を旅していた。見つからないのも無理はない。
「ご先祖様は、ずっと言っていたそうです。
年老いて、しわくちゃになって死ぬまで。
どうして、私を探してくれなかったんだって。
私のところに来てくれなかったんだって」
凍り付いている船長。
ライラは顔を近づけて、声色を超えて、ささやきかけた。
「……ねえ。どうして来てくれなかったの、ジェローム。
スキャパレリ大学で会った時から、ずっとあなたは私を追いかけてくれたのに。
どうして私を、貧しい砂漠の星に閉じ込めたの?」
今度こそ船長は心臓の止まる思いを味わった。
教えていない。自分のファーストネームがジェロームだということも。
妻と知り合ったのが火星のスキャパレリ大学だということも。
なぜ知っているのか。妻当人から聞いたのだ、としか考えられない。
では。ライラが言っているのはすべて本当?
私が、妻を想ってやってきた、船長としての人生は、すべて間違いだった?
自己満足と勘違いで、妻の心を踏みにじるだけの行為だった?
だがもう償いようがない。
どうすれば。私はいったいどうすれば。
その時気づいた。
右手の中に、汗でぬめる金属の感触。
自分が拳銃を持っていることに。
☆
船内に銃声が轟いた。
銃声自体には、甲板長は驚かなかった。
ああ、「処分」に銃を使ったのか。
備品に傷をつけられると困るな、大丈夫かな。
そう思って、様子を見に行った。
「終わったかい……?」
ドアを開けて食堂に入ってきた甲板長は、見た。
拳銃を握り、頭から血を流して倒れている船長。
座り込んで、茫然と動けないでいるライラ。
「なっ……」
あわてて駆け寄る。
だが駄目だ。もう船長は絶命していた。
「お前……何をした!」
ライラに詰め寄る。だがライラは力なく首を振るだけだ。
「わかりません……私は何もしてないんです。
ただ、船長さんとお話をしていただけなんです。
そうしたら船長さんが、とつぜん自殺して……
天井に防犯カメラがありますよね、あれを見ればわかるはずです。
私は、船長さんに指一本触れていないって」
甲板長は納得しなかった。
「言葉で誘導して、自殺させたんだろう。
『誰かを殺せば、自分が入る分の冬眠カプセルが空く』……
それがお前の、方程式の答えだったんだな!」
「なにか証拠があるんですか? 私が船長さんを殺したって。
証拠もないのに、あなたが私を裁けるんですか?
それよりも……
冷凍睡眠カプセルが、一人分空きました。
私がそれに入れば、私は生きて地球まで行けます。
無駄にするんですか、カプセルを。
人類の科学技術の中でもっとも偉大なものなんでしょう?
それくらい冷凍睡眠を愛しているのに。
その偉大な技術を、無駄にしてよいんですか?」
「くっ……!」
甲板長は、怒りで歪んでいた顔を、さらに硬直させた。
たしかにそうだ、愛する人工冬眠技術を無駄にするのは耐えられない。
それで救える命があるのなら……
殺人犯の命だったとしても……
「お前は地球に送り届ける! だが、そのあとで裁判にかけられる!
お前が望んでいた豊かな暮らしは手に入らない!」
☆
甲板長はプロだった。ライラのことを殺人犯と疑い、憎んでいても、ライラが冬眠するための準備をちゃんと行った。
ライラは三日かけて特殊な薬品を飲み、体内の細胞に医療ナノマシンを浸透させた後、裸になってカプセルに横たわった。
カプセルの中の温度が下がっていく。それに合わせて体温が低下、医療ナノマシンが活動を開始。
カプセルの透明な蓋が霜で覆われていくのを見ながら、ライラは思っていた。
私は地球で裁判にかけられて……有罪だろうか?
それでも構わない。豊かな地球の刑務所は、きっとフラマリオンより快適だろうから。
……ご先祖様に感謝しないと。
ウソではなかったのだ。
あの甲板長は、なんらかの策略で船長を殺したと思い込んでいる。
だが、すべて本当のことなのだ。
私のご先祖様が、あの船長の妻だというのは。
ご先祖様が、どうしてあの人は来てくれなかったのかと言い続けて亡くなったのも。
ただ私がやったのは、それを利用しただけ。
船長のファミリーネームが私と同じだと聞いて、もしやと思って、わずかな可能性に賭けただけ。
こんなにうまくいくとは。
『ご先祖様が私を助けてくれた』。
それが、方程式の答えだ。
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