第40話「午後の人間」

「それ」に初めて出会ったのは、日本の秩父地方でピクニックを楽しんでいた家族だった。


 家族連れが、汗を拭きながら坂道を登っていると、すぐ脇の森から、数人の原始人が現れたのだ。

 浅黒く日焼けした肉体、腰に毛皮を巻き付けて、石槍を担いだ男たち。


 子供は目を輝かせた。


「げんしじん! げんしじん!」


 父と母は当惑した。


「こ、コスプレ?」

「山の中で?」

「ずいぶん本格的ね? 映画の撮影じゃない?」


 しかしカメラマンの姿はない。

 戸惑いながら、片手を上げて挨拶すると、


 スウッ…


 原始人たちは、親子連れに反応せず、ぶつかることもなく通り抜けた。

 幽霊か幻影のように。


「なっ…」

「どういうことよ!?」


 彼らの驚愕をよそに、また上の方から別の原始人が歩いてきて、今度もまた、スウッと通り抜けた。


 その日以来、世界のあちこちで、原始人の幻が現れるようになった。

 山中だけでなく、街の中にもお構いなく出現した。

 人間は、彼らに触れることはできず、みな通り過ぎた。

 彼らは現代人のことなどまるで無視して、歩き回ったり、狩りをしたり、焚火をしたり……

 原始人たちはカメラには一切映らなかった。

 しかし、ただの幻覚ではなかった。その場にいる人間全員に見える幻覚など、ありえるだろうか?


 たくさんの原始人たちの幻で、人間社会はパニックに陥っていた。

 しかも、原始人だけではなくなってきた。少し時代が下り、甲冑を着て馬を駆る武者や、畑を耕す農民が現れたのだ。

 こちらも、同じように触ることはできない。

 家も壁も通り抜けて走り回り、戦争する。


 幻影人間の大量出現!

 この怪現象に対応するため、識者が集められて会議が開かれた。


 未知の病原菌による集団幻覚。

 軍が幻覚兵器を極秘理に実験している。


 これらの説はすぐに否定された。

 世界中でいっぺんに実験などありえるはずがない。 


 異星人による攻撃。

 神の啓示。


 トンデモない説だったが、そういった超常存在を考えないと説明がつかない。


 だが、異星人の攻撃だとして、いったいどうやって対処すればよいのか。

 会議の全員が頭を抱えるなか、ひとりのSF作家が手を挙げた。


「私は、これと同じようなSF小説を読んだことがあります。

 星新一の『午後の恐竜』という有名な作品です。

 世界中に、恐竜の幻影が現れる話です。

 実は、その恐竜というのは『走馬灯』だったのです。

 地球という星がもうすぐ死ぬので、いままでの人生を思い出していたのだ、という話です」


 会議の参加者たちは興味を示してきた。


「そんな馬鹿な、と言いたいところだが、異星人や集団幻覚も馬鹿げた説だ。意外と、走馬灯説が正しいのかもしれない。

 それで、そのSF小説のなかでは、どうやって地球は救われたんだ?」

「救われてません」 

「何の役にも立たないじゃないか!!」


 解決策にはつながらなかったが、SF作家の「走馬灯説」は、有力な説になった。


 世界中のあちこちで、増える一方の幻影人間。

 時代は下り、銃を持ち、軍服を着て出現するようになった。

 平和な場面も少しはあるが、たいていは戦争中だ。

 むごたらしい虐殺をやっている真っ最中のこともあった。


 またしても会議が開かれ……こう発言があった。


「なあ、幻影人間は、人間の過去の罪を告発するようだと思わないか?」

「そうだな、戦争や虐殺をやっている幻が多い」

「うちの国では、小学校の校庭で、捕虜を殺して埋め始めた。教育上よくないことおびただしい」

「だが、これがもし、走馬灯だとすれば……」

「そうだな、宇宙人の宇宙船や電波信号は一切キャッチされていない、走馬灯説が正しいのかも……」

「走馬灯だとすれば、地球は、人類に絶望しているのではないでしょうか? 戦争や人種差別などを続ける人類に……」

「それで地球が自殺するとでも? 自殺の直前に走馬灯を見ている?」

「あり得ない話ではないでしょう?」

「地球上の戦争をみんな止めれば、きっと地球は思いとどまってくれるのでは?」

「しかし、いまは世界大戦の時代とは違う。戦争はほとんどない」

「ゼロではないでしょう!?」


 識者たちは、世界中の指導者に呼びかけた。


 『戦争を根絶しよう!』


 各国の指導者は、識者たちの意見を受け入れて、戦争を中止した。

 もともと小競り合い程度だった各地の紛争は完全に消えた。

 なにしろ、街中だろうが家の中だろうが好き勝手に現れる幻影人間のせいで、どの国も実害を被っていたのだ。


 ところが、幻影人間の出現は全く止まらない。増える一方だ。


「一体どうすればよいのだ……」

「まだ反省が足りないのだろう。一心に懺悔しよう、今までの人間のやったことを……」


 人々は、敬虔な信仰者のように、街のあちこちで手を合わせて祈り始めた。


 そんな人たちの前を、幻影の戦車部隊数百両が発砲しながら突撃して行った。


 識者も、他の人間たちも、忘れていた。

 ひとが、今までの生涯を思い返すのは、死ぬときだけではないことを。


 地球は、その超感覚で、感慨深く見つめていた。

 数ヶ月前に地球を旅立って火星に向かう移民宇宙船を。

 そして、こう思っていたのだ。


 ……立派になったものだ、人間は……

 ……とてもヤンチャで、喧嘩ばかりする子供だった。いくら言い聞かせても聞かなかった。今まで数え切れないほどの生物を育ててきたが、あれほど手の施しようがない悪ガキは他にいなかった。

 ……いっそ滅ぼしてしまおうかと思ったことも、一度や二度ではない。

 ……それがどうだ。喧嘩グセも克服し、破壊してきた自然環境も直して、ついに他の星にまで巣立っていく。

 ……移民宇宙船を見た瞬間、今まで人間たちのやってきたイタズラ、ヤンチャの記憶が一気に蘇ってきた。

 悲しかったこと、腹が立ったこと。でも今は、みな懐かしい……


 立派に巣立っていく地球人を、涙で見送る地球であった。

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