第32話「コスマッチの帰還」
人類初の恒星間宇宙船「コスマッチ」号が、一万年の長旅を終え、太陽系に帰還しつつあった。
純白の船体は流線型で、長年の準光速(光にきわめて近い速度)航行のおかげで傷だらけだった。
ふつうの宇宙船には必ずある燃料タンク(推進剤タンク)が、見当たらない。
かわりに、航空機を思わる巨大な翼を広げていた。
この翼こそ、空間そのものからエネルギーを取り出す「相転移エンジン」だ。
この新発明によってコスマッチ号は、燃料の心配から解放され、ただ相対性理論にのみ制限される。つまり、かぎりなく光に近い速度まで加速できるのだ。
ミハイル・グリェーヴィチは、コスマッチ号のたったひとりの乗組員だ。
ミハイルは一万光年の旅をしてきた。数え切れないほどの星を巡り、異星人と交流してきた。外の世界では一万年たったが、光に近い速度で飛んできたから、船内の時間はほとんど経過していない。少し白髪がでてきたくらいだ。
一万年の成果を引っさげて、意気揚々と還ってきたのに。
ミハイルは、コスマッチ号の操縦席にすわり、焦りと恐怖の声で、呼びかけ続けていた。
「太陽系、応答せよ。」
「地球、応答せよ。」
「火星、応答せよ。」
「セレス、パラス、応答せよ。
ガニメデ、カリスト、トリトン、応答せよ……
こちら、USSR宇宙局、深宇宙探査船コスマッチ号!」
USSRとはもちろん、太陽系共和国連邦(ユニオン・オブ・ソーラーシステム・リパブリック)の略である。
人類が幾多の戦争と差別を乗り越えて、ついに築き上げた、世界統一国家。理想社会。それがUSSRだ。
「応答せよ……応答……」
ふるえる声は途中で途切れた。
本当はわかっているのだ。こんな無線など、いくら呼びかけても無駄だと。
現実を認めたくなかっただけだ。
なぜなら、コスマッチ号の外部モニターには、黄色い太陽と、それを取り囲む、何億という膨大な小惑星だけが表示されていたから。
かつての太陽系にも小惑星帯があったが、あんな薄いものとは比較にならない。
無限にも思える岩塊が、肉眼でもはっきり見えるほど濃密な雲になっている。
それだけが、いまの太陽系の姿。
「どういうことだ……なにがあった……?」
人類はようやく戦争と決別して統一国家をつくり、相転移エンジンという理想の動力も手に入れた。
これから黄金時代がやってくる。そう思っていたのに。
一万年間で、どれだけ素晴らしい文明を築くだろうかと、思っていたのに。
ミハイルは、巨大小惑星帯のなかに、コスマッチ号を突入させた。
電波はないか。宇宙船らしきものは。少しでも文明の兆候は……?
何日調べても、まったく見つからない……
絶望した、そのとき。
巨大小惑星帯の外側、だいたい1000億キロの距離から、弱々しい電波信号が飛んできた。
「コスマッチ号ですね。こちらソーニャ・エフレーモフ。……天文学者です。軌道○○○○○○にお越しください。コスマッチ号の帰還を歓迎します、長旅お疲れ様でした」
「おお!」
感動の声を上げ、指示された軌道に向かう。
電波の源は、原始的な核融合エンジンと燃料タンクを乱雑につなぎ合わせた、素人の日曜大工にしか見えない宇宙船だった。
船には武装らしきものは一切ない。望遠鏡やパラボラアンテナなどの観測機器があるだけだ。
接舷し、船内に入ってみた。
狭苦しい操縦席に、小柄な誰かが、宇宙服を着て座っている。
醜いミイラだった。あまりにもボロボロで、男か女かもわからない。
「ムッ……」
長旅でいろいろなものを見てきた。だから悲鳴はあげないが、哀れな姿に眉をひそめた。
メッセージを送ってきたのは人工知能かと思い、操縦席をざっと調べた。
どうやら違うようだ。この船はエンジンだけでなくコンピュータも旧式で、人工知能などと呼べるものは搭載されていない。相転移エンジンの反応をキャッチすると、あらかじめ記録してあったメッセージを送る、その程度の機能なのだろう。
ただ、コンピュータの中に動画ファイルがあった。
それを再生する。
モニターに、金髪で小柄な、賢そうな顔立ちの娘が現れた。
美人だとは思うが、ひどく疲れ、憂いている表情だ。
すっと背筋を伸ばし、精一杯の笑顔を作って、喋り始めた。
「はじめまして。『コスマッチ』号のミハイル・グリェーヴィチ航宙士。
わたしはソーニャ・エフレーモフ。
最後の、天文学者です。
あなたのことはよく知っています。
父や祖父から、あなたの話を聞いて……ずっと小さな子供の頃から、憧れていましたから。
世界初の恒星間宇宙船、コスマッチ号のパイロット!
全人類の代表として銀河を駆ける男!
歳を取ることもなく。光の速さで。
きっと、数えきれないほどの神秘を、冒険を、味わって、駆け抜けているのだろうと……
『コスマッチ』という名前も素晴らしいです。
宇宙の人、という意味ですよね。
宇宙飛行士の古い呼び方なんですよね。
銀河を駆ける船に、これほどふさわしい名前はないと思います。
太陽系開拓時代初期、宇宙飛行士たちが歌っていた『コスマッチの歌』も、わたしは歌えます。
『われらが兄弟 コスマッチは 光線のように空間をゆく
凍りついた天球の間を はてしない静寂の中を』……」
笑顔だったソーニャは、そこでまた暗い顔に戻り、
「あ、すいません、興奮してしまって。
きっとグリェーヴィチさんは不思議に思っているはずです。
太陽系は、地球はどうなってしまったのだろうって。
わたしは、グリェーヴィチさんより、たった100年後の人間です。
グリェーヴィチさんが旅立ったあと、相転移エンジンには宇宙船の動力源だけじゃない、爆弾としての使い道もあることが分かったんです。
時空間そのものを破壊して、核兵器以上のエネルギーを取り出す、惑星をも壊す爆弾……
そのとたん、USSRを構成する15の共和国が、ギスギスして、こっそり軍備を蓄えて、対立をはじめたんです……
相転移爆弾以外も、あらゆる兵器が揃えられ、そして戦争がはじまりました。
最初は通常兵器で戦われましたけど、すぐにエスカレートして相転移爆弾が使われました。
海王星のトリトンが跡形もなく吹き飛ばされて、10億人が亡くなりました。
共和国がひとつ、一瞬で全滅したんです。
もう、誰も戦争を止められませんでした。
戦争に反対する者もいましたが、人民の敵だ、反動分子だって言われて、殺されました。
わたしも反対したかったけれど、父さんも、母さんも、友達も、みんな殺されて……怖くて……
だからわたしは逃げたんです。
こんな醜い争いの中から。
美しい星々だけを見たくて。
ガラクタをかき集めて、宇宙船を作って、行けるだけ太陽系から離れたんです。
相転移エンジンさえあれば、グリェーヴィチさんを追いかけていくこともできたのに。
高性能なエンジンもコンピュータも、軍需物資として統制されているから、こんな船しか作れなくて。
太陽系の外だけど、他の星まではとても届かない、ほんのすこし、はみ出しただけの場所で。
毎日、星だけを見ていました……
気が付くと、太陽系の惑星も衛星も、ひとつも残っていませんでした。
ねえ、グリェーヴィチさん。
あなたは、人類のために大冒険をしてきたけれど、でも、人類はそれに応えられませんでした。
あなたが持ち帰ってきた情報なんて、受け取る資格なかったんです。
せっかく相転移エンジンという無限の翼を手に入れたのに、こんな使い方しかできない人類。
人類のことなんか忘れてください。
たくさんの神秘と、驚異と、わたしなんかには想像もできない、美しい物があふれている銀河に、再び飛び去ってください。
でも、これだけは伝えたいです。
あなたが旅立って、たったの100年で人類は、太陽系は滅んでしまったけれど。
でも、あなたは一万年、醜い殺し合いに関わらず、旅を続けていた。
これからも旅を続ける。
高貴に。清らかに。孤高に。
それだけで。たったひとりでも、例外がいるというだけで。
わたしの心は救われるんです。
だから、ありがとう、グリェーヴィチ航宙士。
偉大な、コスマッチ」
動画はそこで終わっていた。
ミハイルはしばらく凍りつき、やがて、操縦席に腰掛けるミイラの前に、しゃがみこんだ。
ひからびてヒビだらけの、褐色に変化した皮膚。眼球が欠落し、洞窟のように落ちくぼんだ目。
だけど、この女の子を醜いと思ったことを、心から恥じた。
「……なにが、偉大なコスマッチだ。
きみが、こんな女の子が、太陽系全部の殺戮の狂気の中で。
それに呑み込まれず、溺れず……
きみのほうが偉大じゃないか。
それなのに俺は、太陽系がどうなっているかなんて気づきもせず、誰も助けられず……
きみが、こんなに苦しんで悲しんでいるのに……」
太陽系が木っ端微塵になり、全人類が滅亡した後、彼女はこの船で、どう過ごしたのか。
動画を撮影して、そのあとは……
死ぬまで、星を眺めていたのか。
決して手の届かぬ星を。
コスマッチの歌を口ずさみながら。
ミハイルは立ち上がった。
拳を握りしめていた。
為すべきことは定まっていた。
「コスマッチ」号の操縦席に座るミハイルは、決意の表情でモニターを見つめている。
もう、他の星の情報を持ち帰る意味は無い。
だから、伝えに行こう。
あまねく宇宙に。
人類のことを。
星に恋い焦がれ、やがて星の世界に飛び出し、そこを住処とし。
もっと遠くの星へと羽ばたく力を手に入れたが、使い方を誤って滅びた。
その悲しい歴史のすべてを。
他の星の人々……異星人に、こんな歴史を歩んでほしくないから、伝えに行こう。
ただひとりの生き残りとして、寿命が尽きるまで。
ほんとうはソーニャの遺体も船に乗せるつもりだったが、一万年間の間にボロボロに損傷していて、動かしただけでも崩れ落ちてしまいそうなので、断念した。
彼女の想いを連れて行く、それで良い。
「コスマッチ号……いいや、『ゼムラーニャ』号、相転移エンジン再始動、加速開始。
第一目標、竜座シグマ星」
コスマッチ号の名前は変えることにした。
「ゼムラーニャ(地球人)」号。
地球人の純粋な願いと、醜い愚行を、すべて背負っていくために、この名前しかないと思った。
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