第31話「夢を見るな」

 (残酷表現があります。ご注意ください)


 教師は、乱暴に戸を開けて、教室に入ってきた。


「所持品検査を行う!」


「えーっ!? そんな話、聞いてませんよ」

「抜き打ちだからこそ意味があるんだ。全部出せ、鞄の中も、机の中も!」


 生徒たちがしぶしぶ出したら、教師は大声でどなり、因縁をつけていく。


 頭の良さそうな少年のカバンをひっくり返し、中からカードゲームをつかみ出す。


「お前! なんだ、ゲームなんぞ持ってきて」


 カードを全部、床にぶちまけた。


「えっ、これは海外のカードゲームで、知的な玩具として高く評価されてるんです。ゲーム機とは違うんです」

「くだらん! 魔法とかドラゴンとか書いてあるじゃないか。現実逃避には違いない、こんなもんやってると、現実とファンタジーの区別がつかなくなって、犯罪者になるぞ! 没収!」


 こんな具合で、教師は「現実逃避」が大嫌いだった。

 マンガも、ゲームも、アニメも、すべて現実逃避で、くだらないもの。

 ありもしないものに夢中になるなんてバカじゃないのか、が口癖だ。


 さんざん生徒たちに悲鳴を上げさせた。

 最後に、教師は、ひとりの女子生徒の前で立ち止まった。

 おとなしい顔立ちにメガネをかけた子。

 机の上に積み上げられているのは教科書、ノート、ペン、ハンカチなど。

 教師の逆鱗に触れる「現実逃避」の品はない。


「あのう。わたしは、見ての通り、なにも変なものは持ってないので」

「尻尾を隠しているわけだな?」

「え……?」

「俺だってインターネットくらいはやってるんだよ。だから、ネットでお前が妙な活動……気持ち悪い絵を描いたり、小説もどきのゴミを書き散らしたり、そういうの把握してるんだよ。

 とくにお前は、親御さんから相談されている。

 娘が、妙なモノにハマっているらしいと」


 教師は、自分のカバンから紙の束をだした。

 なにか、小説のような文章が印刷されている。


 教師はそれを読み上げていく。

 男同士の、赤裸々で、肉欲にまみれた愛の物語を。


 眼鏡の少女は青ざめて、下を向いてガクガクと震えだす。


「これを書いたのはお前だな? わかってるんだ」

「や、や、やめてください! 持ち物に関係ないし、家に帰ってから何をやっても、そんなの学校とは関係が……!」

「関係あるとも、こんな変態的なものを、青少年が書いていいと思っているのか。みんなはどう思う?」


 クラスのみんなは顔をそむけたが、


「どう思う?」


 と重ねて問いかけられて、


「そ、そうですね、良くないと思います……」

「お前は?」

「はい、変態は変態だと」


 クラス全員が「ヘンタイ、ヘンタイ」という言葉を繰り返す。

 眼鏡の少女は、かたく拳を握って、眼から涙をにじませている。


「お前たちは現実から逃げている! だが、逃げてはいけない。この若さで逃げてしまったら、社会に出たらどうする? もう親も教師も助けてくれない、仕事も結婚生活も、みんな一人で乗り越えなければいけないんだ、その大変な人生に直面できるように、俺はお前たちを鍛えてやっているんだ。きっといつか、お前たちは俺に感謝するだろう」


 少しやり過ぎただろうか?

 苦情が来るだろうか?

 いいや、そんなことはない。

 俺は運動部の指導で実績を上げている。 少しくらい苦情があったって、俺が処罰されることは無いはずだ。

 そもそも、苦情が来たってどうどうと反論すればいい。

 現実から逃げ続けて、ニートや引きこもりになってしまう悲劇と比べれば、このくらいのショック療法がなんだというのだ。

 

 俺は良いことをしたんだ!


 ☆

 

 教師は、ハッと目を覚ました。

 そうか、夢か。夢に決まっているよな。

 そうとわかっていても、二度と還れない、充実していた頃のことが懐かしく、涙すらにじんでくる。

 あたりは闇。埃と汗臭い部屋を、小さく弱い炎……獣脂のロウソクだけが照らしている。

 もう電気などないのだから。

 痩せて疲れた体をゆっくりと起こす。

 暗い部屋の中には、自分と同じ、汚い服を着て痩せた人間が、ゴロゴロと、数十人も密集して転がっている。


「おい、薬が切れた。追加を持ってきてくれ」


 教師が呼ぶと、フードで顔を隠した男がやってきた。


「あなたに出せる薬は、それで限度です」

「ふざけるな、良いところだったんだ」

「ネズミ5匹だけではね。ネズミなら20匹、人肉なら1キロ、缶詰なら1つ。それだけ持ってきてくれれば、1日じゅう酩酊できるだけの薬をだしましょう」

「ネズミ20、人肉1キロだな、絶対だな」


 もう一人、フードで顔を隠した人間が来て、女の声で言った。


「ここの患者を殺すのはご法度ですよ、もしやったら、出入り禁止にさせて頂きます」

「わかってる、そんなことは!」

 

 この「病院」は、いまの世界ではたった一つの娯楽だ。

 麻薬を打ってもらって酩酊し、楽しい夢を見ることだけが……


 教師は、建物の外に出た。

 とたんに、薄いコートでは防ぎきれない寒さが、骨にまで染みこんでくる。

 あたりは、まさに廃墟。

 巨大なビルが横倒しになっている。

 倒れていないビルも、傾いて、窓ガラスは全滅。

 道路には、真っ赤に錆びた自動車が何百と放置されている。

 そして、すべての上に、灰色の雪が降り注いでいた。

 核戦争があったのだ。

 この雪にも、空気にも、きっと強い放射能があるのだろうが、それを気にする者はもういない。

 50歳まで生きられる人間が誰もいないことも。

 生まれてくる子供の大半が、人の形をしていないことも。

 疲れて、諦めてしまったのだ。

 わずかな食料だけを求めて、今日も街をさすらう。

 缶詰やカップ麺、乾パンでも見つかればご馳走だが、最近は採り尽くしてしまった。

 いまは何でも食べるしかない。

 野犬だろうが、ネズミだろうが、……人間だろうが。

 寒さで見を縮こませながら、つぶやく。

 

「ほしい。麻薬が、夢が……」


 また、幸せだった頃の夢が見たい。

 ふと、過去の自分のセリフが、胸の内で蘇った。


 ……「現実から逃げるな」

 

 罪悪感は、ほんのわずか。教師の脚を止めることはなかった。


 状況が違うさ……

 奴らは、平和で豊かな日本社会の中で、現実逃避した。

 でも俺は、地獄の中にいる……

 人が耐えられる環境じゃない。

 少しくらい夢を見たがっても、仕方ない……

 そう自分を正当化しながら、瓦礫の街をうろついた。

 ダメだ、何も見つからない。

 ただでさえ暗かった空が、ますます暗くなりつつある。

 夜が来る、電気も灯油も尽きた世界だ、家にこもるしか無い。

 ねぐらにしているビルに、空きっ腹を抱えて戻ってきた。

 と、ビルの出入り口に、ひとりの子供が倒れているのに気づいた。


「子供だと……?」


 いまどき珍しい。とっくにみんな死んでしまったはず。


 教師は、子供に近寄っていく。

 ざっ、ざっ……

 足取りが、勢いよく、力強くなっていく。

 もちろん、助けるためではない。


「肉。肉……! 人肉なら1キロ!」


 まだ息があった子供を、ためらいなく、絞め殺した。


「ゲホッ、ゲホッ、助けて、たすけてママ……!」

「ママなんていねえ、現実から逃げるな!」

 

 そう言って、殺した。

 痩せていたが、それでも肉は取れた。

 

 明くる日、教師は鼻歌気分で、「病院」に行った。

 腹も膨れたし、これだけ人肉を持っていけば、大量の麻薬を打ってもらえる。


「おう! 肉ならたっぷりある! 約束したぞ、薬を出せ」


 そう言って、血抜きもしていない肉塊を掲げた。

 だが、フードを深くかぶった2人は、


「ダメですね」

「あなたに出せる薬はもうないです」


 教師は激高した。


「てめえ、どういうことだ、肉さえ持ってくりゃ出すって言ったろうがよ!」


 怒鳴りつけて、掴みかかった。


 そのとき、片方のフードが外れた。

 中から出てきた顔は。

 少年。かつてカードゲームを取り上げた、あの少年。


「な……?」


 もうひとりが、自分からフードを外して、笑った。


「だって、現実から逃げるのはいけないことだもの。ふふっ、先生、自分で言ったことをぜんぜん守れないんですね」


 その顔は、メガネを掛けた少女。同性愛の小説を読み上げて泣かせた、あの少女。


「ど、ど、どういうことだよ……? 俺を恨んで 、仕返しのつもりか……?

 でも、歳が……なんで歳をとってねえんだ??」


「そもそも、夢のなかでまた夢を見て逃げるなんて、おかしな話ですしね」

「先生、いつか気づいてくれると思っていたのに、ぜんぜん気づかない。わたし、おかしくて!」


 少年と少女のふたりは、そんな言葉をぶつけてくる。


「夢のなか? 何を言って……?」

「先生。この世界は夢なんですよ。おかしいと思いませんか。農業も工業も全滅したのに、麻薬だけは作れるなんて」

「嘘だと思ったら、思い出してください。

 核戦争は、何年何月、何日に始まりました?

 最初に核を撃ったのはどこの国でした?

 思い出せないでしょう? 夢のなかだから曖昧なんですよ」


 教師は震えながら、額に手を当てて、必死に思い出そうとする。

 しかし、たしかに記憶が出てこない。


「僕たちふたりは、先生にさんざんいたぶられて……思ったんです。

 こんな現実、核戦争で滅んでしまえばいいって」

「私たち2人の空想が、心の底からの思いが、あまりに強すぎて……

 先生を呑み込んでしまったんです。

 本当の先生は、ずっと病院のベッドで昏睡して、覚めない夢を見ているんです」

「現実逃避するな、夢を見るなっていうんなら、いつか気づいてくれると思っていたのに」


「嘘だ……嘘だ……! 黙れっ……!」


 叫びながら、教師は2人をぶん殴ろうとした。

 

 ボロリ、グシャリ。


 体を掴んだ瞬間、ぞっとする感触とともに、2人の体は崩れ落ちた。

 一瞬にして、白骨と化して、粉々になった。


「ヒッ……」


 見渡すと、獣脂ロウソクの照らす暗い部屋……部屋にたくさんいたはずの、麻薬中毒者たちが。

 すべて、骸骨となっていた。

 風もないはずなのに、見た瞬間、すべての骸骨が崩れて粉々に。

 獣脂ロウソクの弱々しい炎すら、ふっと消え失せた。


「わああああっ!」


 突然の暗闇に怯え、白骨に怯え、すべての現実が崩れ去ったことに怯え。

 教師はわめいて、転んで、傷ついて血をダラダラと流しながら、ビルの外に飛び出した。

 ビルの中はあんなにも真っ暗だったのに、外の世界は灰色の昼間。

 ビルの残骸が倒れている街を、教師は走った。探した。


「誰か、誰か……! 誰かいないのか……!」

 

 誰もいない。誰も応えてはくれない。

 彼はずっとこの世界に閉じ込められたままなのであった。

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