第23話「昼と夜の同胞」
その惑星は、自転周期と公転周期が同期し、全く同じ面を太陽に向け続けていた。
昼の世界は何億年も昼のまま。
夜の世界は何億年も夜のまま。
けっして移り変わることがなかった。
☆
「昼の世界」の中央。
黄金のかがやきを放つ太陽が、天の真上にずっと居続ける場所。
そこは「昼の世界」でも特に熱く、鉛や水銀だけでなく、鉄や銅さえ溶ける場所。
タングステン合金と炭素結晶の柱によって、宮殿が築かれていた。
宮殿の広間では、ひとりの者が旅立とうとしていた。
かれの体は耐熱結晶で覆われ、溶融した鉛の血液が流れていた。
もし、遠い遠い、地球という星の人間がかれを見たなら、「宝玉で作られたドラゴン」だと形容しただろう。
「ガルギールよ、本当に決心は変わらないのか」
「はい、大族長さま」
「お主ほどの才の持ち主が。『昼の世界』の中心に住める栄誉を手にしておきながら……なぜ国のために尽くそうとせぬ?」
「おれは知りたいのです。『昼の世界』以外がどうなっているか。鉛さえも凍りつく『黄昏の世界』、そしてその先、絶対極寒の『夜の世界』……
そんな寒い世界に生き物などいるはずがない、と皆が言います。でも、この目で確認したいのです」
「これだけ説得しても無駄か……仕方がない、ガルギール、お主を追放する」
ガルギールは武装し、太陽熱で体を温めるための巨大反射鏡を担いで、旅に出た。
大族長から追放されたという事実は重い。
だが悲しくはない。
幼い頃から、ずっと知りたかったのだ。世界の果てには何があるのか。
きっと、誰かがいるはずなのだ。
ガルギールが『昼の世界』の中心から離れていくに従い、だんだんと太陽の高度が下がり始めた。
気温も下がっていく。
鉄や銅の泥沼が消えた。鉄と銅はカチカチの柱になって何万も生えている。
変わって鉛や水銀の川と池が現れた。その中では核反応で生きる魚たちが元気よく泳いでいる。
凍えて仕方ない。折りたたんでいた反射鏡を展開し、少しでも自分を温めて、進んだ。
さらに進んで、太陽は地平線に没する寸前となった。
もっと大きな反射鏡にするべきだったか……
最大限に広げて、ありったけの反射光を浴びているのに、それでも寒い……
なんと鉛の川がすべて固まっている。
かれ自身の体を流れる血液も鉛だ。
鉛は生命のほとばしりと同義。
それが凍結すると、頭では予想していたが……
鉛の代わりに、見たこともない透明な液体が地面を流れ始めた。
これは『水』、水素と酸素の化合物だ。きわめて大規模な実験設備を使わないと作れない超低温物質だ。
そう気づいた瞬間、わかっていたはずなのに恐怖が襲ってきた。
ここは生きていけない場所だ、死ぬから逃げろと、本能が叫んでいるのだ。
意志力で本能に逆らって、凍てついた世界を進んでいく。
生命など欠片も見当たらない。
やはり、ここは地獄だ。
ましてや、黄昏よりも寒い、夜の世界など……
大族長達の言っていたことは正しかったのだ。
そう痛感して、帰ろうとした、まさにその瞬間。
黄昏の世界の奥から、ひとつの影がのっそりとあらわれた。
☆
「夜の世界」。
静謐で清浄な闇に包まれた世界。
凍結した窒素や酸素が青く美しく輝き、大地を覆い尽くしている。
氷の下の大地は超伝導状態となり、無数の電流のパルスが、減衰することなく流れ、ぶつかりつづけていた。
もう何億年も脈打ち続けてきた電流網は、いつしか知性を宿し。
夜の世界の統治者となっていた。
その巨大な知性は、自らをメンテナンスするために動く端末を作り出し。
端末もいつしか独立した精神を獲得。
考える平原と、それに仕える多数の端末個体が王国を築き。
暗闇の中で王国は平和に続いていた。
平原のある場所で、一体の端末個体がうずくまり、地下に広がる巨大な知性に、絶望的な哀願を続けていた。
その姿を、もし、惑星地球の人々が目にしたならば。「十二本の脚を持つ、金属製のクラゲ」と表現したことだろう。
その個体に名前はあったが、地球人の言葉で表現することはできない。
仮に、端末個体65536号と呼んでおく。
「偉大なる至高者、『中枢知性』よ。なぜ、私の願いを聞き届けてくれないのですか。端末個体を10体ほど出して、探検隊を編成してくれるだけで良いのです」
「65536号。お前こそ、なぜ任務を放棄する。なぜ、『昼の世界の探索』などやりたがる。この夜の世界こそが、知性と生命の宿る唯一の場所だ。水素と酸素の化合物が液化するような灼熱の世界に、生命などあり得ない」
「いいえ、超電導現象以外にも生命のメカニズムは考えられるのです。化学反応や核反応により、高温下で生命が進化しないと、なぜ言い切れましょう」
「仮に存在したとして、夜の世界には関係がないこと。お前たち端末個体は、私を維持することに全力を注ぐべきだ。そのためにお前たちは生み出された」
やはり。
そう言われるだろうと覚悟していた。
いままで、たくさんの仲間に、自分の思いをぶつけ、協力してくれと頼んだが、「何の意味が?」と一蹴されるばかりだった。理解されたことは一度もない。
「ならば助力などいらない、ただ一人でも、真実を明らかにしてみせます」
生まれてからずっと仕えてきた、地の下に渦巻く超知性に、65536号は逆らった。
なぜ逆らうか、逆らって何の利益があるか。
それはわからない、だが、みなの知らない世界を見たいという考えだけがあった。
最高性能の冷却服を装着し、夜の世界の果てに、旅立った。
やがて地平線の向こうから、まぶしい黄金の光が噴き上がった。
太陽が、ちらりと覗いたのだ。
太陽全体の10分の1もない、ほんの端だけだ。それでも、空に散らばる星を全部集めたよりもずっと強い光。
黄昏地帯に入ったのだ。
周囲の酸素が、窒素が蒸発し、もうもうとガスが立ち上った。
いままで味わったことのない恐怖が、65536号を襲った。
焼け死ぬ……。
いまのところ冷却服が、なんとか肉体を冷やし続け、守っている。
だが、体の超伝導状態が破れたら、自分は死ぬ……
恐怖を押し殺し、さらに昼の世界へと近づいた。
太陽の全体が、地平線から登ってきた。
周囲から立ち上るガスはますます強くなった。
地面が柔らかい。足元を見ると、脚が沈んでいる。
溶けている。地面は、水素と酸素の化合物なのに。さまざまな建造物に使用される、堅牢極まりない素材が、溶けている。理論上あり得ると分かっていても、正気を失いそうになる光景だった。
もちろん、周囲には生命の痕跡すら無い。
ダメなのか?
『中枢知性』が言うように、昼の世界は死の世界?
全ては無駄だった?
そんな思いに震えながら、それでも前進すると。
あらわれたのだ。
地平線の向こうから、巨大な影が。
大きな頭部。太い脚が二本。小さな腕が二本。
全身を丸い結晶上のウロコで覆われた生物……
知性あるものだと、すぐにわかった。
武器らしきものを背中に背負い、大きな反射鏡を引きずっているからだ。
少なくとも道具を作れる何者か。
ウロコで覆われた二本脚の生物……ガルギールも、すぐに立ち止まり、こちらに目を向けた。
やはり、いたのだ……
無駄では無かったのだ……
☆
ガルギールと65536号は、数十歩の距離をおいて向かい合い、邂逅のよろこびに身を震わせた。
まず動いたのは65536号の方だった。
「きこえますか?」「こちらは夜の世界の人類」「見知らぬ知性体よ」
「数を数えます。1、2、3」「2、3、5,7、11。これは素数です」
「応答してください」
電波で、ガルギールに呼びかけた。
だが、まったく通じない。
言葉が通じないだけではなかった。
電波を受信する技術がないのだ。
ガルギールたち「昼の世界の住人」は、金属が融解する灼熱の世界で育ったからだ。
回路が作れず、電気を扱う技術など育ちようがなかった。
ついでガルギールが咆哮した。
「おうい! おうい! おれは昼の世界の人間だ!」
「おまえは夜の世界から来たんだろう?」
「ふしぎな姿をしているが、おまえも知恵あるものだろう!?」
だが、ガルギールの必死の叫びはまるで伝わらなかった。
65536号には耳がない。聴覚というものがまるごと存在しない。窒素も酸素も液化し凍結する、空気のない超低温の世界で進化したからだ。
無駄を悟ったガルギールは、地面に図を描いて伝えようとした。
三角形と四角形を描き、三平方の定理を表現する。
これでどうだ……
だが、65536号はなんの反応も見せずに立ち尽くすばかり。
……何をやっているのだろう?
そう、65536号には理解できないのだ。かれら端末個体は、地面の下にいる中枢知性と電波回線でリンクしていて、頭のなかで考えるだけで数学的概念を伝えることができる。数学を図に表す習慣がないのだ。
ふたりは、ジェスチャーに切り替えた。
懸命に手を振って、意志を伝えようとする。
だが、体の形が違いすぎる。
ガルギールは腕が2本、65536号は節のある脚が12本。
ジェスチャーは、ある程度体の形が似ているからこそ、共通言語になる。
これだけ体型がかけ離れていては、デタラメに踊っているようにしか伝わらなかった。
……どうすればいい。
……どうすれば伝えられる?
ふたりの焦燥は限界に達した。
たしかに、知恵と心を持った同胞がいるのに、分かり合う方法がない。
立ち尽くした。
動いたのは、灼熱の昼に住むガルギールだった。
……武器を捨てるのだ。
……武器を捨てれば、敵意がないことだけは、話し合いに来たことだけは伝わるはず。
剣を捨て、弓矢を放り出した。
まだ足りない、と気づいた。
自分が引きずっている、巨大な鏡。
冷たい世界に住むものには、鏡で光を浴びせるのは攻撃と解釈されるかもしれない。
だからこれも捨てるのだ。
ガシャンと、倒した。
とたんに、全身を、いままで以上の冷気が包んでくる。宝玉のウロコの隙間から染み通ってくる。
痛い。体から力が抜ける。
それでも。
両腕を広げ、ゆっくりと歩き出す。
名も知らぬ異世界の同胞に向かって。
もっと寒い、夜の世界に向かって。
65536号は、ガルギールが武器を捨てた意味を正しく理解していた。
……敵じゃない。そういいたいのだろう。
やはり、私とわかり会える心の持ち主だった。
喜んだのもつかの間、次の瞬間には気づいてしまった。
このひとは、死にかけている。
全身を真っ白な霜が覆っていく。一歩歩くごとに霜は分厚くなる。
よろり、よろりと力ない歩みになる。
それでも、体を軋ませて、歩み寄ってくる。
……やめろ。
……やめてくれ。
……きみの気持ちはもうわかった。これ以上こっちに来たら死ぬ、鏡だって、もう拾って良い。
そう伝えたかった。
でも伝える方法がない。
とっさに体が動いていた。
駆け寄り、全身で、昼の世界の人にぶつかって、抱きつく。
向こうに、昼の世界に押し返すつもりだった。
だが、……熱い!!
体が接触した瞬間、すさまじい熱気がこちらに伝わってきて、ただでさえ機能停止寸前だった冷却服が完全にぶち壊れた。煙と火花が噴出する。
熱い、熱い、熱い……!
ガルギールには逆のことが起こっていた。65536号が、12本の脚でしがみついてきた瞬間、いままでで一番の冷気が伝わり、体がしびれ、ひと欠片だけ残っていた生命力が奪い去られた。
ふたりは、絶命した。
互いの熱で、冷気で。
抱きしめ合った形で。
そのまま、どう、と大地に崩れ落ちる。
ふたりの意識が途切れる前、最期の瞬間。
至近距離から、見つめあった。
ガルギールの目は2つ、頭部に並んでいる。
65536号の目は体から三方向に突き出した円筒状のカメラ。頭も顔もない。
それなのに、お互いの瞳が、最後まで意志の力を宿して煌めいているのを、確認できた。
……綺麗な目だ。
……私と似ている目だ。
……世界から否定され、それでも何かを夢見て、彼方を目指すものの目。
……きっと。
……きっと心も、似ているのだろう。
きっと。おれたちが。
私たちが。
世界の同じ側に生まれていたならば。
無二の友に。なれていたろうに。
……世界はどうして、分かたれているのだろう?
ふたりは、そんな、おなじ想いを抱いて、死んでいった。
灼熱の昼と、酷寒の夜の狭間。
もう何億年も、黄金色の黄昏が続いている場所。
宝玉のドラゴンと金属のクラゲは、骸となってもずっと、かたく抱きしめ合って倒れていた。
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