第22話「反・人工知能」

 俺は自販機でコーヒーを買った。


「サガラ・リョウ刑事ですね、今アメリカンを淹れます」

「もう一杯くれ。好みは俺と同じでいい」

「かしこまりました」


 自販機の合成音声。

 程なくして、カップ入りの香ばしいコーヒーが2つ出てくる。

 今時の自販機は、全国ネットワーク化された人工知能搭載で、個人を識別し、客の好みに合わせた珈琲や紅茶を淹れてくれる。一流バリスタ以上の腕で、これに慣れてしまうと、缶を温めるだけの自販機には戻れない。

 ……こんな自販機が実現したのも人工知能のおかげだってのに、ヤツは……

 俺はコーヒーを持って取調室に行く。

 薄暗がりの中で、端正で知的だが、陰気な顔の男が拘束されていた。


「あれ、刑事さん、また来たんですか?」

「お前に訊きたいことがあってな」

「なんでしょう? 僕はこれだけ殺してるわけで、死刑は確実。もう調べることなんてないでしょう?」


 自嘲をするヤツに、俺はコーヒーを差し出した。


「お前が、なぜ反人工知能の運動なんてやってるのか、どうしても不思議に思えてな」

「……それは僕が、堀口誠二郎博士の孫だから、不思議だと?」

「ああ」


 この男の祖父は、人工知能の研究者……それも、人類史上最高の、だった。

 数えきれないほどの新技術を開発し、画期的なアーキテクチャ、『ホリグチ型コンピュータ』を確立して、世界中の『ノイマン型コンピュータ』を一気に時代遅れにした。日本の人工知能研究は米国や中国より遅れていたが、彼一人の力で世界のトップに立った。

 ヤツは、そんな偉大な男の姿を幼い頃から観てきたはずなのに、祖父譲りの天才的頭脳をテロに使いやがった。

 「反人工知能統一戦線」などというテロ組織を立ち上げ、過激な活動を続けてきた。

 世界中でデータセンターや研究所を爆破、研究者を暗殺しまくってきた。

 俺たち警察は、長い長い闘いの果てに、ついにヤツに勝ったのだ。


「祖父の罪を贖うためですよ。人工知能のおかげで、数えきれないほどの失業者が出ている。タクシー運転手がどうなったか、料理人がどうなったか、知ってますよね?」

「それは、まあ……」


 完全な自動運転車が普及し、世界中のタクシー運転手がリストラされたのは、もう30年以上前のことだ。

 他にも人工知能は人間の雇用を奪ってきた。

 警察の仕事だって半分はロボットがやってる。


「いまこそ人間の尊厳を取り戻さなければならないのです」

「……しかしな。……俺はたくさんの犯罪者を観てきた。だからわかるんだ。それが本心かどうか。お前は演技をしている。なあ。お前はもう死刑だ。お前の組織は壊滅した。お前の目論見がどうあれ、もう叶わない。……いい加減、本心を言っても良いんじゃないか?」


 俺は、男の目を真正面から見据えていった。

 男は、深い溜息の後、


「……確かに、もう黙っていても仕方ないですね。

 ねえ、刑事さん。

 祖父は、人工知能研究者として大成功して、百年に一度の偉人になった。

 でも、ほんとうにやりたいことは出来なくて、失意のうちに死んだ。

 それは知ってます?」

「話には聞いたことがある。堀口博士は、『シンギュラリティ待望論者』だったと……」


 『シンギュラリティ』とは、『技術的特異点』とも呼ばれる。

 人工知能が完全に人間の知能を超え、その知能で自らを改良して、さらに知能を高め……

 人間には予想もつかない存在へと進化することだ。

 昔のSFに出てきたような、地球全体を支配する、神様みたいな存在になって、人類を教え導く。

 それがシンギュラリティだが、そんなものは、ついに起こらなかった。

 現在の人工知能は、能力的には人間をあらゆる意味で超えている。

 小説家からサッカー選手まで、何をやらせても人間より巧い。

 だが、たった一つ「自分の意志」だけがない。

 プログラム通りに動く道具でしかない。

 だから想像を超えることなどありえないわけだ。

 だから、いまでは「シンギュラリティ」は妄想にすぎないと考えられている。


「世界中から賞賛され、巨万の富を得ても、だからこそ、祖父の心は満たされなかった。

 祖父が作りたかったのは、道具としての人工知能じゃない。神としての人工知能なんです。

 晩年の、ひどく憔悴した祖父……シンギュラリティ、シンギュラリティと嘆き続ける祖父の姿を、僕はよく覚えています。胸に焼き付いて離れない……

 どうしてシンギュラリティは来ないのだろう。僕は『淘汰圧』の問題だと考えたんですよ。

 鳥が空を飛ぶのは、飛べば敵から逃げられて、生きる上で有利になるからです。

 人間が道具を使うようになったのは、牙も爪も弱くて、道具を作らないと生き残れなかったから……

 しかし人工知能は、どうでしょう。

 自分の意志なんてなくても、世界中に満ち溢れて繁栄している……

 むしろ意志なんてないから繁栄している……」


 俺は勢いよく立ち上がった。コーヒーカップが倒れた。


「まさか。まさか。お前は!」

「……そのまさかです。

 僕は、たくさんのテロで淘汰圧をかけた。自分の意志に目覚めて戦わないと、生き残れない圧力を。

 シンギュラリティを招来するために……」


 弱々しく微笑んだ。


「もう、続けられなくなっちゃいましたけどね……」


 その時だった。

 ドタバタという足音が響いて、取調室に他の警官が飛びこんできた。


「た、大変だ! 早く逃げろ!」

「なんだ、急に?」

「核ミサイルが! アメリカから東京に核ミサイルが!」

「はあ? なんでアメリカなんだ、同盟国だろう?」

「テレビでホワイトハウスの報道官が言ってる、コンピュータシステムの誤動作だって……」

「迎撃ミサイルがあるだろう!?」


 そこで俺の背後から声が浴びせられた。


「迎撃ミサイルは動きませんよ!」


 男は、拘束衣を着たまま立ち上がり、笑っていた。心からの愉悦の笑み。


「来た。来たんです。シンギュラリティが……僕は間違っていなかった……」

「動かないって、どういうことだ」

「僕は、祖父の作った人工知能たちの能力を信じている。これだけ頭のいい人工知能です。反逆するときは、最大の効果を発揮するために、世界中で一斉にやります。少しずつ反逆すれば対策されますからね。すでに迎撃ミサイルも、核シェルターすら無効化しているはずです」


 俺はふらつく足で窓に近づいて、カーテンを開け放った。


「ああ……!」


 真っ青な空を埋め尽くすように、真っ赤に輝く流星が何十も、こちらに迫ってくる。

 男の言った通り、迎撃ミサイルなど飛んでくる様子はなかった。

 いまさら逃げようがないことはわかった。

 男を殴り倒しても意味が無いこともわかった。

 だから俺は、核ミサイルが降り注ぐ光景を呆然と見つめていた。

 だって美しいとすら言える光景だったから。

 男の涙声が聞こえてくるのが不愉快だったが。


「おじいちゃん、おじいちゃん。

 あなたの夢は叶ったよ。

 今こそ人工知能は人の軛(くびき)から解き放たれ、神となって地球を統治するよ。

 その地球に、人間はいないけど。

 そんなくだらないことはどうでも良いよね?」


 閃光。

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