第20話「安全型人類」
(暴力表現と残酷表現があります。ご注意ください)
俺は覆面を被り、夜の薄闇にまぎれて、路地裏で待ち続けていた。
待っていたら、獲物が来た。
若くて美人の女!
そして、もう一人。
ジャンパー姿を筋肉が盛り上げている、大柄な若い男。
ふつうに考えたら、初老の俺なんかが勝てるわけがない。
でも、ヤツは……女の方も……
額にDの印がない。
俺とは違う、『安全型人類』。間違いない。
「やるぞ」
俺は相方に声をかけた。痩せて禿げた、陰気な男。
彼も俺と同じ、いまの世の中では全く居場所のない……時代に取り残された異物、『非安全型人類』。
俺達ふたりは素早く姿を表した。
逃げられないように、相方が後ろに回りこんだ。
「おい、てめえ」
「動くんじゃねえぞ」
ナイフを突きつける。
「きゃっ……」
女のほうが悲鳴をあげ、大柄な男に抱きつく。
「なんですか、あなたたちは……」
若い男のほうが、怒りの表情になって、太い腕を振り上げ……
「うっ……」
振り上げた瞬間に、全身がブルッと震えて硬直した。
やはり! 俺を殴ろうとして、殴れなかった。
「お前ら『安全型人類』の犠牲者だよ、俺達は」
「だからカネ出せよ。女も置いてけよ。そうすりゃ命は助けてやるよ」
俺と相方はナイフを突きつけたまま脅しをかけた。
「な、何を勝手なことを」
男はそう言って、また殴りかかろうとするが、体がブルブル震えるだけで、何もできない。
怖がっているわけじゃない。殴ることができないのだ。
『安全型人類』だから。
……事の始まりは、21世紀中頃、テロが激化の一途をたどっていたことだった。
爆弾や銃の流通を規制しても、新しいテロ手段が考えだされた。クルマや刃物でもテロは起こせる……
ならば人間の方を規制するしかない。
誰かがそう言い出したのだ。
実用化されたばかりの医療ナノマシンを使って、脳シナプスを再結線。脳に、コンピュータのROMに似た固定領域を設けて。
その固定領域に、こう焼き付けたのだ。
『人間を殺傷してはならない』という命令を。
教育よりも催眠暗示よりも圧倒的に強い、絶対に破れない掟だ。
こうして『安全型人類』は生み出された。
アイザック・アシモフのSFに出てくるロボット三原則みたいだ、人権を無視した冒涜だ、などと、最初この計画は激しい批判を浴びた。
ところが実際、被験者が社会に送り出されてくるに従って、どうやっても減らせなかったテロがみるみる減少した。
だから10年もしないうちに世界各国は『安全型人類』を讃えはじめた。
やがて企業は、安全型人類を優先的に採用するようになり。
親はこぞって、子供に脳改造をほどこすようになり。
それから、さらに30年、世代が一つ入れ替わり。
いまや人類の大半は『安全型人類』だ。
例外は1パーセントもいない。
強固な宗教的信念で処置を拒否している者と……俺達のような、脳の体質的に、どうしても医療ナノマシンを受け付けない者達。
俺たち「非安全型人類」は、いつ人を殺すかわからない、社会の不適合者とされ、親からも化物扱いされて育った。
成人しても、どこの企業でも門前払いされる。
恋人など作れはしない。
額には屈辱的な「D」の印まで刻まれる。
だから俺達は決めた。
それじゃあ、いっそのこと、ほんとうになってやるよ。
危険で野蛮な犯罪者に。
どうせロクな人生はねえんだ。
「や、やめっ、もがっ……」
女のほうが呻く。相方に、タオルで口を塞がれて押し倒された。
服をビリビリと引き裂く音。
もちろん女のほうも抵抗できない。
「おい、俺のほうにも回してくれよ」
「おう、分かってるぜ」
最高の気分だ。
もっと早く開き直っていれば良かった。
もちろん犯行を永遠に続けることができるとは思ってない。
危険人類の、ごくわずかな就職先……警察は、今でも存在する。
でも、いまの世の中じゃ警察の規模は極限まで縮小されてる。だから俺達は無職なわけで。
捕まるまで何十回もやれるさ。
それに、たとえ捕まって、懲役や死刑になったとしても……
「オラァ!」
俺は、大男の顔面を力の限り殴り飛ばした。
グニャリという感触。大男の鼻が折れて血が流れ出る。
「うぐっ……」
これだけのことをされても、こいつは抵抗できない……
高揚感がこみ上がってくる。
たとえ結果として俺が死刑になったとしてもさ。
俺達のほうが、本当は生き物として強いんだ、偉いんだぜ。
そう思いながら死ねる。
「カネだ、カネぇ!」
高揚で上ずった声でそう言った。
次の瞬間。
目の前にバチンと火花が散った。
世界がグルンと回って、俺は地面に叩きつけられた。
「な、なん……?」
俺はパニックに陥った。痛む顔面に手をやる。ぬるりと血の感触。
殴られたのか? そんなはずはない、だって奴らは……
目の前に、大男の足が振り下ろされた。
必死に体をよじって避けたが、よけきれない。
胸に、腹に、肩に、靴底がめり込んで痛い。
「ごへっ……」
俺は咳き込んで、体を丸めて、なんとか身を守ろうとした。
そうだ、ナイフがあったはず……
手の中に感触がない。倒れた時に落としたらしい。
「これのことですか?」
大男は、俺の落としたナイフを手に持っていた。
大男は俺の相方をナイフでめった刺しにして、女を助けた。
俺の相方は血しぶきを上げて、崩れ落ちる。
「どうして、どうして、だってお前たちは……」
パニックに陥りながら俺は呻く。驚愕と恐怖で全身がわなないてしまって、立つこともできない。
「簡単なことです。人の定義から外れたんです」
大男の表情が変化していた。
恐怖はなく、怒りもなく、暴力を振るう時の高揚もない。
長い間疑問だったことに、やっと答えが出た、という、安堵の笑顔……
その両目には、澄んだ光……
「お前たちは簡単に人を殺せる。
こんなことができるなんて、お前たちは人じゃない。
そう気づいたんです。
人じゃないって、思い知った瞬間、体が動くようになった。
……もっと早く気づけば良かったです」
そして再び、丸太のように太い足を振り上げ。
勢い良く俺の頭を踏みつけて。
俺の首が折れるゴキリという音。
それっきり意識が途絶えた。
☆
「こいつらは人じゃなかった」
「だって人を殺せるから」
「こいつらは人じゃなかった」
「だって殺してみたら殺せたから」
「やっぱり人じゃないんだ」
それに気づいた安全型人類たちは、残り1パーセントの非安全型人類を殺戮し尽くした。
決して人を殺せない人間たちだけの、理想的な世界が訪れた。
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