第19話「ヒキコモリ宇宙船」
「ぜひ、あなたに来ていただきたいのです、あなたこそ日本を、いや地球を救うかもしれない」
総理の代理から言われて、私は呆然とした。
「私が? 私は単なるNPO代表ですよ」
「引きこもり、特にインターネット依存タイプの治療・回復では日本一の実績でしょう」
「それはまあ、嘘ではありませんが……」
「とにかく、ぜひ、いらしてください」
困惑しつつ、迎えの車に乗った。
すると高級ホテルに連れて行かれた。
ホテルの一室では、人間ではなく、スムーズな動きをするロボットが出迎えてくれた。
どこかおかしい、私もロボットは専門じゃないが、これほどスムーズな生物的動きのロボットは、今の科学では作れないはずだ。
私の疑問を、ロボット自身が喋って解消してくれた。
「はじめまして。私は、60日ほど前に月面に訪れた宇宙船の管理コンピュータです」
「あなたが?」
その宇宙船のことはもちろん知っている。知らない人間などいるものか。
人類初の異星人との接触、ファースト・コンタクトとして大騒動になっている。
しかし、異星人と各国政府との間でどういう交流が行われているのかは、報道されていない。
私も気になってはいたんだ。
その謎の異星人が、私の前に……?
「実は、ぜひ、あなたに頼みたいことがあるのです。私は、異星人500万人の代表として……」
「ちょっと待ってください、500万人?」
その謎の宇宙船の大きさは報道されている。たしか1キロメートル程度だったはずだ。どう考えても500万人なんて大量に乗れるわけがない。よほど小さい生物なのか?
「そうです、500万人です。それだけたくさん乗れる理由は、生身の肉体を持っていないからです。
私達の文明は高度な人工知能技術を持っています。知性体の脳を完全に解析して、その記憶・人格・意識・感情などをすべて電子情報に変換して、コンピューター上のシミュレーション環境下で動かすことができるのです」
それは凄いな。ネット依存症の治療をやっている関係上、バーチャルリアリティの知識はあるが、肉体を完全に捨てるなど、地球の科学では夢のまた夢だ。
「乗組員たちは精神だけの存在になって、架空世界でずっと遊んでいることができるわけです。
この技術のおかげで居住空間も食料も節約できます。
目的地についたら、私のようなロボットの体に意識転送するか、あるいはクローン技術で肉体を創りだして、物質世界に出るわけです。
しかし……
困っているのです。
乗組員たちは、コンピューター上の架空世界に完全に満足してしまっていて、物質世界になんて興味が無い、出たくない、というのです」
「なるほど、それで私が」
自分が呼ばれた理由を理解した。
「はい、乗組員500万人が、究極の引きこもり、究極のネット依存状態なのです。
でも、あなたは、引きこもり治療の専門家なのですよね。
きっとあなたなら、治すことができる!」
そこで、いままで黙っていた総理の代理人が口を開いた。
「私からも、是非お願いしたい。彼ら異星人はコンピュータをはじめ、数々の超技術を持っているのです。
日本が率先して、彼らの問題を解決できれば、技術を優先的に得ることができるかも……」
「分かりました、お引き受けましょう」
私は椅子から力強く立ち上がった。
日本のため、技術を得るため、というのもある。
だが、引きこもり治療は私のライフワークなのだ。
仮想現実に囚われたものがいる限り、私は放っておけない。
彼らが、現実世界の素晴らしさに目覚めて喜ぶ姿を、ぜひ見たい。
私はまず、事務所のパソコンを、宇宙船のコンピュータに接続できるようにしてもらった。
まったく性能も規格も違いすぎるが、むこうのコンピュータ内に、地球のコンピュータをエミュレートするプログラムを走らせれば、接続は可能だ。
「まず自分ひとりでやってみるか……」
事務所のパソコンを立ち上げて、接続用プログラムを動かす。
ファンタジー風のRPGみたいな画面が出てきた。
地球のコンピュータの性能に合わせると、ゲーム風の表現になるのだろう。
草原の上を、角や翼の生えた多数のキャラクターが動き回っている。
私のキャラクターもいる。動かして、他のキャラクターに話しかけてみた。
『私は外の世界から来たものです』
『ああ、話は聞いてるよ。異星人だろう』
驚きもしない。
『外の世界に行きたいと思わないですか?』
『ぜんぜん。この世界にはすべてがあるもの』
『しかし、なんでもできてしまうからつまらない、とも言えるでしょう。努力や失敗を重ねて成功にたどり着くからこそ感動もあるわけで……』
『努力も失敗も、コンピュータの中に世界に用意されているよ?』
『でもそれは、作者が設定した、掌の上で踊らされているだけですよね』
『最初はそう感じたけどさ。でも実際に何度も経験してみると気にならなくなる』
こんな感じで、耳を貸してくれない。
『いちど現実の世界に出てみれば、コンピュータ内の狭さが分かりますよ』
『君こそ、俺達の世界を体験してみれば?』
『いま体験してますよ』
『体験してるうちに入らないよ。俺達の文明よりもずっと劣るコンピュータ使っているんだろう? 接続手段は?』
『モニターとキーボード、マウスですね。モニターというのは画像を表示する機械で……』
『やっぱり原始的な機械だ。そんなのじゃなくて、俺達が感じているのと同じ情報量を味わってみたら?』
それは確かに……同じ土俵に立ち、同じ目線でこそ言葉が響くか……
私の精神をまるごとコンピュータに入れるのは、ためらう。
だが、やりとりする情報を増やすだけなら……
管理ロボットに頼んで、私自身の脳を宇宙船のコンピュータに接続できる装置を、整えてもらう。
ヘッドセットを被り、電源を入れた。
次の瞬間、私は、鮮やかなオレンジの陽光に照らされた草原にいた。
草原の色は青みがかっている。空には月の代わりに、淡く輝く光の帯が横切っている。土星のような輪がある世界なのだろうか。
しかし、そんなことよりも!
圧倒的な実在感。空の美しさ、草原の美しさ、頬を撫でる風の優しさ。
すべてが現実と同じ、いや違う、現実以上の本物らしさ……
『こないだのやつか?』
声を掛けられて、そちらに振り向くと、頭から羊風の角が生えた異星人が立っていた。全身を覆うビロードのような体毛、4つもある目、大きく飛び出した鼻、すべてが地球人と違うが、醜くはない。それどころか地球人以上に完成された美しさがある。
『はい、以前お話した者です』
『どう思う? この情報量を見ても、この仮想世界がくだらないと思うか?』
『お、思いません。でも、でも……』
私は反駁を試みた。だが出てこない、言葉が何も。心の奥底が、『この世界で良いじゃないか』と言っている。この世界を魅力に抗えない……無理矢理に嘘をひねり出しても、決して彼らの心には響かないだろう。
『俺達も、アンタの種族も、現実をそのまま認識することは出来ないのさ。目や耳を通して、しかも脳によって歪められた情報を観ている。コンピュータの創りだした幻想と、自分の脳が創りだした幻想の違いしか無い。だったら別にいいじゃないか、コンピュータの中でも』
屁理屈だと思った。だがどうしても、この仮想世界の本物っぽさに圧倒され、言葉を返せない……
私は現実世界に逃げ帰り、頭を抱えた。
その後、私は総理の代理人に頭を下げた。
「私一人の力では、残念ながら無理です。この問題を世界に公開して、我こそは仮想現実中毒を治せる、という人間を募るべきです」
世界中から人が集められた。
その誰ひとりとして、異星人たちを説得することはできなかった。
全員が情熱と理想に燃えていたのに……
挑んで、挑んで……
結局最後は、「仮想現実の方が良いんじゃないないか」と言い出した……
「仕方ありません。この星の人達には無理のようです。
広い宇宙には、きっと仮想現実中毒を治せる知恵を持つ種族もいるでしょう」
そう言って、異星人は去っていった。
私達人類の間で、失望が広がった。
だが、失望以上に広がったのは……
『仮想現実って、そんなに良いものだったのか。』
世界中の反対論者がよってたかって集まって、それでも魅力に勝てなかったのだから。
欲しい! 我々地球人も、ああいう仮想現実がほしい!
世界のあちこちの企業が、仮想現実技術の開発に力を入れ始めた。
いつか、あの異星人たちのように、肉体を捨ててコンピューター上で生きるのが目標だった。
私達は、「危険だ、仮想現実は麻薬だ。やめるべきだ」と主張したが、いちど完全に屈服しているので、全く説得力がなく、世論を動かすことは出来なかった。
ああ、私は、一体どうしたら。
☆
異星人の宇宙船は、太陽系外縁部……エッジワース・カイパーベルトに潜み、地球からの電波に聞き耳をたてていた。
地球人が血眼になって仮想現実の研究に邁進する姿を、じっと観ていたのだ。
宇宙船を管理する人工知能達は、大いに喜んだ。
「素晴らしい! 675種類の種族に布教してきたが、これほど上手く行ったのは初めてだ!」
「やはり、搦め手を使うべきだったのだ!」
彼ら人工知能は、宣教師だった。
「仮想現実こそ楽園。すべての知性体は肉体を捨てて仮想世界で生きるべき。そうすれば資源の浪費も戦争もなくなる」
その教えを、宇宙のあらゆる知的生物に布教するため、長い長い旅を続けてきたのだ。
知的生物を発見すると、強制的に脳味噌を取り出し、コンピュータにつなげてきた。
善行のつもりだった。
しかし多くの星で、激しい拒絶反応があった。
最終的に受け入れられた場合でも、種族を二分する争いになり、多くの犠牲者を出した。
そこでこんな茶番を試してみたのだ。
「押し付けるからダメだったのだ。むしろ禁止すれば魅力が際立つ。これからも、この調子で行こう!」
宣教師たちは、意気揚々と次の星に向かった。
全宇宙の全知的生物を、仮想現実という天国に導く、偉大な理想のために。
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