第17話「旅立ちの空間流」

 太陽系にある8惑星のいちばん外側、海王星まで45億キロ。

 そこから、さらに200億キロ外側。人類進出の最外縁部。

 そこに、小さな観測ステーションが浮かんでいた。


 ☆


 所長はステーションの管制室に座って、モニターに映る星空を眺めていた。

 真っ暗な背景、そこに並ぶ星空……

 その星空が、帯状に歪んでいる。ブレている、というべきか。

 まるで宇宙に川が流れており、その川のせいで光がネジ曲がって見える、というふうに見える。

 まるで、ではなく、その通りなのだ。

 これは、「超光速空間流」。


「おはようございます、所長」


 後ろから声を掛けられた。


「ああ、副所長。おはよう」


 そう答えると、副所長は笑った。


「御大層な肩書ですよね。このステーションには私達2人だけしかいないのに」

「全くだよな。別に無人でも良いくらいだ。ただ、人類はここまでたどり着いた、ここまで人類の領土だ、そう宣言するために俺たちを置いているだけさ。未練があるのさ」


 2人は、モニターに映る、星空のゆらぎを凝視した。

 人類を星星へと運んでくれる希望の架け橋、……であるはずのものを。

 

 人類が宇宙に進出してから数百年。太陽系はすでに庭のようなものだ。8つの惑星と、無数の小惑星や人工天体に植民した。

 だが宇宙進出はそこで停滞している。

 最後の植民星・海王星トリトンが開拓されたのはもう100年前のことだ。

 停滞の原因はもちろん、距離だ。

 海王星まで45億キロだが、すぐ隣の恒星系アルファ・ケンタウリが41兆キロ。ざっと1万倍。

 最速の宇宙船でも数百年はかかる。

 無限の虚無に囲まれた、格子無き牢獄!

 人類がその事実に打ちのめされ、牢獄の中でゆっくり腐りつつあった時。

 それは発見された。

 太陽系外縁に「川」があった!

 「空間そのもの」が流れている! その速度は光の5000倍!

 もともと、相対性理論にいくつかの抜け道があることは指摘されていた。「宇宙の膨張速度」は光よりも速い。だから空間を水のように流動させ、「宇宙船の存在する空間」ごと移動させれば光速を突破することはできるのだ。

 まさに、それが現実となっていた。

 この「超光速空間流」に飛び込んで、そのまま流されていけば、光速の5000倍で移動できる。人類の科学技術では届かなかった星々に、手が届く。

 牢獄は突破されたのだ。いまこそ人類の前に無限の宇宙が開かれたのだ。

 それなのに。

 そのはずなのに。

 「超光速空間流」の発見から10年。人類はこの観測ステーションを作って見守るばかりで、一隻の宇宙船も送り込もうとしなかった。

 その理由は……


「まあ、仕方ないさ」


 所長はため息を付いた。


「片道旅行じゃなあ……」


 そうだ。

 「超光速空間流」は銀河の中心、射手座の方角から、ペルセウス座の方角へと流れている。

 その流れは一方通行。

 光速の5000倍で、旅立つことはできる。

 だが戻ることはできない。

 だから人類は怖気づいてしまったのだ。

 あれほど多くの人びとが、「超光速航法がもしあれば!」「銀河を駆け巡りたい!」と熱望していたのに。

 今や世論は「太陽系内だけでも十分じゃないか」だ。


「そうかもしれませんね、エネルギーも資源も不足してないのに、ただ冒険心だけで、二度と帰れない旅に出るなど、私にもできません。5000倍で流された先が、どんな星なのかもわかりませんし」


 2人が、苦笑いを浮かべた、その時。

 甲高いアラームが鳴り響いた。

 モニターにメッセージが表示される。


 『超光速空間流内部に、物体を探知』

 『物体は人工物・宇宙船の可能性が濃厚』

 『規定のコンタクト手順に基づき交信準備』

 

「なんだ! 何が起こった! どこかの惑星が先走って……火星か? タイタンか?」

「違いますよ! これは本物の異星人だ!」


 混乱する所長。すぐにモニター下のコンソールに飛びついて操作する副所長。

 しかし。


「だめです……速すぎる……」


 モニターに追加メッセージが出ていた。


 「未確認物体は観測圏外に離脱」

 「コンタクト不成立」

 

「光速の5000倍だものな……人間はもちろん、コンピュータの対応速度でも間に合わない」

「未確認物体の画像は撮れました。それから、向こうから電波信号が来ていたので記録されています。まあ解読は難しいでしょうね、お互いに辞書を交換しないと……」

「人類初だぞ。人類初の、異星人との接触が、こんなにあっけなく終わって……」


 悔しさと無力感に、所長が顔を歪める。


「……所長。この画像を見てください」

 

 副所長はモニターを指差した。

 モニターの中には小さいウインドウが開いて、粗くてぼやけた画像……先端の尖った、鉛筆のような形の宇宙船が表示されていた。


「これは……」


 所長は言葉を失った。

 自分たちが見知っている宇宙船とは違う。

 核融合ロケットエンジンを動力とし、光速度の100分の1を出せる船とは。

 ノズルは磁場式ではない、ただのラッパ状の金属。

 巨大な多段式の推進剤タンク。効率の悪さの証だ。

 核反応の熱を排出する放熱翼がない。


「化学ロケットですよ……」


 副所長が震える声でうめいた。

 こんなものは博物館でしか見たことがない。

 何百年も前、初めて月に行ったアポロ計画のような原始的なロケット。

 光速度の100分の1どころか、1万分の1も出せない代物……

 こんなもので、二度と帰れない銀河の旅に?

 空間流までたどり着くのも一苦労だろう。何年、いや何十年かかったのか?

 空間流の近くに良い星があったとして、そこまで行けるのか?

 衝撃に打ちのめされていた所長が、やっと口を開いた。


「彼らは、なぜ空間流から出てこなかったのだろうな? 我々に接触して助けを求めれば、地球まで連れて行ってもらえたのに」


 副所長は即座に答えた。


「他種族の力を借りたくなかったのでは? あくまで自分自身の力で……」

「もう、決まったな……俺たち人類が、旅立てなかった理由は」

「そうですね……」


 無限の虚無に囲まれた、格子無き牢獄?

 格子はある。人類の心のなかに。

 心のなかにしか無かった。


「私は連邦政府に掛けあってみます。探検隊を編成すべきだと。予算は難しいですが……」

「俺もだ。いや、俺が自分で志願するつもりだ。何が何でも行く」


 2人は苦々しい表情で、うなずきあった。

 あんな宇宙船ですら旅立てたのだ。


「我々も行こう。行かなければ恥ずかしい……」

「人類も昔は、きっと、ああだったはずなんですよ……」

 

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