第16話「幸福指数315」

 国民総幸福センターからの郵便を開いた。

 中を見て、私は落胆する。


「おい、ちょっと来てくれ」


 妻を呼んだ。ソファにすわって、郵便を見せる。


「どうしたの……あら、今月の幸福指数?」

「そうなんだ。ほら、315しかない」

「これは一家全体ね」

「そうだ。おれは340、祐二のやつは407もあるのに……お前、なんだ、250ってのは」


 妻は明らかに動揺していた。


「もしかしたら……」

「おい、なんだ、心当たりがあるのか」

「この間の幸福検査のときに……」


 一か月に一回、幸福検査を受けるのは国民の義務だ。脳内を徹底的にスキャンし、その人間がどれだけ幸福かを分析する。それを一般に分かりやすい形で示したのが、幸福指数なのだ。


「あの時、わたし実は思ってたの。春の旅行だけど、箱根じゃなくて、海外がいいなって」


 なんだって! そんなことを思いながら検査を受けたら、数値が低くなるのは当然だ。海外に行きたいだって? まさに物質的な、反幸福思想そのものじゃないか。


「おい、なんでそんなこと思ったんだ。お前はそんな不幸な人間だったのか」

「だって……」

「だって、とは何だ。金がほしいとかいい車に乗りたいとか、そういうことを思うのは精神的に貧しい証拠だと、幸福教科書にも書いてあるだろう。小学校のときに習ったはずだ」


 きついかも知れないが、私は言った。このさい、強く叱ったほうがいいはずだ。なにしろ母親が不幸な精神状態にあると、子供まで不幸になってしまう。


「でも、私思うんだけど……」


 なんだ、なにを言い出す気だ?


「おいしいものが食べたい、とか、大きな家に住みたい、とか、そういうって、どうしていけないことなの? 新しいテーブルひとつ買っただけで、どうして不幸ってことになるの?」


 あきれかえった。もう十年こいつと住んでるが、まさかこんなに物を知らない奴だとは思わなかった。これは笑い事じゃない。


「いいか、昔の人を思い出してみろ」


 昔の日本は、それはそれはひどい国だった。


「日本人全員が、金がほしい金がほしい、そんなことばっかり考えてて、精神的な豊かさを忘れていたんだ。とても不幸な時代だった。親子が殺しあったり、そんな事件ばかり起こっていたんだ。教科書に書いてあったろ。その時代を反省して、いまの世の中ができたんだ。昔みたいに戻りたいのか」

「でも……」


 まだ不満なのか、お前は。


「幸せになるのはいいけど、どういうのが幸せかなんて、どうして政府に決められなきゃいけないの?」

「おいおい……しっかりしてくれ……そういう幸福の基準がはっきりしたからこそ、みんなで幸せになれたんだろ。みんなで違う幸せを求めてたら、ぶつかり合うのは当然じゃないか。幸せを一つだけにして、しかも数字でわかりやすく表した。だからいい世の中になったんじゃないか」


 おかげで犯罪は減った。ぜいたくができなくても幸せでいられる。お前は幸せなんだと数値が教えてくれるからだ。自分は本当に幸せなのか、そもそも幸せとはなんなのか、自分で考えなければいけなかった昔の人間は、なんと不幸だったのだろう。


「そうだけど、確かに本にはそう書いてあるんだけど、ほんとうに昔って、そんなにひどかったの? 昔、おじいちゃんが死ぬ前、昔のほうが自由でよかったって言ってたよ」


 ああ、そうか。そういうことか。


「かわいそうに。心の病気なんだ。お前もそうだったら、いますぐ病院にいって治療を受けたほうがいい」


 実に不思議なことに、今の世の中がいいと思わない人もいるらしい。そういう人は病院で精神治療を受けて、とても「幸せ」な人間に生まれ変われるようになっている。

 妻の顔がひきつった。きっと、今の不安から解放されて幸せになれるのがうれしいんだろう。


「いや、あの、わたし……」

「遠慮することはないよ。幸福になるのは国民の権利なんだ」


 私は妻に精神治療を受けさせた。

 もちろん幸福になってかえってきた。

 いまは、なんて良い時代なんだろう。

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