第7話「星が貫かれる日」

 焦りで震える手で個人宇宙機の操縦桿を握りながら、私はモニターに映る美しい雪球を見つめていた。

 土星の衛星エンケラドゥス。生命が満ち溢れる、地球以外唯一つの星。

 私が研究者人生を捧げた至宝。

 だがいま、この星に、とてつもなく巨大な昆虫型機械が組み付いて、犯している。

 エベレスト山ほどもある六本の脚を氷原に深く打ち込み、尖った口を垂直に突き立てている。口の周辺からはゆっくり、ゆっくりと白い飛沫が上がって、漆黒の宇宙に飛び散っていく。

 口からは、超高速回転するダイヤモンド製ピットが伸びて、どこまでもどこまでも掘り進んでいるのだ。

 エンケラドゥスの中心にある、マイクロブラックホールを手に入れるために。


 エンケラドゥスの内部は氷が溶けて海になっている……それは二十一世紀初頭の段階で、すでにわかっていた。百年が過ぎて、ようやく大規模な有人探査が行われるようになって世界は驚倒した。エンケラドゥスの海は地球の海以上に豊穣だった。藻類、魚類、甲殻類、軟体動物、どれも無数。地球には似たものがいない分類不能の生き物も数多くが生息していた。遺伝子が二重螺旋ではなく四重螺旋で、四つもの性別を持つ点も科学者たちの興味を惹いた。

 調査基地が作られ、科学者が、観光客が、エコロジー思想家が押し寄せた。

 エンケラドゥスは宇宙と生命の神秘を象徴する聖地となった。

 私も科学者としてエンケラドゥス孫衛星軌道に住み付き、その生命圏研究に没頭した。充実した、最高の人生だった。


 この流れが一変したのは、つい十年ほど前……氷を溶かしている熱源が、中心核にあるマイクロブラックホールだとわかった時。

 針の先で突いたような空間の穴が、エンケラドゥスを極わずかずつ吸い込んでいたのだ。吸い込まれる途中の物質は超重力によって極限まで圧縮され、光に近い速度で衝突して膨大なエネルギーを生み出す。核反応を上回る変換効率だ。その熱量は、直径五百キロの氷天体を溶かすほど。

 手に入れれば、産業や軍事目的でどれほど役に立つか。世界を一変させるだろう。

 エンケラドゥスの生命圏を守るための数々の条約はすべて反故にされた。軍が旗を振り、国家予算が惜しげも無くつぎ込まれ、生物学研究者のかわりに惑星土木学と素粒子物理学の専門家がやってきて、巨大な掘削装置を建造した。

 もちろんマイクロブラックホールを取り出せばエンケラドゥスは凍りつき、生命は絶滅する。

 胸が張り裂けるほどの怒りをおぼえ、私たち研究者は反対運動を粘り強く続けたが、すべて無駄に終わった。

 あとひとつ、あとひとつだけ、打てる手がある……

 だから私は、採掘事業の総帥のところへ直談判に向かっているのだ。


 ☆

 

 私が研究者たち数百人の連名委任状を見せると、総帥は会ってくれた。

 巨大なスクリーンのある部屋で、優雅にグラスを傾けながら彼は笑っていた。

 もちろんスクリーンに映されているのは、彼の大事業がまさにクライマックスを迎える姿……掘削機械に貫かれるエンケラドゥスだ。


「これはこれは先生。特等席でご覧になりませんか? 先生方はお怒りですが、これはエンケラドゥスの滅びを意味するわけではありませんよ。エンケラドゥスは我ら人類にマイクロブラックホールを渡し、繁栄の礎となることで、真に価値ある星に生まれ変わるのです。物珍しいだけの魚やタコ・イカがどれほどいても、人類を富ませることはできません」


 厚顔無恥にも、笑顔のままこんなセリフを吐いた。

 この男との価値観の相違は、嫌というほど思い知っている。だから私は、もう説得で価値観を変えようとは思わない。エコロジーや宇宙の神秘を掲げることもない。

 実利しか見えない彼に、現実の脅威を知らせに来たのだ。


「総帥、エンケラドゥスの生命は四つの性別を持ち、遺伝子構造は四重螺旋です。それは何故かご存知ですか?」

「いや知らんが」

「放射能耐性を高めるためというのが、有力な説です。性別が四つあれば、四人の親のうち、一人でも遺伝子が無事ならば子孫を残せる。四重螺旋以外にも、エンケラドゥスの生命はさまざまな工夫を凝らして、放射能から身を守っています。放射能耐性は人間の一万倍以上ですよ」


 ようやく総帥は興味ありげな表情を浮かべた。


「解せんな、エンケラドゥスには強い放射能などない」

「そうです。ブラックホールに吸い込まれる物質は強いエックス線を出しますが、エックス線は水を透過できませんし、放射性物質を生み出すこともありません。現在エンケラドゥスの放射線量は地球よりも小さい。なぜ一万倍の耐性が必要なのか? 研究者の間で長年の謎だったのです。

 私は最近になってようやく、論文を書けるレベルまで謎を解き明かしました。

 かつてエンケラドゥスはブラックホールではなく、まったく別の熱源によって暖められていた……

 核分裂反応です。おそらく何億年もの昔、エンケラドゥスには大量高濃縮のウランやトリウム鉱があって、天然の原子炉状態だったのです。天然原子炉の例は地球にもありますが、遥かに大規模に起こっていた。もちろん放射性廃棄物が海中に出ますから、エンケラドゥスの生命は放射能に耐性を持つようになった。

 しかし、やがて核燃料は枯渇しエンケラドゥスは冷え始めた。その時ブラックホールという替わりの熱源が作られたのです」

「作られた?」

「はい。はるか昔に絶滅した、エンケラドゥスの知的生命によって作られた。核燃料が枯渇するタイミングでたまたまブラックホールが飛んできて、たまたま中心核に捕獲されるなんて、そんな都合のいい偶然があるわけない。間違いなく文明の産物です! 人類を遥かに超えた超科学……」

「だ、だが……」


 総帥の声は当惑と不安を含んでいた。


「仮に君の言うとおり、あのブラックホールが人工物だとして、それがなんだというのだ? なぜ、奪ってはならない理由になる?」

「察しの悪い人ですね。防衛手段を残したはずです、残さなかったはずがない、野蛮な異星人がブラックホールを奪いに来た時のためにね!」


 総帥は一瞬で青ざめた。

 部屋の壁面の巨大モニターに通話ウインドウが現れ、「まもなく最深部に到達します!」と告げるのと、


「いますぐ掘削を中止しろ!」


 と総帥が叫ぶのと、

 モニター画面の中のエンケラドゥスに異変が起こったのは、

 まったく同時だった。

 掘削機械が突き立てている穴から、眩しいばかりの虹色の光が溢れだし、掘削機械を呑み込んだ。全長何万メートルもある掘削機械が、一瞬のうちに跡形もなく消え去った。破片も煙も残りはしなかった。

 何が起こったのか、私は反射的に理解した。虹色のビームは、物質の深奥に潜む力を操り、掘削機械を素粒子レベルに分解したのだ。この程度の芸当ができないようではブラックホールの創造などおぼつかない。

 虹色のビームは、人類の知るビームの概念を覆し、生き物の触手のようにユラリ、ユラリと揺らめくと、突然まっすぐになり、どこまでも一直線に伸びていった。


「あの方位は太陽、いえ、地球です。反撃と懲罰のために……」


 私は裏返った声で告げた。

 その日、貫かれ、滅び去ったのは地球の方だった。

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