第4話「君は時間の牢獄より」

 ぼくの身にこんなことが起こるなんて信じられない。ぼくは顔も能力も平凡で、優柔不断なダメ高校生なのに。

 でも本当に、見知らぬ美少女にデートを申し込まれたのだ。

『騙されてるんじゃないか』という不安は五分で吹き飛んで、夢見心地で二人で歩いた。


「ねえ、どこ行く?」

「うーん……映画とか、どういうの観る?」


 すると、不思議なことが起こった。

 突然あたりが暗くなり、すべての色が消え、商店街を歩いている人間も、自転車も、舞い落ちる木の葉まで、ピタリと止まった。

 そしてぼくたち二人を囲むように、奇妙な服を着た奴らが何人も現れたのだ。


「ビフォア・タイムマシンに逃げ込むとは考えたな」

「たしかに21世紀なら監視は緩い」

「だがこれまでだ。降伏しろ。元の時代に戻って我々の指示に従え」


 彼女の反応は素早かった。どこからともなく取り出した銃をぼくの首筋に押し付けたのだ。


「変なことをしたら、この人の頭が吹き飛ぶわよ」


 耳元で発された彼女の声は硬く張り詰め、本気の覚悟を感じさせた。

 謎の集団は慌てはじめた。


「おい、この少年は……」

「関連係数がコンマ九九を超えている、ちょ、直系だ」

「くっ、こいつを殺されれば我々は消滅するぞ」


 うろたえる集団に、彼女は追い打ちをかける。


「わかったかしら。たった一日で良いの、私に自由を与えて」

「くそっ、やむを得ないっ。一日だけだぞ」


 謎の集団は悔しげに顔を歪めて消えた。

 彼女が指をスッと振ると、止まっていた時間が動き出して、


「脅かしてごめんね。デートの続きしよ?」

「君は……」


 昔に見たSFアニメのストーリーが頭の中に蘇った。彼女は歴史を変えようとする犯罪者? あの集団はタイムパトロール?

 ぼくの頭の中を埋め尽くした疑問を、彼女は輝くような笑顔で吹き飛ばした。


「どうでもいいじゃない。デートしよ? たった一日しかないのよ?」


 ぼくが逆らえるわけなかった。

 それからぼくは日が暮れるまで、乏しい知識を振り絞って彼女と遊んだ。デートらしいデートの経験なんてない。見る映画はこれでいいのか、喫茶店はもっと高い店のほうがいいのか、並んで歩くときに気を付けるマナーってあったっけ。冷や汗を何度もかいた。

 いちばん苦労したのは会話だった。クラスの女の子と目をあわせるだけでも緊張するのに、飛びっきりの美少女! 沈黙が怖くて、必死に楽しませようと喋り続けたが、話題は迷走した。だってぼくは優柔不断で、迷い続けた人生しかない。

 でも彼女は嫌な顔ひとつしなかった。とくに不思議だったのは、ぼくの優柔不断エピソードを聞きたがることだった。自販機で何を買おう、部活はどこに入ろう、友達に誘われたカラオケで、歌う曲を決められなくて悩んでいるだけで終わった。そんなエピソードをぼくが語るたび、彼女は夢見るような瞳になった。うっとりと笑顔を浮かべ、憧れすら込めた目でぼくを見た。ぼくはますます緊張して、でも訳がわからないなりに高揚した。

 夕暮れ、ぼくと彼女は出会った商店街に戻ってきた。

 すると、また周囲が灰色になり時間が止まる。

 謎の集団がぼくたち二人を取り囲んだ。今度は向こうが先に銃を取り出し、いっせいに彼女に向ける。


「満足したな?」

「ええ。もう逃げたりはしないわ」


 彼女は表情を凍り付かせてうなずく。両手をあげた。

 ぼくの心を焦りが満たした。たとえ銃を向けられても彼女を憎めない。わけが分からないまま連れて行かれるなんて。助けられないか?


「ちょっと待って! なにが起こってるの? 説明してよ、タイムパトロール!」


 ぼくがとっさに叫ぶと、彼女を囲んだ集団は笑い出す。


「違う違う、我々はただの一般人。私は、この娘の孫の孫にあたる」

「オレは孫の孫の、そのまた甥」

「私は孫の孫の孫の妹です」

「なんで、血がつながってるだけの一般人が、彼女をつけ回すの? 銃を向けるの?」


 頭の中が疑問符でいっぱいになった。

 彼女が涙声で説明してくれた。


「この人たちはね、私の人生を細かく監視して、自分たちの知っている通りに生きろと命令してくるの。通う学校も、部活も、どんな子と友だちになって、誰とつきあって結婚するか、何年で離婚するとか、ぜんぶ決めてくるの。趣味も、好きな食べ物も、すべて命令通りに生きないとダメなの。だから嫌で、逃げてきて……」

「当然だろうが!」

「そうだ! 君が好き勝手に生きられると我々が生まれてこなくなってしまう!」

「我々が知っているとおりの相手と子供を作らないと、子孫がまるごと消滅してしまう。それくらいはビフォア・タイムマシンの人間でも判るだろうが……部活や食べ物のようなわずかな違いであっても、何世代もあとには大きな違いとなり、子孫をまったくの別人に変えてしまうことが立証されているのだ!」

「タイムマシン発明以来、全人類に自由意志はない。あってもらっては困るのだ!」


 泣きそうな顔の彼女に、ひときわ大きく鋭い罵声が浴びせられた。


「だいたいな、自由が欲しいと言うが、貴様だって同じ監視をやっているだろうが! 自分より前の世代の人間に対して! 筋が通らんにも程がある!」


 びっくりして見つめるぼくに、彼女は頭を下げた。


「ほんとうよ……私だって消えるのは嫌だから。でも、我がままだとはわかっていても、たった一日でいい、自由な生活がしたかったの。デートの時どこに行く、何時に何を食べる、そういうことを迷える生活を」


 彼女は伏せていた顔を上げ、澄んだ美しい瞳で、悲しみをこらえて唇を噛んで、じっとぼくを見つめた。


「ごめんなさい……ありがとう、昔の人って、毎日こんなだったんだね」


 ぼくは何も言えなかった。ありがとうも、さよならも。

 彼女の、その子孫たちも消えて、時間停止が解除された。

 あてどもなく立ち尽くす。

 携帯電話が鳴った。母親からだった。


「もしもし? 今日の晩御飯、ハンバーグと肉じゃがと、どっちがいい?」


 いつものぼくは、こんな簡単なことさえ決められずに悩んでしまって、悩む自分が嫌で仕方なかった。

 でも今は……


「あんた泣いてるの?」


 唐突に涙が溢れてきた。怒り、悔しさ、哀れみ、認めたくないけど安堵。自分には悩む自由がある。たくさんの気持ちが一気に押し寄せてきたから。

 声をあげないように泣きながら、ぼくは、


「ごめん、少し考えさせて……」

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