約束

 礼拝堂に、執事が運転する車が到着する。鋭いドリフトで曲がった直後に停止したその車の上から降りた二国領土にこくりょうどは、そくざ中に飛び込んだ。

 中では封印魔術師の少女に、ほぼ全員の魔術師が捕まっていた。鎖で繋がれ、すべての力を封じられている。

 だが捕まっておらずどうしたらいいのかわからないと言った様子の数人が、二国を見て襲い掛かってきた。二国の仕業だと思ったようだ。ナイフを手に斬りかかってくる。

 だが二国が手を出すまでもなく、彼らは車から飛び出してきた二国の執事達にあっという間に取り押さえられた。二国も、斬りかかってきた彼らのことなど見ていない。

とびらめ、設定したタイミングで魔術が発動するよう暗示したか。それでこうも見事に一網打尽にするのだから、大したものよ。これは俺も負けてはいられんな」

「領土様、いかがいたしましょう」

「ウム、全員縛り直せ。鎖が出ている間にだ。俺は扉の元に行ってくる……あぁそうだ。協会への連絡を一応しておけ。間に合わんだろうが、後始末くらいはしてくれるだろう」

「かしこまりました。お気を付けて」

 しかし扉め……魔力は感じるが姿は見えず。一体どこへ行った……?

 裏口も地下のことも知らない二国は、魔力だけを頼りに六錠りくじょうを探す。その結果、六錠の戦闘には間に合わないのだが、魔術が使えない今は仕方がなかった。

 それと同時刻、六錠はナイフで対抗してきた火男ひょっとこを殴り飛ばしていた。面を割り、前歯が折れてしまった情けない顔を見せる。

 般若はそれに怯え、さらに六錠の魔力を憶えているせいでさらに怯え、まともに立っていられない。結果、般若は六錠が一睨み効かせるだけで、慌てて逃げてしまった。逃げていく敵まで追う主義は、六錠にはない。

 残るは翁の面、ただ一人。

「おまえは逃げないのか」

「逃げる? ……バカな、何故だ。目の前にノコノコと魔術書の鍵が現れたというのに、何故逃げる。大いなる魔術が手に入るというのに、だ」

「まるで俺を殺せる口調だな……力の差も知らない奴が、強い口調を使うな!」

 大気が震えるほどの魔力を放ち、六錠は肉薄する。振りかぶられた正拳を躱した翁は背後に回って風の塊を作り出そうとしたが、すぐに霧散した。六錠の脚が、面をかする。

「無駄だ。この地下全体に結界を張った。魔術無効の結界だ。この中じゃ、どの魔術だって無効! わかるな! 俺が魔術殺しだ!」

 その魔術は魔術を消し去り、無効化する。呪いも魅了も攻撃も防御も、それが魔術ならばすべてが無効。すべて消し去る結界魔術。その使い手である六錠が、裏の世界で呼ばれる二つ名。

 それが、魔術殺し。

 その戦闘を、調度目を覚ました古手川姫子こてがわきこは見ていた。拳と脚を駆使して翁を追い詰める、六錠の姿。魔術が使えず、戦う手段を封じられた相手にも容赦なく攻撃する。

 あと少し。あと少しで、翁を倒せる。起きたばかりの頭でもわかるくらいに、六錠は翁を押していた。

 そして最後にその巨躯に拳を打ち付けまいと、六錠が腕を振るった——そのときだった。

 古手川姫子の人生上、初めて聞く音が地下全体に響く。それでも古手川は、その音が何の音か理解していた。本物を聞いたことはないが、偽物ならいくらでもある。主にTVで、中学生の頃には陸上競技場で聞いたことがある。

 ただしそれらは、決して何も撃ち出さない。強いて言うなら、それは無害である空気の弾。誰も傷付けない。強いて言えば、鼓膜を少しいじめるくらい。

 だが本物は——今聞いたそれは違う。それは物凄い速さで鉛の弾を放ち、人の肉に突き刺さり、抉り、潰し、貫く凶器。箇所によっては即死させる、近代の兵器。

 今の魔術世界では滅多に見なくなったが、それはまさしく、拳銃が弾丸を放つ音。銃声に他ならなかった。

 そしてその音が響いた直後、六錠は倒れた。前のめりに、頭から倒れる。六錠はピクリとも動かず、息もしていなかった。

「先、輩……?! 先輩! 先輩!」

 煙を吹く小型の拳銃を握った翁は、現状を遅れて理解して笑い出した。六錠が張った結界が、徐々に消えていく。

「ついに! ついにやったぞ! これで第六魔術書は我らの物だ! 全世界よ! これで我が国にも最強の兵力が――!」

 鈍い痛みが走る。見ると自身の胸が、青く透き通った刀によって貫かれていた。貫いたその傷から血を吸った刀は赤く変色し、さらに黒く濁っていった。

 背後には、そこにはいつの間にやら拘束を解き、立ち上がっている古手川の重みを感じられる。彼女の目は翁には見えなかったが、その目は元の青い虹彩から、光を欠けていた。

「き、貴様……!」

「先輩の仇……仇、仇、仇、仇、仇、仇!!! よくも、よくも先輩をぉぉぉ!!!」

 そのまま刀を斬り上げる形で振り払い、斬る。さらに振り返った翁の肩から脚にかけて、一閃した。力なく、翁はその場で血反吐を吐きながら倒れる。

 古手川はそんな翁のことなど捨て、すぐさま六錠に駆け寄った。

「先輩! 先輩! 先輩! しっかりしてください! 仇は私が取りました! ……取りました、か、ら……」

 ここで、やっと気付いた。気付くのにここまでかかってしまった。

 今、自分は人を刺したのだ。その胸を貫き、斬り裂き、捨てた。確実に、殺そうとした。手にはまだ、肉を斬った生々しい感覚がハッキリと残っている。

 その手は震え、さらに震え、ついに全身に回る。それはまるで毒のように、古手川の体を悪寒と気持ち悪さとで侵食した。その毒を体から排出せんと、涙がとめどなく溢れてくる。

 泣いても泣いても、止まることはない。もはや人を殺したから泣いているのか、先輩が死んでしまったから泣いているのかわからない。おそらくこの涙の発端は、前者であろうに。

 胸が痛い。熱い。声が枯れる。掠れていく。頭が重い。意識が薄れていく。だが泣き続ける。泣くことを止めない。

 目の前で倒れている六錠と、自身の手にこびりついた生臭い鉄の臭いとが、現実を突きつける。それにまた涙する。涙は枯れることはなく、泣き声は枯れていく。地下全体にその声は響き、涙は彼女の足元だけを濡らす。

 この現状をどうにかすることもできない涙は、ただ溢れて流れていく。ただその涙が、一瞬何かしらの魔力を宿したそのとき、その涙は止まった。

 枯渇したのではない。きっかけは、目の前から伸ばされた手が、ガッシリと頭を掴んだことだった。そしてその手はおもむろに、古手川の頭に手刀を落とした。

「うるさい、黙れ。頭に響く」

「先輩……先輩! よかった、よかったです……先輩……でも、どうして……」

「……どうやら、悪運に助けられたらしい」

 そう言って、六錠は穴が開いた胸ポケットから何か取り出した。見るとそれは、折れたナイフ。折れた原因は、そのナイフに弾丸が直撃したから。

 つまり弾丸は、六錠には当たっていなかった。だがあえてスキを作るため、死んだフリをしていたわけだ。だが死んだと思われて隣でワンワン泣かれ、困ってしまったのである。

 しかも状況をよく見れば、翁が倒されているではないか。

「おまえがやったんだな」

「私、先輩が殺されたと思って、仇だと思って……そしたらもう目の前真っ暗で……刺して、斬って……殺して……殺してしまいました……先輩、私、私……」

「そうか」

 六錠の手が、古手川の頭を撫でる。そして今までにないくらい優しく、ポンポンと小突いた。

「よくやった、古手川」

「よくないです! よくないです先輩! 私は、私は人を殺しました!!! 私は約束したのです! 死んだ兄と! 誰でも守れる立派な魔術師になるって! 誰かを傷付ける全部から、全部を守れるくらいの魔術師になるんだって! なのに、なのに!」

「落ち着け」

「落ち着けません! だって人を殺したのですよ! こんな……こんなの私が目指した魔術師ではありません! 私は、私は……!!!」

「落ち着けと言ってるんだ! 頭を冷やせ、バカ!!!」

 突然の怒号に、古手川は体をピクっとさせる。そして六錠に頭を鷲掴まれ、翁の方へと顔を向けられた。

 見ると、そこには当然倒れている翁がいた。死んでいる翁が——いや、息をして、気を失っているだけの翁がいた。そう、彼は死んでいなかった。しぶとく、しかし確実に、命を繋いでいたのだ。

「誰が誰を殺したって。状況をよく見て言え。仕留め損ねて泣くとはな……まったく、おまえは状況判断能力に欠けるらしい」

 なんという評価。敵を倒した弟子に、ずいぶんと厳しい。しかしながら、古手川の思うところはまったく別にあった。

「死んで……ない……?」

「あぁそうだ」

「殺して、ない?」

「そうだ」

「……先輩……」

「なんだ」

「……よかったぁぁぁ!!」

 古手川が強く、六錠に抱き着く。そのまま抱きしめられて、耳元でワンワン泣かれて、さんざんだった。

 胸も痛いしうるさいし、六錠はうんざり。だが何も言わなかったし、しなかった。ただ抱き締められ、泣きつかれ、耳元で騒がれた。

 動いたのは、ようやく地下にやってきた二国がニンマリと見つめているのに気付いてからだった。

「邪魔だったか?」

「うるさい。さっさと失せろ」

「やれやれ」

 そう言って二国を先に行かせ、六錠もまた古手川を連れて上へと出る。礼拝堂ではすでに二国の執事達とその執事が呼んだ魔術協会の魔術師達が、敵の集団を拘束していた。

「領土様、礼拝堂にいた全員の身柄を確保しました」

「ご苦労。地下にこの集団の頭目がいる。速やかに確保せよ」

「それと領土様……あの、彼女はどうしましょう」

 執事が差しているのは、六錠が操っていた封印魔術師の少女。彼女はまだ六錠の暗示の中にあり、次の命令を待って立ち尽くしていた。攻撃も何もしてこないので、執事達も対応に困っている次第である。

「ウム……扉よ、そろそろ暗示を解いたらどうだ? おまえのことだ、解くのが難しいだけで解けるのだろう?」

 六錠は答えない。だがそれはしらばっくれているからではなく、答えたくないからだった。その証拠に、六錠は眉間にシワを寄せて少し下を向き、いつもの強い口調を出さなかった。

「先輩?」

「……解けん」

「え?」

「は?」

「だから、解けないと言ったんだ……解術の方法はあるが、俺にはできん。絶対にできん。だから無理だ」

 まさか六錠の口から——師匠の口から無理だという言葉を聞くとは思ってなかった古手川。思わず固まる。

 そしてそれを聞いた二国もまた、思わず開いた口がなかなか閉じなかった。

「では扉、おまえまさか……後先何も考えず魔術を使ったと言うのか? あの、六錠扉が……計画を立てて日常を生きるおまえが? フフ、フハハ……フハハハハハ!!!」

 近くの壁を相手に拳を突き立て、爆笑する。二国にとってはツボだったようで、涙まで流して笑っていた。

「扉! おまえそんなに弟子が大事だったのか! まったく、どうして救うのかだと? 聞いた俺がバカだった! 四法堂しほうどう三鎖みさの奴に教えてやりたいわ!」

「うるさい! 笑うな! 殺されたいのか!」

「いやいや、それは困る。しかし……しかし笑わせろ。今夜は——いや、もう夜も明けるか。とにかく! 今日は祝宴だ! 六錠扉に新しい恋人ができ——」

 六錠が拳を振るう。しかし二国は一瞬でその場から消え去り、また別の場所に移動した。転移魔術だ。

「なんだ照れるな! 俺は嬉しいんだ! 人生で三番、いや五番目くらいに嬉しい! いやいやよかった! なんならパーティーの幹事を俺がしようか?!」

「バカ! 勝手にはしゃぐな! 子供かてめぇは! おまえは昔から変わらないな! そういうところが! 自分のことより他人のことですぐ喜ぶ!」

「言うな言うな! 照れるではないか!」

 こうなったときの二国はある意味無敵である。なんでもかんでも幸せで片付けるからだ。まったく、面倒になった。本当に暗示魔術なんてかけるんじゃなかった。今更だが。

「あの、先輩……領土くんは何を笑って——」

「いい。ツッコむな」

 ツッコまれたら余計面倒になる。弟子を助けるために解けない魔術まで使ってしまったのだ。後から思えば、かなり恥ずかしい。

「先輩……?」

 二国のような、恋愛感情の類はないはずだ。だがなんだこの恥ずかしさは。見つめてくる古手川の目が、いつも通りに直視できない。そしてその目がまたいらしく、再度訊いてこようとしたときだった。

 突如、地震のごとく地面が揺れる。しかしそれは礼拝堂とその周囲だけで、本物の地震ではなかった。

 それは魔術による振動。地下の翁が発動した、風の魔術だった。地下からその姿を現し、礼拝堂の上へと降り立つ。

「逃さぬ! 第二魔術書も、第六魔術書も! 我が祖国が戦争で勝つために! 必ず手に入れてみせる!」

 暴風を吹かせ、礼拝堂のまえに止まっていた車をなぎ倒す。六錠はとっさに結界を張って自身と古手川を守り、二国は澄まし顔で耐えた。執事や協会の魔術師達は、いとも簡単に吹き飛ばされる。

 翁はさらに風を吹かせながら、銃弾を放った。古手川を庇い、六錠は彼女を抱えて跳ぶ。対して二国は目の前で触れることなく停止させ、灰にして消失させた。

「奴め、冷静さを欠いているな」

「中途半端に倒したのが裏目に出たか」

「そんな……私の、せいで……」

 古手川の小さな背中を叩き、鼓舞する。落ち込むのは後だと、六錠はその鼓舞で語った。

「おまえの過去に、何があったかは知らん。知ろうとも思わんし、聞こうとも思わない。だが、約束か何かがあるんだろう? おまえの本懐は、守ることにあるんだろう? だったら、その本懐を遂げられなかったときに悔め。それ以外のことでウジウジと考えるな」

「先輩……はい!」

 六錠の手が、グシャグシャと古手川の頭を撫で回す。ちょっと痛かったが、先輩に撫でられるのが、古手川は嬉しかった。なんだか、安心する。

 そして暴風を吹き荒らす翁と、六錠は二国と並んで対峙する。そして魔力を込めた拳を引き、構えた。

「領土! 二秒力を貸せ! 文句は言わせん!」

「いいだろう。魔術を取り返してくれた礼として……そして何より、珍しく先輩からの要請だ。応えぬわけにもいくまいよ」

 六錠が走る。二国の魔術によって地面がめくれ、礼拝堂の屋根上まで続く階段ができる。踏めばすぐさま崩れてしまう脆い階段を駆け上り、六錠は拳を引いた。

「死ね! 死ね! 我が祖国の勝利のために! 生贄となれ!」

 銃弾が六錠の横顔を掠め切る。だが迷うことなく肉薄し、翁の拳銃を叩き落とした六錠の拳は、翁の面を叩き割った。

 面を砕かれ、風が止む。翁の体は屋根を転げて、落ちる寸前のところで停止した。前歯と鼻が折れたシワだらけの顔を、初めて晒す。

 屋根から降り立った六錠は、古手川の頭を軽く叩いた。

「行くぞ」

「はい! 師匠!」

 だから……統一しろっての。

 古手川を連れて行く六錠の後姿を見て、二国は鼻で笑う。頭目の翁の捕縛を命じると、月光に満ちる空を見上げて吐息した。

 いつ以来だ。あの男が、隣に誰かを置いているのを見るのは。まったくもって懐かしい。あいつに、見せてやりたいものだ。

 ずっと色々あった夜は、もう明けようとしていた。





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