孤高の魔術師

 一人の人間に対して、憧れを持ったことがある。

 そいつは誰とでもすぐに友達になれて、すぐに仲良くなれる奴だった。元々の性格が明るいことと、持ち前の笑顔とですぐに友達を作れる奴だった。

 そんなあいつに憧れた。友達を作れる奴でもなく、友達自体にでもなく、友達が作れるというそいつに憧れた。それだけあいつは自分にとって、他の奴らとは違う存在だったのだろう。

 その感情が果たして真に尊敬なのか、それとも子供ながらの恋心だったのかは今ではわからない。まぁ当時だってわかってはいなかったんだろうが、今よりあやふやではなかった気がする。

 とにかく、六錠扉りくじょうとびらはそいつに憧れていた。それは昔、まだ自分の名前が六錠扉ではなかった頃。まだ魔術師の鍵になるだなんて運命を背負うことを、自覚していなかった頃である。

「せんぱぁい! どうしたですかぁ! 何か問題でもぉ!」

「なんでもない! 三週目に入れ!」

 古手川姫子こてがわきこは特訓していた。屋敷の広い庭を駆け巡り、メイド達が用意してくれたターゲットを水の弓矢で射抜く。それをひたすらに繰り返し、今三周目である。

 このメニューを考えた六錠は、庭が全体が見通せるテラスでパッドを手に見下ろしていた。その隣で二国領土にこくりょうどは、メイド達に巨大なセンスで扇がれながら、好物であるぶどうジュースを口に含んでいた。

「魔力量が乏しいな、古手川姫子は」

「だからこうして、魔力量を上げる特訓をしている。魔力を生成するのは基本、体力だからな。だがあいつは俺と違って魔力調節の効くタイプじゃない。おまえに似てるな」

「技術か破壊力でいえば、後者というわけか。造形魔術師なんて技術屋の象徴のような立場のクセして」

 自身が司る属性に形を与え、あらゆるものを作りだす。それが造形魔術だ。結界魔術ほどではないが、その価値は希少だと言われている。

 何せ物を作るというのは、とても緻密ちみつで繊細なコントロール技術を要する。普通なら何日もかけて作り上げるものを一瞬で作るのだ。難易度としては、裁縫で使う針の穴に箸を使って糸を通すより遥かに難しい。

 弓矢という複雑なものを作れる古手川には、それほどの魔力コントロール技術が備わっているはずだ。だがそれほどの腕を持ちながら、彼女は魔力の量を調整するという基本的なコントロールができていない。魔力が入っているボトルを蓋もせず、常時逆さまにしている状態と言った方が近いか。

 それが解せない。何故そんな矛盾が生じているのか、まるで意味不明だ。

 変な癖でもついているのか、それとも魔術そのものが未完成なのか。様々な要因が考えられたが、六錠はこれだと決定づけなかった。

 変な先入観を頭に入れてしまうと、真の理由が別のものだった場合に気付けなくなる。だから今はとにかく、矛盾を生じさせないレベルにまで体になじませるしかない。

 だからこその特訓メニューだ。魔術の正しい使い方を、徹底的に叩き込む。生憎と造形魔術師じゃないが、コントロール技術を要する魔術師としてならアドバイスはできるはずだ。

 ものを作り上げる、という点では結界魔術も同じようなものである。

「まぁあれはおまえの弟子だ。俺は口を出さん。が、あれは相当なじゃじゃ馬だぞ?」

「わかってる。それより、おまえは狙われてる身なんだ。外じゃなく、部屋にいろ」

「ん? まさかおまえがそんな弱腰とは。俺を厳重に閉じ込めないと安眠できないか?」

「バカ。俺は結界魔術師だぞ。防御において、この魔術の右に出るのはない。だがそうして守られる対象に緊張感なくいられると、自律神経が逆撫でられるだけだ」

「まぁいいではないか。ギリシャ支部の魔術師よりも、おまえの守りは心地よい……と、四法堂しほうどうの奴も言っていた。故に俺も心地いい。かの魔術殺しに守られることがな」

 フン、と六錠はその場からいなくなる。そして庭で大の字に寝転んで休憩している古手川の元に行くと、バケツいっぱいの水を頭からぶっかけた。日本では初夏だが、ギリシャの地は生憎とまだ寒い。

「あわわ! 先輩! 冷たいのですよ!」

「休めとは言ったが、大の字に寝ろなんて誰も言ってない。休息は座ってしろ。それと、五周目最後の的、射抜けてないぞ。おまえは魔力の量が少ないんだ、せめて外すな」

「ふぇぇ、厳しいのです……でも、特訓してる気になるのですよ。なんだか懐かしいのです」

「懐かしい? あぁ、そう言えば代々魔術師の家系とか言ってたな。親にでも教えてもらってたのか」

「いえ、兄に教えてもらっていたのです。兄は私と同じく、水の造形魔術師だったので」

「ならなんで、今もその兄から習わない。俺に習うより、よっぽど効率がいいだろう」

「それは無理です……もう、お兄ちゃんはいませんから」

「は?」

「い、いえ! なんでもないのです! さぁ先輩、二回目行きましょう! 再チャレンジなのです!」

 これ以上ツッコまないでくださいって? バカ、ツッコまねぇよ。そんな明らかな不幸話。そういうのは五枷いつかせので充分だ。

「もういい、他のメニューに移る。あと五分休憩したら、筋トレだ。逆立ちはできるな?」

「さ、逆立ちですか……」

「じゃあ俺が相手してやる。倒立して、その状態で腕立て伏せだ。数は……三〇にしてやる」

「は、はい!」

 かなりキツイことを言っているように聞こえるかもしれないが、魔力を持つ人間ならこれくらい大したことない。さらに言えば古手川だって魔術師。魔力で筋力を強化する術くらいある。

 そんなこんなで本日の特訓を終えた古手川は、大浴場でお風呂に浸かっていた。一体何人用なんだという、古代ローマ式の大浴場である。

「痛いのです辛いのです沁みるのです……あぁぁ……死んで生き返るのですぅ……」

 全身筋肉痛の体に、熱い湯が沁み渡る。その中で古手川は、ふとこんなことを考えていた。

 何故六錠は二国を毛嫌いしているのか。同じ境遇の魔術師同士だというのに、六錠は二国が気に入らない様子だ。

 本人に訊いたら、多分知るかとかさぁなとかの言葉で躱されるか、単に気が合わないだけ、と答えるに違いない。だから考える。

 二国の方は六錠を快く思っているようだ。自分より強いと認めているのか、それとも自分より弱いと見下しているのかは知らないが、とにかく六錠を仲間だと思っている。

 そんな二国を毛嫌いする理由が、古手川にはわからなかった。

 が、一つの仮定に辿り着く。そこまでに至った根拠は完全な妄想で、とくにこれと言った証拠があるわけでもない。ただそれは、六錠を師匠に持つ古手川にとって、決定的だった。

 その理由を、カタカナ四文字でこう表す。ツンデレ、と。

 先輩はきっと、領土くんを認めているのです。だからあぁいう態度なのですね? なるほど……ツンデレさんは大変なのですね。

 そんなことは無論なく、二人の間にちょっとした因縁があることを、このときの古手川はまだ知る由もなかった。

 一方、六錠は昼間の古手川の特訓映像を見ていた。テラスの上からパッドで撮ったものである。

 タッチして拡大したり、巻き戻してみたり、古手川の動きを事細かに見て観察する。そこから見える古手川の癖を見抜き、今後に生かす算段だ。

 だが何度見ても、特に気になる点は見つからない。むしろ素晴らしいものだ。自ら動き回りながら的を射抜く正確さ。その精度は約九割。だいたいは中心を射抜く。

 矢の精度は申し分ない。だとすればすぐにバテるのは、やはり魔力調節の問題だろう。今度は魔術の特訓をさせてみようか。

「ほぉ、今日の様子を撮っていたか。熱心なものだ」

「なんでおまえがここにいる、領土」

 六錠の座るソファの背もたれに、二国は寄り掛かる。一番風呂をもらった彼はバスローブ姿で、手にはまた、ワイングラスに入ったぶどうジュースを持っていた。

 一口含む。

「ここは俺の屋敷だ。俺がどこにいてもおかしくはなかろう?」

「借りてるとはいえ今は俺の部屋だ。勝手に入るな」

「まぁそう言うな。少し話があって来た」

「話?」

 そう言って、二国はベッドに座る。ワイングラスに口を付け、ジュースを一口だけ口に含むと、少し噛むようにしてから飲み込んだ。

「率直に訊くが、おまえはどうするつもりだ? 扉」

「何をだ」

「翌年の話だ。翌年、俺達魔術書の鍵六人が集結する。魔術書の封印を強化するために。その再封印のときに連れる従者を、おまえはどうするんだと訊いているのだ」

「……さぁな」

「これは俺の考えだが、おそらく再封印は今までの比ではなく俺達に負担がかかるのだろう。従者を連れよと協会が言ったのは、その封印の負担を軽減すべく必要と見た。俺達とはべつの封印か魔術刻印が、施されるのだろう」

「だから?」

「おまえはその従者を、あの娘にするつもりか?」

 六錠は答えない。パッドの画像に集中している。だが構わず、二国は続けた。

「やめておけ。今のところなんの才能もない。翌年には間に合わない。おまえが奴の何を見出したかは知らないが、無駄なことだ」

 六錠がパッドの電源を切る。そして二国からワイングラスを取り上げ、残っていたジュースをすべて飲んで返した。

「あいつは従者とは関係ない。俺があいつを鍛えるのは、あいつが勝手に俺の弟子になったからだ。それ以外の何もない」

「……そうか。それは少し寂しいな」

「何?」

「俺は嬉しかったのだ。貴様が人生で初めて、自分一人で友達を作れたとな。一体どんな経緯いきさつがあったか、奴にも聞かせてやりたいくらいだわ」

 六錠は黙る。二国の言うが、六錠の思うあいつと同一人物だからだ。あいつの話題が出ると、六錠は弱い。そのことを、二国はよく知っていた。

 まぁあれから十年も経って、未だ変わらずとは思ってもみなかったが。

「おまえにもとうとう従者が決まったかと、安心していた。が、予想通り。おまえは再封印を一人で受けるつもりなんだな」

「当然だ。今更他の誰かに任せられるか。今までだって一人でやって来たんだ。今度だって一人でやる」

「そうか……」

「おまえはもう従者を決めたのか。気が早いな」

「あぁ。従者の話が出た段階で、俺はそいつに決めていた。俺と共に戦う者。俺と運命を共にするもの。そうなれば、俺にはそいつしかいなかった。俺が唯一、親友と呼べる友だ。おまえには、まだいない者よ」

「そうか」

「扉よ、もういいのではないか? 孤高の魔術師も、休息の時だ。もういいではないか。一人では限界がある。それはこの俺とて言えることだ。そんなおまえの限界を守り、支えてくれる者。それを見つけてもいいのではないか」

「余計なお世話だ。そしてくどい。孤高の魔術師なんて気取ったことはないが、じゃあ今更どうしろって言うんだ。友達を、仲間を作れと? おまえもわかってるだろ……俺には、無理だ」

「……そうだな。おまえには無理だ。もう、奴はいないのだからな」

 沈黙が続く。お互い、言葉を発しない。外を吹く風の音が、やけに大きく感じる。次の言葉を発することのできない重圧に耐えきれず、二国は吐息した。

「扉よ。おまえは会う度に寂しくなっていくな。奴と一緒に遊んでいた頃……そう、あの頃の温もりは一体、どこへ捨ててしまったのだ」

「……話は終わったか。終わったな。だったらもう出て行け。俺は変わらない。変わるわけにはいかないんだよ」

「あぁ、終わった。終わったとも。そして俺の計画は失敗した。本当はな、扉。おまえに俺のメイドを与えようと思っていたのだ。従者にどうだ? と言うつもりだった。が、失敗に終わったな。奴のようにはいかなんだ」

「余計なお世話だ」

「……そうだな。そうだった。せっかく自分自身で後輩——いや、弟子を得たのだ。大切にしてやれよ、扉」

「それこそ余計なお世話だ……とっとと行け! 目障りだ!」

「おぉおぉ、怖い怖い。ではさっさと退散するとしようか。では良き夢を」

 二国はそれだけ言い残して、部屋を出て行く。それと入れ違いに古手川が、ブカブカのバスローブ姿で入ってきた。二国から貰ったものだが、まさか使うとは思っていなかった。

「師匠! お風呂出ました! ……どうしたですか?」

「おまっ、バカ……!」

 バスローブがブカブカ過ぎて、ところどころが見えている。とくに胸元がはだけて、腹筋の縦筋が見えていた。思わず顔を逸らす。古手川は、まるで気付いていない。

「先輩?」

「……わかった、わかったから! その……あれだ! 服をちゃんとしろ!」

「……! す、すみません!!!」

 ようやく気付いたようだ。とっさに後ろを向き、着直す。だがそのとき一瞬だけ見えた小さな肩が、六錠に顔を覆わせた。頭を抱えて、小さくあぁと唸る。

「すみません、見苦しいものをお見せして……」

「いや、いい。今度からは気を付けろ……入ってくる。特訓の話はあとでな」

「は、はい」

 着替えを持って、六錠が部屋を出て行こうとしたそのとき、突然部屋と廊下の電気が消える。突然の暗闇に驚き、古手川は思わず六錠に飛びついた。

 とくに膨らんでいるわけではないが、柔らかな感触が腕に当たる。バカ、何を意識しているんだと、六錠は内心自分に怒鳴りつけた。

 すぐさま外を見る。街の明かりは点いたままだ。暗くなっているのは、この屋敷だけと見える。となれば、考えられる要因は一つだった。

「先輩、これってもしかして……」

「おまえにしては察しがいいな……古手川、俺は領土を探してくる。おまえはここにいろ」

「私も——」

「おまえがいたら足手まといだ。いいな、ここにいろよ」

「でも——」

「わかったな」

「……はい」

 古手川をその場に置いて行き、六錠は走る。すると廊下の途中で、二国が立ち止まっていた。あえてなのか偶然なのか、外の光が差し込んでいる窓のまえに立っている。

「領土、何をしている」

「扉か……来たようだぞ」

「わかってる。俺から離れるなよ」

 二国の隣で、六錠は魔力を集中させる。そしてすぐさま結界を、自身と二国の体に張りつけた。窓の外へと、意識を持っていく。

「相変わらず見事な手際だな。自らに結界を張り、魔術を無効化して得意の体術でさばく。他の魔術師では真似できない戦法だ」

「魔術師は基本、近接戦闘などしないからな。そんなことより、周囲を警戒しておけ。今のおまえだって、魔力探知くらいはできるだろう」

「できるが、それは無駄なことだ。奴らは魔力探知を掻い潜る手段を持っている。前回がそうだった」

「何……?」

 すると同時、廊下に並ぶ窓を破って数十人もの黒い影が侵入してきた。外の結界も破られたようで、続々と入ってくる。あっという間に囲まれた二人は、背中合わせになって見回した。

 数は三〇……いや、四〇くらいか。

 前より多いな。確実に殺しに来たか。

 彼らはジッと二人を見つめ、スキをうかがう。その手には金属のナイフが握られていて、魔術を使ってくる様子はなかった。

「こいつら、魔術師じゃないのか」

「さぁな。だがこれは……」

 六錠の魔術を無効化する結界の弱点。物理攻撃は無効化できない。それを見事に見破られたかのような対応である。ナイフで刺し殺す気だ。

 だがそうなれば、結界を張る必要はない。六錠は結界を解除し、首を鳴らした。その隣で、二国もグラスを割る。そしてブラブラと、手首を回し始めた。

「これなら俺も戦えるな。実のところ、見ているだけではつまらんと思っていたところだ」

「おまえが肉弾戦してるところなんて見たことがないが、死なないんだろうな」

「当然だ。俺を誰だと思ってる。緑の第二魔術書の鍵、二国領土だぞ。魔術戦闘だけでなく、近接戦闘もこなしてみせる」

「そうか」

 いずれこの異常事態を察して、メイドや執事達が駆けつけてくる。そうなれば前回の二の舞だ。それがわかっている彼らはナイフを握り締め、そして、同時に襲い掛かって来た。

 月夜の下で、血飛沫が舞う。

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