魔術刻印

 二国領土にこくりょうどのリムジンに乗せられ、六錠扉りくじょうとびら古手川姫子こてがわきこは二国の家へと向かっていた。今回のギリシャの拠点はそこになるらしく、古手川はともかく六錠は文句が言えなかった。

 だがずっと不機嫌そうな顔である。二国を前に、ずっと貧乏ゆすりをしている次第だ。

「それで、どういうことだ領土。厄介だと言うのは」

「見るがいい。この腕を」

 そう言って、領土は籠手を外して袖をまくる。そこにあったのは肌に刻まれた赤い文字列。魔術によって刻まれた、魔術刻印だった。主に呪いや守護の魔術を受けている証拠である。

「先日俺を狙っている奴らが施した、魔術刻印だ。一定期間、対象者の魔術を封じる効果がある」

「それを、喰らったのか」

「そういうことだ」

 今の短い会話だけで、六錠は疲れ果てる。何故なら今、想像できてしまったからだ。二国がその魔術刻印を刻まれる光景が。

 二国領土は自信家だ。それも過度の。自分の魔術より勝るものはないと思っている。自分より劣る魔術など回避する必要性も皆無だと考えている。だから避けない。

 どんな魔術も受けきって、無傷でいるのが真の勝者だと思っている。昔からこういう考えだ。その性格のせいで、今まで何度死の淵を経験したか数えられるものではない。

 それでも一回も懲りたことはなく、今回もまた危ない橋を渡っているようだ。

 まったく疲れる。なんでこんな奴の尻拭いをしなければならないのだ。あいつがいればもう少し、こいつも言うことを聞いただろうに。

「おまえのことだ……どうせいつもみたいに正面から受けたんだろう。おまえは防御系の魔術が使えないんだ、そこを自覚しろ。というか、魔術書の鍵であることを自覚しろ。んでもって一回死ね」

「俺に雑魚の魔術を回避しろと? 不要だ。その程度で俺が揺らぐか。そして俺は生きるぞ? しぶとくな」

「今揺らいでるだろうが。んでもってその期間俺達に守れって言うんだろうが」

「そうだ。光栄に思えよ、扉。この俺を守るということは、魔術師として名誉なことなのだからな」

「不名誉だ! おまえは一度どころか三度は死んだ方がいいな、今すぐ死ね!」

「生きる!」

「死ね!」

「や、やめてください先輩。同じ鍵同士、お仲間ではありませんか」

 完全に不機嫌になった六錠はそっぽを向く。外を眺める六錠の隣で、古手川は籠手を巻き直す二国の腕を見た。

 防御系の魔術が使えないとのことだったが、確かに腕は傷だらけである。今まで相当な数の魔術を受けてきたのだろうことは、明白だった。

「どうした、古手川姫子」

「あ、いえ……その……どれくらい魔術が使えないんですか?」

「……フン、そうだな。この程度ならあと二、三日で解けるだろう。術者である魔術師に解呪させればさらに早いが、とにかく三日だ。おまえ達にはその期間、この俺の身を守ってほしい」

「三日、ですね! わかりました! それなら先輩にお任せなのです! お手の物なのですよ!」

「古手川、勝手に話を進めるな。俺はやるつもりなんて――」

「先輩なら、楽勝ですよね!」

 古手川の期待値マックスな視線が浴びせられ、六錠に断りの台詞を言わせない。そこまでの威力がその眼差しにあるとは六錠も思っていなかったが、結局何も言えなかった。

 そしてそのまま、リムジンは二国の屋敷に辿り着く。ギリシャの地とは少し違った英国の造りで、大きな噴水のある広い庭があった。数十人のメイドが出迎える。

「「「お帰りなさいませ、領土様」」」

「領土様。こちら、魔術協会フランス支部より紹介状です」

「あぁ、たしかに受け取ったと伝えておけ」

「領土様。こちら、先日お食事したレストランの請求書となっております」

「あそこはステーキの店だったな。A5ランクの和牛と一緒に代金を入れて送ってやれ。それで文句はあるまい」

「領土様。お風呂の準備、整っております」

「気が利くな。すぐに入る。バスローブを支度せよ。エミリアはどうした」

「エミリアは日本に飛んでおります。魔術協会日本支部に、領土様の代わりに行っております故」

「そうか……わかった。うん、今日からしばらくこの二人がこの屋敷を使う。部屋を用意し、丁重にもてなせ。あとすぐに食事にしてやれ。腹が減っている様子だからな」

「「「はい、領土様」」」

 メイド達がそそくさと屋敷に入っていく。そのうち一人が大きな日傘を広げ、二国に差した。そしてそのまま、領土も屋敷へと歩いていく。

「……先輩、領土くんって何者ですか?」

「由緒ある貴族の生まれらしいことは知ってるが、それ以上は知らん。だが今でも相当の権力を持つらしい」

 その後は流れるようにメイド達に迎えられ、すぐさま何人用かわからないテーブルがある部屋へと通される。着席すると同時メイド達が列を作って、満漢全席に近い量の料理をテーブルに並べた。

 すべての料理が運ばれると同時、二国が部屋に入る。本当に今の短時間で風呂に入ってきたようで、濡れた髪を拭きながらバスローブ姿で登場した。

「さぁ飯だ! 飯を食おう! 今回の報酬の先払いだ、存分に飲み食いするがいい!」

「では遠慮なく、いただきます!」

 遠慮なく、まるで久々の食事であるかのように古手川はかぶり付く。すでに弟子が手をつけたことで逃げられなくなった六錠は、溜め息を吐くだけ吐いてから食事に手を付けた。

 古手川の喰いっぷりに、二国はかなり嬉しそうである。貴族故に食事にがっつく客など滅多に入れないのだろう。珍しい客に対して、おもしろがっているようだった。

「いい食いっぷりだ。存分に食え? 古手川姫子」

「おいしいのです! おいしいのです! こんな豪勢な食事は久し振りなのです! ありがとうございます、領土くん!」

「結構結構。俺もそんな食い方をする奴は久方振りだ。見ていて飽きないな、なぁ扉よ」

「……領土。魔術刻印をつけられたとき、その連中はどうした」

 なんだかんだでもうスープ二杯にサラダ一皿。ステーキ皿三枚を完食していた六錠が訊く。古手川に負けず劣らず食事に手を付けていてくれていることに、二国は満足している様子だった。

 二国も久し振りだったからだ。メイドや執事以外の誰かがいる食事なんてものは。

「襲ってきたのは、こことは別の別荘でな。俺に魔術刻印を打ち込んだまではいいだろうが、執事やメイドに囲まれて奴らは退散しおった。まぁだからこそ、俺のこれは解けていないわけなのだがな」

「そいつらの正体は」

「さぁな。だがただものではないことは確かだ。身のこなしも魔術の出来も、そこらの魔術学園の生徒より遥かに上だった」

「ちゃんとした組織、というわけか……そうか」

「なんだ? とうとうやる気になってくれたか?」

 違う。もし大したことのない組織だったら、古手川をぶつけてみようと思っただけだ。

 だが相手がそれなりの手練れなら、古手川の出番はない。今回も一人で、ちゃっちゃとこなしてしまおう。

「なるか、バカ。ただやらないと話が一向に進まないと悟っただけだ」

「そうか、ならばいい」

 食事を終え、入浴を終え、六錠は用意された部屋に入る。そこで翌日の古手川の特訓メニューを二、三考えてからベッドに横になった。

 二国領土の家に泊まるのは、久し振りだ。まだ鍵となるまえ、魔術師にもなっていなかった頃はよく泊まっていた。第一から第六までの魔術書の鍵となる子供達が集まって、よく泊まっていた。

 その頃は多分、今よりは仲がよかったと思う。全員まだ子供だったし、魔術書の鍵になることなんて思ってもいなかったからだ。

 それにあの頃はあいつもいた。他でもない、あいつがいたから仲が良かった。あいつが、自分達を繋げてくれていた。

 それまで友達作りが下手で、ずっと一人ぼっちだった六錠扉に、友達を作ってくれた。あいつには、感謝している。今ではその繋がりもなくなってしまったと思っているが、それでも感謝している。あいつには、一時の居心地の良さを与えてもらった。

 だがもう一度会いたい、とは思わない。それは決して叶わないことで、願ったところで意味がないからだ。それでも本音で言ったらと訊かれたら、さてどちらだろうか。

 今では会いたいのか会いたくないのか、それすらもあやふやになってしまった。それだけの時が過ぎ去った。寂しさは、あるのかもしれない。

 今でもときどき、あいつのことを思い出す。あいつとの時間はそれだけ充実していて、かけがえのないものだった。だから会いたい、とは思えない。

 何故だろう。いつからそんな冷たい人間になったんだろうか。いやそもそも、今更会ってどうしようというのだろうか。相変わらず下手な友達作りのコツでも聞こうか。いや、いい。

 あいつにこれ以上世話をかけるわけにはいかない。自分だって成長したのだ。相変わらず友達はできなかったし、これからもそう作る気はないが、あいつの世話になるほど変わらなかったわけではない。

 あいつはもう、眠らせてやるべきなのだ。静かに、誰にも妨げられることもなく。この星の中で。

「先輩……」

 ドアがノックされる。声からして古手川であることはすぐにわかった。すぐさま、ドアを開ける。

「先輩すみません、起こしてしまいましたか?」

「まだだが、どうした」

「すいません……緊張して寝れなくって……」

「何故おまえが緊張する。おまえが狙われてるわけじゃないんだぞ」

「だって、領土くんがあんなこと言うから……」

——前回もそうだったが、連中は夜遅くにやってきた。次に襲うときも、おそらくそうだろう。警戒が必要だぞ? 

 六錠は古手川を部屋に入れる。そして窓の外を見るように促し、屋敷の庭を見せた。

 外は三日月が月光を輝かせ、ギリシャの街と屋敷の庭を照らしていた。その月光に、度々この屋敷を守っている結界が見え隠れしている。入った瞬間に気配を察することができる探知結界だ。

「この屋敷に備わってるトラップだ。これにかかれば、大体の奴の侵入はわかる。だから安心して寝ろ。心配することはない」

「そうですか……よかったです」

 まぁしかしこの結界、見たところ月光によって力が弱まる結界のようだ。わざわざ弱点を晒しているところ、実に二国らしい。来るなら来いと言う自信で、満ち溢れていた。

 これなら確実に敵は夜に来るだろう。そのことまでは古手川には言えない。また緊張して、睡眠が妨げられるだけだ。

「でも……やっぱり緊張しますね。いつ敵が来るかわからない、というのは」

 六錠は吐息する。部屋に備え付けられていたグラスと水入れを取り、水をグラスいっぱいに注いだ。

「飲め」

「え、でも……」

「いいから」

 少しでも落ち着かせようとしての配慮だったが、これが古手川の心拍数を上げる。結局飲んだのだが、それで落ち着くことはなかった。

「落ち着いたか」

「は、はい……」

 ダメです! 余計ドキドキしちゃいますぅ!

「まぁ、その緊張感は大事だがな。連中も来るとしたら、奴の魔術が封じられてるこの期間中だろう」

「はい、頑張ります」

「おまえは頑張らなくていい。俺が全員叩きのめす」

「でも、先輩だけじゃ……」

「おまえはまだ多勢と戦えるまでの魔力は持ってないだろうが。今回は引っ込んでろ」

「……はい」

 結局そのまま部屋に戻ったが、古手川はなかなか寝付けなかった。数分後には寝るのだが、彼女が睡魔に襲われたのは、一つの決心を固めてからだった。

 

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