結界魔術

——姫子きこ。俺達は強くならなくちゃならない。自分が一番大切だと思う何かを守るためにも。俺達は、誰よりも強くならなきゃいけないんだ

 そう、あの人は言っていた。

 あの人は元々すごい魔術師だった。才能もあるし実力もある。魔術学園では常に序列上位にいるほどだった。

 そんなあの人のことが誇りだった。誰よりも自慢していた。あの人よりも、誇っていた。

 だってあの人はいつも、一歩後ろに引くひとだったから。いつも謙遜して、自分は弱いだとか、そんな立派な人じゃないだとか言う人だったから。だから代わりに言ってあげた。

 あの人は強いんだ、すごいんだ。あの人こそ、自分の理想とする立派な魔術師なんだ。そう言って回ったこともあった。さすがにそれは怒られたが、でもあの人はそれでも嬉しそうだった。

 だからあの人は今でも古手川こてがわ姫子の理想であり、憧れの将来だった。

 でもあの人はもういない。あの人は、手の届かない場所へ行ってしまった。ならば今度は自分がなる。自分が、自分自身が、立派な魔術師になってみせる。そう、誓ったのだ。

 目を覚ますと、そこは保健室だった。今日干したのだろう日の匂いがする布団をかけられて、横になっていた。

 ベッドの隣では六錠りくじょうが座っていて、ウトウトしている。時計を見ると、すでに七時を回っていた。とっくに完全下校時刻である。

 だがその中で古手川は、ふと六錠に向けて手を伸ばす。組まれている腕に触れようと少しずつ、少しずつ手を伸ばしたが、最後には引っ込めた。手を握ったら怒られるかな。そんなことを思う。

 その直後に六錠は目を覚ました。本当に、手を握っていたら怒られそうなほど寝起きが悪かった様子で、かなり険しい顔をしていた。

「起きたか」

「は、はい……ご心配をおかけしました」

「心配してない。やめろと言ったのにやめなかったおまえが悪い」

「本当、そうですね……ごめんなさい。でも、また明日からも頑張りますので――」

「おまえのその執着心は、どうかしてる。しばらく特訓はなしだ。休め」

「で、でも先輩――」

「聞こえなかったのか。休めって言ったんだ」

 鋭い眼光が脅してくる。言っていることは比較的優しいというのに、

「……はい」

「……自販機行ってくる。何がいい。買ってきてやる」

「い、いえ、大丈夫です」

「そうか」

 そう言って、六錠とびらは保健室を出て行く。彼の荷物はまだベッドの側にあったが、ドアの閉まる音がしたとき、古手川姫子はもう彼が戻ってこないような感覚に襲われた。

 もう見放されてしまったのではないか、見限られてしまったのではないか。そんな不安が脳裏をよぎる。

——またおまえは……

 これは父親の台詞だ。当時、魔術学園への入学が決まっていた古手川であったが、父親との手合わせは今まで勝てずにいた。他の家族は、皆が父と互角、またはそれ以上に渡りあったというのにだ。

——やる気はあるのか? 魔術学園入学が決まって、たるんでいるんだろう

 過去の言葉が思い起こされる。もうあんな思いをしたくない。ヤだ、見捨てられたくない。思い出すまいと、すぐに忘れようと、頭を抱える。だがこんな気持ちでは思い出してばかりで、枕を抱き締め膝を曲げた。

 もう、泣きそうである。涙はいとも簡単に、古手川の目尻に溜まって目を潤わせた。

 と、そのときだった。突然勢いよく、ドアが開いたのは。

「姫子ぉ!」

 入ってきたのは、背の高い女子。後頭部に結んだ髪が二本に分かれ、揺れているのが特徴だ。名前を市ノ川真那子いちのかわまなこ。古手川と同級生でクラスメイト。そして親友である。

 市ノ川は古手川のベッドに座ると、その顔を覗き込んだ。

「泣いてるの……?」

「い、いえ……なんでもないのです。それより、どうしたですかマナちゃん」

「いやぁ、姫子が保健室に運ばれたって聞いたから、居ても立っても居られなくて。思わず女子寮から飛び出して来ちゃったよ」

「ご心配をおかけしました。でももう大丈夫ですので」

「よかったぁ。でも姫子をここまでにするなんて、六錠先輩って厳しいんだね」

「はい! 私にあった修行を用意してくれて、しかもちゃんと面倒を見てくださる、厳しくも優しい先輩なのです! そだ! マナちゃんも先輩に弟子入りしますか?!」

「私はいいよ、やめておく。でもさぁ思うんだけど、姫子は自分の魔術を磨くより、先輩の魔術をもらっちゃったほうがよくない?」

「先輩の……魔術ですか?」

「そうだよ! 姫子の造形魔術も珍しいけど、それよりもさらに珍しい結界魔術! どんな攻撃も跳ね返す絶対防御! これさえ憶えちゃえば敵なしだって、みんな言ってるよ?」

「でも結界魔術は珍しすぎて、会得方法もわかってないって先生が……」

「それを使える先輩に弟子入りできたんでしょ? だったら学ぶべきだよ! 学内序列上位にも入れるチャンスじゃん!」

 結界魔術。魔術による結界を張り、あらゆる攻撃を遮断する最強の防御魔術。

 たしかに授業でも、これを使える魔術師は世界規模で見ても数人しかいない。その一人である六錠に弟子入りしたのだから、滅多にないチャンスではある。

 だが古手川は首を横に振り、市ノ川の薦めを断った。今までより強く、枕を抱き締める。

「私は……私は先輩の魔術を教えて欲しくて弟子入りしたんじゃないんです。先輩みたいに強くはなりたいけど……けど、私は私の魔術で強くなりたい。そう、思うんです」

「……そっか。うん、姫子がそれでいいならそれでいいんだ。なんか、ごめんね?」

「いいえ、こちらこそ。先輩に弟子入りしたらと言ってくれたのもマナちゃんなのに、ごめんなさいです」

「いいのいいの。姫子は姫子だもん。姫子の思う通りに、強くなればいいと思うよ」

「はい、ありがとうございます」

 その後、少し談笑してから市ノ川真那子は帰っていった。保健室の前で六錠扉とすれ違ったそのとき、六錠扉はその姿を二度見した。

「今の、友達か何かか」

「はい、マナちゃんなのです……あの、先輩。そろそろ帰らないといけないですよね。だから、その……」

 着替えたいから邪魔だと? バカ、そう言え。

「そのまえに、俺の荷物を取らせろ。先に帰る」

「は、はい。お疲れ様でした、師匠」

 だから、統一しろっての。

 保健室を出た六錠に、古手川の着替えを待つ理由はない。故に待つ素振りは一切見せず、行こうとした。

 が、足を止める。思えば、古手川は自分の過酷な特訓のせいでこうなったのだ。少しばかり、責任を感じる。

 思えば昔、似たようなことがあった。

 同じ特訓メニューを同じ量だけやったのに、自分があまりにも素早くやるものだから、同じ特訓をしていた相手が倒れてしまったのだ。そのときも、先生だった魔術師に責められた。

——君は今一人で特訓してるんじゃないんだから、合わせないと。

 そうは言うが、これは特訓。お遊戯ではないのだ。こっちはただ真剣にやっているだけであって、べつにそいつをいじめようとしたわけじゃない。勝手に競ったのは、向こうの方なのだから。

 だが倒れた相手は、先生に言った。

——先生、扉を責めないで。私が悪いの……私が、自分のペースでやらなかったから

 そんなことを言われたら、本当に自分が悪いみたいではないか。

 そんなことを言わないで欲しかった。まったく、黙っていて欲しかった。

 結果それを狙ったのかどうか、六錠はその相手に謝った。相手は、べつにいいのとか言ったけれど、少しだけ嬉しそうだった。今もこの状況を見たら、あいつはこう言うに違いない。

 謝らなきゃいけないよ、扉。

 はいはい、わかってますよ。謝るよ。謝ればいいんだろ? ただし明日以降な。こっちにも心の準備とか色々あるんだよ、知ってるだろ? ——

 気配を感じて、一瞬で臨戦態勢に気持ちを持っていく。廊下の両側——階段辺りに誰かいる。それも一人二人じゃない。何人かいる。その鋭い視線は次の瞬間、火の球を撃ってきた。

 両側から炎の球がぶつかり、炸裂する。だが炎は六錠の周囲で渦巻き、その体を焼くことはない。焼こうとして触れれば、即座掻き消される。

 だが炎はそれでも放たれる。連続で放たれた炎はやがて形を作り、渦巻く炎の檻となって六錠を捕まえた。

 が、六錠が軽く腕を振ると同時、弾け飛ぶ。これが六錠の結界魔術。その結界に六錠はまだ名前を付けてないが、触れた魔術を確実に消し去る対魔術用魔術。

 その魔術を見た視線達は、すぐさまその場から退散した。

 何か他に策があるのか、それとも魔術攻撃が効かないと諦めたのか。どちらにせよ、六錠は結界を解いた。

 結界魔術は持続魔術。張っている間は常に魔力を消費する。故に一度結界を解いたのは、臨戦態勢を解除したのではなく、長期戦を想定した戦略である。

 だが攻撃してくる気配はない。というか、気配がない。完全に撤収したようだ。時間にして一分ほど警戒して、ようやく臨戦態勢を解除する。

 追ってもおそらく逃げられると悟り追わなかったが、六錠扉は姿を見せない襲撃者の存在を確かに脳裏に刻んだ。そして思う。

 またか。

「六錠先輩……? どうかしたんですか? なんか少し、焦げ臭いですが……」

 古手川が頭だけを出して覗いてきた。

 六錠に今の出来事を話す気はない。話してもただ慌てふためかれるだけだし、なんの解決にも繋がらないからだ。

 そして何より、まったく関係がない。

「なんでもない。それより、着替え終わったか」

「は、はいなのです! お待たせしました、先輩!」

 しまった、結局待ってしまったか。まぁいいが。

「まぁいい、行くぞ。もう遅いから、送ってやる」

「え……」

「なんだ、イヤなのか」

「そ、そうではないのです! ただ、その……嬉しくて、えへへ……」

「……まぁいい。行くぞ」

「はいなのです」

 その後古手川を送った六錠は、今日の出来事をメールで送った。いつもなら数秒というマッハクラスの速さで返ってくる返信だったが、この日はいつまで経っても返ってこない。

 結局諦めて、帰って早々シャワーを浴びた。

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