第52話あと絶えて

あと絶えて

     幾重も霞め

          深く我が

              世をうぢ山の

                    奥の麓に


                        前小斎院百首


世を憂い


深い山奥の麓にいる


私の痕跡など


誰にも知られぬよう


幾重にも霞めてしまえ



現代語訳にすると、かなり解釈が異なる歌にして、確かに訳も困難。

「うじ」という言葉から、源氏物語宇治を想起する研究者もいる。

確かに源氏物語で、宇治の山深くに住み未婚を貫く大君の生き方と式子内親王様とは「世間の情勢」から切り離された世界に住んでいたという点で共通するものがある。


また、大君の父八宮が、異母兄冷泉院(源氏と藤壺の不義の子)に奉った歌に


あと絶えて 心すむとは なけれども 世をうじ山に 宿をこそかれ

※世間的な交わりを絶つことによって、澄んだ悟りの心境に入るわけではないけれど、結局は世を憂いものと思い、宇治に隠れ住んでいます

                            (源氏物語 橋姫)

がある。


おそらく、式子内親王様が源氏物語を読み、冒頭の歌を詠んだという指摘である。


ただ、式子内親王様は同じ「あと絶えて」を使いながら、自分のことなど、幾重にも霞で見えなくなってしまうことまで、歌の中で命じている。


宇治山に引きこもりながら、仏道に専念するといいながら。どこか世間の目を気にしていた八宮と、「自らの痕跡まで消してしまえ」という式子内親王の違い。


平安摂関家の爛熟期の源氏物語と、現実の公家社会から武家社会に変容する血生臭い闘争や頻発する飢饉の時代に生きた内親王様の違いもある。


どこまで想い、この歌を詠んだのか。

それは、本人に聞く以外は、ないのだと思う。







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