第45話式子内親王の和歌研鑽と俊成、定家
式子内親王様の和歌への道は、消息(手紙)に添えられる贈答歌からはじまったと思われている。
また、皇女のたしなみとして、万葉、古今等の古典和歌や、各種の草子、中国の典籍等も、十分に学んでいた。
その後、希代の和歌の匠である藤原俊成に和歌を本格的に師事をする。
その後、俊成一家とは、俊成の娘二人が内親王様に女房として仕え、また俊成の実子定家も治承五年(1181)からに御所に参るなど、交流を深めた。
その後、俊成が撰者となった「千載集」には、内親王様の和歌九首が収められるなど、俊成からも当代一流の女流歌人と認められるようになった。
さて、内親王様の歌の研鑽は、互いに批評を交える歌合の場ではない。
あくまでも、俊成の教えと古典典籍の研究、混乱を極める社会情勢、自らの不安な健康状態。孤独な生活からの、懸命な精進からなされている。
尚、新古今和歌集の撰者となる定家の評価としては、日記に「神妙」と記すほどの歌境に達している。
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