第23話京の生き地獄

養和元年(1181)一月、高倉天皇が21歳で崩御、二月に清盛が64歳で死ぬ。

この年は、全国的な旱魃・大凶作の年。

7月以降は特に悲惨、兵糧の調達が出来なく戦争も起きなかったほど。


「方丈記」は、その生き地獄さながらの様子を記している。


かくわびしれたるものども ありくかと見れば則ち斃れふしぬ。

ついひぢのつら、路頭に飢ゑ死ぬるたぐひは數もしらず。

取り捨つるわざもなければ、くさき香世界にみちみちて、

かはり行くかたちありさま、目もあてられぬこと多かり。

いはむや河原などには、馬車の行きちがふ道だにもなし。


困窮しはてて、フラフラとしている人たちは、歩いていると思えば、すぐに倒れて死んでいる。

築地のあちこち、道端には飢死の者が多すぎ、とても数え切れるものではない。

その数え切れない死体も処理されず放置され、異臭が周囲を覆っている。

腐り朽ち果て変わっていく姿は、もはや目もあてられないことが多い。

ましてや死体が投げ捨てられている賀茂川の河原は、その数が多すぎて、

馬車や牛車が往来する余地さえももない。



式子内親王様と同じ後鳥羽院花壇に属した鴨長明。

下賀茂神社の中にある河合神社の禰宜でもあった。

あるいは、何らかの言葉を交わしたかもしれない。

少なくとも、互いの歌や著作を読んだのかもしれない。


同じ時代に、これほどの文学的才能を持った二人が、至近の距離にいた。

それだけでも、稀有のことだと思う。


長明は、悲惨な飢饉の事実をジャーナリストのように記した。


内親王様は、どのようにして、この悲惨な事実を知り得たのだろうか。

時折、歌の中に見える異常なまでに暗い表現は、こういう悲惨な情景が絡んでいるのだろうか。


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