第8話 私は嬉しかったんだ

――ゴルキチ

 朝起きると、床で寝ていた。

 私はベッドから落ちたことなんて記憶にある限り一度もない。差し迫った生贄の儀式に思った以上に動揺していたのだろうか。

 本音を言えば、生贄になんてなりたくない! 誰だって進んで生贄になろうとは思わないだろう。


 残された時間はあと十日......最後くらい自由に過ごさせてくれるようで、この館を充てがわれた。


 寝ていては勿体無い! 私は起き上がるとベッドに私が眠っているではないか!


 どういうことか頭が酷く混乱し、頭を抱えると毛髪が無い。目の前で寝ている私のように、私には長い茶色の髪があったが、今触れている頭には毛が存在しないのだ。

 不思議に思い、部屋の隅にある古ぼけた鏡を見ると驚愕で大きな声を上げそうになるが、必死に声は抑えた。

 今の状況でベッドに眠る私に目覚められると、厄介だと思ったからだ。


 それでも、あまりの驚きに座り込んでしまう。

 鏡に映ったのはスキンヘッドの浅黒い肌をした男の人だ。私はこの人は知らない。いつ何処でどうやってこの小屋に来たのかも分からない。

 一つ言えることは、今この男の人の体は私だということ。

 なら、寝ている私がこの男の人になったと言うのか。


 分からない。


 とにかく私が起きるまでに、私は落ち着かないと。キッチンでミルクを暖め、時間をかけてホットミルクを飲んでいると、少しづつ気持ちが落ち着いて来た。


 私の部屋から声が響いたので、急ぎ自室へ向かう。


 扉を開くと、驚きで固まっている私がいた。

 この男の人と私の精神が入れ替わったのだろうか。


「君の体の名前はリベールと言う」


「ならば、あなたはゴルキチか?」


「......ああ」


 この男の人の名前はゴルキチと言うらしい。ただ、違和感がある。私に入っている人は恐らくゴルキチさんではない。ゴルキチさんならば、自分を見たならまず最初に「俺が何故ここにいる?」といった反応になるはず。

 彼? 恐らく彼だろう。彼の反応は自身がゴルキチでないことが分かる。リベールとゴルキチを見比べた結果、この体がゴルキチと判断したからだ。


 リベールが生贄になることを告げた時、彼は気を失ってしまう。

 彼はきっと絶望したことだろう、私が生きたいと願ったから彼がリベールになってしまったのだろうか?

 私が望まなければ、彼は......

 考えると胸が苦しくなる。私が私に戻れるなら今すぐにでも戻りたい。寝れば元に戻れるのだろうか。


 起きてきたリベールの顔に絶望は無かった。彼は何を考えているのだろう。


「頼むゴルキチ。協力してくれないか?」


 彼はあの「天空王」をどうにかする気なのだ。私のかわりに犠牲になる彼に、私は協力を惜しまないのはもちろんのことだ。



 しかし彼は元男の人だから仕方ないのかもしれないけど、余りにはしたない。

 ソファーに腰掛けて足をあげるなんて丸見えじゃないか。

 曲がりなりにも私の体なのだから、もう少し気を使ってもらってもいいのに。


 剣を振るう彼は私より酷いものだった。私は騎士になるべく鍛えていたので、センスが絶望的だったにしろ、素人同然の彼よりはマシだ。


 しかし、草刈鎌を持ったリベールは別人だった。これほど流麗に、淀みなく、流れるように武器を振るう姿を今まで私は見たことがない。しかも、リベールが行なっているのだから。


 本当に私の体が、この動きをしているのだろうか。惚ける私の肩を叩き、彼はまた思考の海に沈んでいく。今彼の頭の中には何が有るのだろう。虚空を見つめる虚ろな目は風景を見ているものでは断じてない。

 ただ、足を開いたり閉じたりするのはやめていただけないだろうか。はしたない。



 その夜、私は彼のことを考えていた。


「リベールだからこそできるんだ」


 彼は言った。正直私の剣はたいしたことはない。せいぜい中の上といったところだ。しかし彼は言った。「リベールだからできる」と。そして彼は草刈鎌でその言葉を実行してみせた。

 私が願ったから、生きたいと願ってしまったから彼は犠牲になる。そのことが私を締め付ける。それなのに、寝て起きたら元の体に戻っているんじゃないかと恐怖する自分がいる。

 私は卑しい奴だ。こんなにも彼に悔いているのに、体は寝ようとしない。心のどこかで彼の犠牲を喜んでいるのだ。嫌悪感で涙が出てくる。

 泣きつかれて眠るまで、私はずっと心の中で彼に謝罪の言葉をつぶやいていた。


――翌朝

 朝食を食べていると、彼が私の目が赤いことを尋ねてきた。罪悪感で心が締め付けられそうになるが、なるべく平静を装う。彼に少しでも負担をかけないようにしなければという思いからだ。

 私が疲れた態度を取ってどうする! 彼の助けに少しでもなれることが、今の私にできること。



 親方が持ってきた武器を手に取るリベールは、突然奇声を上げ始めた。草刈鎌の時にも感じたが、目が虚ろで虚空を見ているようだ。一体彼は何を見ているのだろうか。


「あははは。素晴らしい! 素晴らしい!」


 狂喜するリベールを見たとき、背筋が寒くなった。今の彼からは狂気を感じる。この時彼が何故これほどまで喜んでいたのか分からなかったが、蜂蜜熊と対峙するとその意味が分かる。



 蜂蜜熊を前にし、怖気づく事もなくリベールは、


「ゴルキチ、見ていろ。これが、無敵とあなたに伝えた技術だ」


 と私に伝え、突然無表情になる。



 蜂蜜熊とリベールの戦闘は、リベールが圧倒していた。戦闘直後は素晴らしい槍さばきだと思っていたが、すぐに気持ちが切り替わる。

 これはリベールの舞だ。蜂蜜熊と踊る残酷な舞。ただ流麗に波が立たず、蜂蜜熊が踊り、リベールが舞う。

 私はリベールに見惚れた。自分に見惚れるというのも変な話だが、


 これはそう、


 美しかったのだ。


 ただ、美しい。綺麗で流麗な舞。歓喜が私を包み込む。心を奪われる魔性の舞だ。


 彼が言っていた技術とはこの舞のことだろうか。これならば「天空王」でさえ、舞いきれるのかもしれない。

 私は彼の言葉を思い出していた。


「リベールだからこそできるんだ」


 彼がリベールで無ければ出来なかったのだろうか。私は舞うことはできない。

 私が彼のように舞えれば、彼が犠牲になることはなかったのではないか?

 しかし彼は言った。


「違う。リベール。リベールの体が生き残れるように俺が来たんだ」

「天空王を倒す。それにはゴルキチの協力が必ず必要だ。二人揃わないと倒せなかった。だから俺が来た」


 嬉しかった。嬉しかったんだ私は! 私が必要と言ってくれた。私は君を地獄に追い込んだのに、君は私を必要と言ってくれる。

 何を賭けてもいい。彼の願いに答えよう。私に出来ることはそれだけ......


 ただ、彼に一つ不満なことがある。


「寂しくないか? 今日は一緒に寝るか?」


 デリカシーがないところだ。子供じゃないんだから、一人で寝れるよ私は!


 明日は彼が起きる前に、デイノニクスを館まで引いてこよう。私たちの時間は限られている。彼の技術のことはよくわからないが、彼が大丈夫と言うなら私は全て信じよう。

 願い、信じることしかできないが、きっと彼ならば「天空王」を討伐できる。祈ろう彼の為に。

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