非正規的生活の1 嘘とかしゆか似の娘 1-3

 クリスマスが来るたびにこれまでの思い出を振り返ると、子供の頃に買ってもらったガラクタの様なおもちゃとゲーム、思春期に入って手を染めたギターやファッションはもう遠い思い出になっていて、誰とどう過ごしたかを考えてしまっている自分に気づく。愚かしいことに、少なくともそう仕組まれてしまっている。

 その年のクリスマスにまつわる数週間は、中でも非常に特別だった。僕は遠距離恋愛のMとメインの期間には会えないことがわかり、師走の始めを小旅行に充てた。海産物と夜景で有名なH市へ車で出かけて帰る。その提案を出しあった時、ローカル番組の、地方出身俳優が出世したロードムービーシリーズを愛していたMは、携帯の通話口の向こうで小躍りして喜んでいたように思う。僕も向こうが喜んでいるのを感じてわずかながら日々の鬱屈は晴れたように感じた。

 旅行はひとまず成功し、Mの望んでいた海鮮料理も堪能できてそれなりに楽しかったが、車を運転できるのが僕だけで、往復約半日の旅はなかなかに堪えた。帰ってきてからのセックスも含めるとあまりにも疲労してしまったので、真新しい気持ちよさもなかったように思いだせる。翌日Mは名残惜しそうにまた飛行機で帰っていったが、僕はその様子をSNSでつぶやいたりすること以外、あまり興味がなくなっていたかも知れない。

 こちらの地域は12月ともなれば厳冬の入り口で、街を歩く人たちの歩き方が小幅に、滑らないように歩く歩き方に変わっていってそれを知らせてくれる。年末と年明けの商戦期に向け、地方とはいえ仕事も忙しい。

 浮足立つかのような雰囲気の中で、職場の僕らは常に大量の客とプレゼントに忙殺される。商品の在庫は切れ、落胆する客になじられることもある。コンビニでのクリスマス商戦とケーキのノルマに消耗しつつ、職場の友人たちと自虐的に忙しさをネタに笑いあう。帰り道の夜、携帯電話の受信通知にMからの連絡があり、「殺伐とした日々の空気の中で突如彼女からの連絡が!」と開封するも、そこでは互いのちょっとした忙しさと気遣いと、「さみしいあいたい」と言う陳腐な言葉が飛び交っているだけで、何かしら心の底に浸み込んでこないもどかしさを感じる。

 まだ半年そこそこだけど倦怠期かね、と思いながら過ごしているうちにあっという間に日々が過ぎ、クリスマスイヴが到来して、職場の人々も心なしか各自の幸せを前にそわそわしているようだった。その日僕は普通に仕事を終えた後社員通用口で友人と話していたのだが、そこに大きな包みを抱え、ちょっと色っぽい感じの、ブラックのレースフリルスカートと、濃い目で赤に近いピンク色のブラウスを身に着けた女性がいた。

 Yだった。急いでいる様子なので挨拶だけで終わらせようとしたが、隣にいた後輩が「あれぇ、Yさんクリスマスですかぁ?」と囃すように問いかけた。Yは幾分照れたのか、白い頬を上気させて微笑んだ。ロッカールームで化粧を直した、いや本気のメイクにしたのか、いつもよりも少しけばけばしく、僕は若干のけぞった。

「うんー、ちょっと」

「彼氏かぁ、いいなあ」

「ねー、気合入れてシャンパンとか、買っちゃって」

 そう言ってはにかむYに僕は幾らか苛立ったのを覚えている。やはり嘘じゃないか。何が倦怠期なんだか。だから敢えて僕は相手しないようにしようとした。Yはそんな僕を見つけてしまったようである。

「あれ、彼女さんとはどうなんです。」

「別にないけど。」

「えー、いいんですか、彼女さん寂しくないんですか。」

「もう今月頭に会ったしいいんだよ」

「それ寂しいですよー。絶対向こう会いたがってますよ」

「うるせーなわかってるよ。仕事だし仕方ねえだろ。早く行けよ。」

 軽口の果てに「そうですね、行かなきゃ」と言いながらYは小走りにエスカレーターを登っていった。先輩ちょっと八つ当たりしすぎ、と僕は言われたが、はいはい、と僕は答え、家路を急ごうと思った。後輩と別れて歩きながら必死だな、あんなに力入り過ぎて、かえって相手に引かれなければいいけどね、と他人事のように他人事のYの恋愛を吟味した。

 このとき僕は直感で解っていたのだ。Yの恋愛はもうほとんどYの負けパターンで坂道を転げ落ちているんだ、と言うことを。


 正月が空け、元旦の初売りも終わり、日々の仕事で休まらない体のままでいる僕に、Yとその部署の先輩Gが声をかけてきたのは、もう帰ろうとしてエレベーターに乗り合わせた時だった。

「あのね、T君、この子家まで送ってあげてくれない?」

 やおら依頼されて、僕は「はぁ」と生返事をしつつ二人を見る。

「あの、ガンタンだから地下鉄バスの時刻間違えちゃって…もうバスないんですよ。親に迎えに来てもらわなきゃなくなるかも」

 自分で頼めないのか、と僕は思いながら、「いいっすよ」とつい答えてしまう。Yがいつも通り普通のエロさを醸し出していたので、側でそれを鑑賞するのもいいか、自分へのラッキースケベだ、くらいに考えてしまったのだ。一度送り届けているから、家への道も心得ているし、警戒も少なかったのだろう。じゃあお願いしますと言ってYは僕の駅の地下鉄まで一緒に乗ってきた。


 あたしミッフィーが好きなんですよ、これ。みてください。可愛いでしょ、ケータイのコード巻なんです。Tさんはどうですか、好きなこととかありましたっけ。えっ、やっぱり英語関係ですか。凄い。やっぱ若いですよね、Tさん。髪型とか。私も髪型とか結構変えるんです。職場だとおさげ多い?ええ、わりと。あの、Gさんもおさげなんで、髪型被っちゃうから、Gさんと一緒の時だけおさげじゃなくて片側むすびにしたり。うん。そろそろ卒業だし、私もシューカツ中なんですけれど、なんか勤務先に魅力感じなくて。やっぱり資格活かせるようなところにしたいんですけれど、そういうところお給料低いし。何か別の資格取って一年待ってみようかなって―。

 地下鉄に乗ってから僕の家の最寄りで降り、車に乗るまでの数十分、他愛のない話を僕とYは繰り返した。車に乗ってからもそれは続いたので、僕はYが相当自分のことを話す環境に飢えていたのだろうと感じた。僕は話を聞くのは得意だ。ただし、その内容をついつい分析して過剰に行間を読む悪癖を含んでのことではあるが。

「そういやクリスマスどうだったんだよ。楽しかったか。」

 僕は話の流れでYに訊ねた。うん、楽しかったとYは答えたが、その調子がさっきより少し沈んでいたのを僕は感じ取った。明らかに何か別の意義がそこには垣間見えた。たのしかったって、どんな。問い返す僕にYははにかんでみせる。

「んーと、彼氏がシャンパン飲み過ぎちゃって。この前Tさんに相談した服あげたんです。でも、なんか「ありがとう」、て言ってはくれたんですけれど、まだ着て会ってくれてなくて。早く着ろよって」

 あげた服のセンスがその彼氏好みだったのか、それとも―。僕は思いながら「残念だな、やっぱ好みじゃなかったんじゃね」と返す。一緒に選んでくれたじゃないですかぁ、TさんのせいですよぉとYは言いながらケラケラと笑う。あれ、今までに聞いたことのない笑いのトーンだな、と感じる。

「なんかどうなんだろ、やっぱ選ぶのがわるかったかなぁ」

 そう軽くため息混じりに言いながら、ジーンズの上で汲んだ両手の中で小さく指をくるくるとさせるYに、僕はまた何か得体のしれない、腹のそこで脈打つような思いを感じたが、平静を装って車を走らせた。家の側で車を停める。

「ありがとうございました。じゃあまた」

「おう、何か相談あったらまた話せよ。聞くからさ。」

 何の気なしに、僕は爆弾を投げた。きっと効果があるだろうという確信があった。まるで時限爆弾をしかけたテロリストが車ごとそっと群衆の中に潜り込んでいくようなやり方で、それを遂行した。

「…はい、ありがとうございます。じゃあね」

 爆弾の設置に成功したかどうか、僕には判然としなかった。ただ、Y自身からいずれ直接連絡が来るかもしれない、とは思った。それくらいの嘘と逡巡が、爆弾を設置させる隙が、Yの言動にはありありと見えていたのだから。


 そして、その数日後に爆弾は見事に効果を上げたのである。 


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