第15話 永遠の誓い①
今朝早く、「今日は風邪で休む」と比呂弥から連絡があった。
学校に行く前に様子を見に行きたいとチャットで伝えたところ、風邪を移したくないからと断られてしまった。
そんなふうに言われると、余計に心配になる。
……うん、やっぱり学校が終わったら、お見舞いに行こう。家にはまひろおばさんがいるとはいえ、つきっきりというわけではないだろうし、きっと心細いだろう。こんなときこそ、比呂弥の彼女であるわたしがそばで支えてあげないと。
そうだ、お見舞いの品はどうしよう? なにを持っていったら、比呂弥は喜んでくれるだろう?
やっぱり、定番の桃缶? それとも、手作りのおかゆとか?
うん、決めた。両方にしよう。
なんて考えていると、チャイムが鳴った。朝のホームルームが始まる時間だ。
「…………」
教室に入ってきた担任の先生のことは気に留めず、わたしはとある席へと顔を向けた。
遅い遅いとは思っていたけど、まだ来ていない。
遅刻なんて珍しい。それとも休みだろうか。
もしかして…………彩愛も風邪?
一時間目が終わっても彩愛は来なくて、さすがに心配になったわたしは安否確認のチャットを飛ばした。
少しして、返事がきた。なんでも急な法事の予定が入ったらしい。
不謹慎かもしれないけど、わたしは安堵した。
彩愛と比呂弥が同時に風邪を引いていたりしたら、なんというか……関連付けて考えてしまいそうだったから。
ふいに、昨日の屋上での光景が頭に浮かぶ。
彩愛を捜して屋上を覗いてみたら、彩愛だけじゃなくて、比呂弥もいて。
その瞬間は、彩愛を呼び出した相手が比呂弥なのかと思った。
比呂弥が彩愛に告白するんじゃないかって。そう思った。
だけどそれは、わたしの早とちりで。
わたしは、わたしの大切な
それなのに、今また……疑ってしまうところだった。
自分の醜さを自覚して、嫌気がさす。
気がつくと、二時間目の授業が終わっていた。
わたしはぼんやりと彩愛の席を眺めながら、彩愛と、それから比呂弥のことを考えていた。
『先輩はね、伝言を伝えに来てくれたの』
彩愛のその言葉で、わたしの疑念は払拭されたわけだけど。思い返せば、あのときの比呂弥はどこか、様子がおかしかったような気がする。わたしが来たことに、動揺していた――そんなふうに、見えなくもなかった。
伝言というのは、実は嘘で。
本当は、わたしには言えないような真実が隠されているのではないか。
やっぱり本当に、彩愛に告白しようとしていて……
……いや、ただの伝達係だと言ったのは、彩愛なのだ。
比呂弥だけでなく、彩愛のことまで疑おうとしている自分にゲンナリとする。
……だけど。
ただ伝言を伝えるだけにしては、ずいぶんと遅かった。本当に伝言だけなら、わたしが捜しに行くまでもなく、すぐに済みそうなものだけど。
予鈴が鳴るまでの時間、ふたりは屋上で、いったいなにをしていたんだろう?
いや、そんなの、決まってる。
ただ話しこんでいただけに決まってる。
だってふたりは知り合い、いやもう友達みたいなものだし、友達同士で会話が弾むのは当然のことで、不自然さなんてどこにもない。
……そういえば、あのときのふたりは、少し顔が赤かった。
なんでだろう。
三時間目が終わった。
授業の内容はまったく頭に入ってこない。同じようなことばかりが、頭の中をぐるぐるぐるぐるめぐり続ける。
予感が。嫌な予感が加速する。
あのとき、比呂弥はすごく自然に、「彩愛」って呼んでた。
もしかしたら、ふたりはわたしが思っている以上に、親密になっているのかもしれない。
前だって、いつの間にか恋愛相談をするような間柄になっていたし……。
「まあ、彩愛可愛いから」
「彩愛みたいな子に狙われたら、コロっと落ちちゃうかも?」
浮かぶ。
浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
同じ光景が何度も何度も、繰り返し。
「彩愛」
「彩愛」
比呂弥が、親しげに呼びかける声が。
「比呂弥先輩」
うれしそうに微笑む、彩愛の顔が。
こびりついてしまったかのように、脳裏から離れない。
これは妄想? それとも現実?
「彩愛」
「比呂弥先輩」
「彩愛」
「比呂弥先輩」
わたし、どうしちゃったんだろう……。
四時間目の途中、わたしはとうとう、じっと座っていることすらできなくなった。
“予感”に突き動かされるように立ちあがり、怪訝な顔をする教師に体調不良を訴える。
心配そうに声をかけてくれるクラスメイトたちに申し訳なく思いながら、わたしは学校を早退した。
比呂弥に会いたかった。
会って、安心したかった。
ぜんぶわたしの早とちりだって、笑ってほしかった。
だから――わたしの中の不安も、疑心も、すべて包み隠さず話そう。
そして謝ろう。
疑ってしまってごめんなさいって、謝ろう。
比呂弥のことを信じられなくてごめんなさいって。
こんなわたしに、比呂弥の恋人であり続ける資格なんてないのかもしれないけど。
それでも許されるのなら、わたしは比呂弥の恋人であり続けたい。
だってわたしは、比呂弥のことが好きだから。
家の前に到着して、自分の家にあがるよりも先に、隣家のインターホンを鳴らした。
ややあって、ドタバタと慌ただしい足音が近づいてくる。
「はいはいはーい、どちら様ー?」
声の主は女性。まひろおばさん――比呂弥のお母さんだ。
比呂弥と付き合っていることはまだ話していない。だけど近い将来、わたしの口からきちんと話すつもりだ。もしかしたら、お義母さんになるかもしれない、大切な人だから。
「おそらです」
「あらあら、そらちゃん?」
扉が開いて、まひろおばさんが顔を出す。
「あら? 今日って学校早いの?」
「ううん、比呂弥のことが心配で、早退してきちゃった」
って、そうだ。急ぎすぎて、桃缶もおかゆの材料も買ってない。
自分の都合ばっかりで、比呂弥が風邪だということすら失念していた。やっぱりわたし、彼女失格だ。
「比呂弥? 比呂弥がどうかしたの?」
「……? あの、比呂弥って、今どこに?」
てっきり、部屋で寝てるものだと思ってたけど。
まひろおばさんは不思議そうな顔で首を傾げた。
「どこって、学校だけど……」
「………… え っ ?」
「やだ、もしかしてあの子、サボタージュ?」
「……ごめんなさいおばさん、わたしの勘違いだったみたい」
ぺこりとお辞儀して、逢海家をあとにする。
どうやら比呂弥は、風邪ではないらしい。
まさか本当に学校にいる、ってことはないだろう。それならわざわざ風邪だと嘘をつく理由がない。仮病を使って学校を休んだのだとしたら、まひろおばさんには余計なことを言ってしまった。この件も、あとで謝ろう。
……でも、サボりならサボりでいいけど、わたしには本当のことを教えてくれてもいいのにな。
わたし、チクるって思われたのかな。信用ないのかな。
それとも今ごろ、わたしには言えないことでもしてるのかな。
「…………」
ふいに、
浮かんだ。
――空席。
ぶんぶんと首を振って、馬鹿げた妄想を振り払う。
……一旦、顔でも洗って落ち着こう。
玄関の鍵を開けて、家にあがる。
当然両親はまだ帰ってきてないけど、代わりに別の靴があった。
――比呂弥の靴だ。
ちょっと意表を突かれたけど、比呂弥がウチにいることじたいは、特段おかしなことじゃない。
比呂弥は合鍵を持ってるし、昔は自分の家よりも、ウチにいる時間のほうが長かったくらいだ。
サボって身を隠すには、我が家はうってつけだろう。
問題は、なにをしているのか、だけど…………
無人のダイニングを経由して、リビングを覗きこむ。ここにも、比呂弥の姿はない。となるとまず間違いなく、二階――わたしの部屋にいるんだろうけど。
素朴な疑問。
わたしの部屋なんかで、なにしてるんだろう?
昔はよく遊び道具を持ちこんだりしていて、今でもわたしの部屋にある物の三分の一は比呂弥の私物だけど、だからといって今の比呂弥がそれらで遊んでいる姿はあまり想像できない。
だったら……
ふと、思う。
もしかして。
――エッチなこととか……してるのかも。
たとえば……下着を漁ったり、とか……
その下着を使って、ひとりで……とか……
比呂弥がああ見えてエッチなことは、彼女のわたしがよく知ってる。
うん、一度そう考えると、そうとしか思えなくなってきた。
恋人なんだし言ってくれれば、少しは渋ったかもしれないけど、下着くらい貸してあげるのに。
やっぱり、恥ずかしかったのかな。だから学校まで休んで……
だからって、勝手にそういうことされるのは、いくら恋人同士とはいえちょっと嫌。……でもそれは、愛されてるってことだから。
比呂弥がわたしのことを愛してくれている証拠だから。そう思うと、むしろうれしさがこみあげる。
仕方ないから、今回は怒らないであげよう。ほんのちょっと怒ってるふりをしてみて、謝ってきたらすぐに許してあげよう。
……それとも、わたしにはとても言えないような、変態的な行為をしてるとか?
いや、だとしても。比呂弥がどんな特殊な性的嗜好の持ち主だったとしても、わたしだけは受け入れてあげよう。
なんたってわたしは、比呂弥の彼女なんだから――。
そんなことを考えながら、階段を上る。
声が、聞こえた気がした。
わたしの部屋のほうからだ。
……ふたり、いる?
男の人の声と、女の人の声。二種類の声が入り混じっている。ように聞こえる。
気のせいかもしれない。
でも、聞こえる。
ドクドク、ドクドク――心臓の鼓動が、早まる。
男の人の声、これはたぶん、比呂弥の声だ。
女の人の声は――聞き覚えがあるような気もするけど、たぶん、わたしの知らない人。
おおかた、大音量でエッチな動画でも流しているのだろう。そうに違いない。
声は次第に耳元まで届いて、その内容までハッキリと聞き取れるようになった。
「せんぱいっ、比呂弥先輩っ……私っ、またイキそうっ……!」
「彩愛っ、彩愛っ……ああっ、もう出る……っ!」
ドクドクドクドクドクドクドクドク――急激に暴れだす心臓を、無理やり抑えつける。
仮に――
仮にこの扉の向こうに、わたしのよく知るふたりがいたとして。
きっと勘違いだ。
そう、わたしは勘違いをしている。それも、とびきり馬鹿な勘違い。
ほら、漫画とかアニメでよくあるやつ。実際は変なことなんてしてないのに、声だけ聞いた人が勝手に勘違いをして。
慌てて部屋に飛びこむと、ぽかんとした目を向けられて。
それで、わたしが恥をかいておしまい。
そんな愉快な茶番劇が繰り広げられることを信じて、ドアノブを握った。ゆっくりと回す。
なんで濡れてるんだろうと疑問に思って、手のひらに尋常じゃない量の汗をかいていることに気づいた。
視界が開ける。
部屋の中の光景が目に映る。
そこには、
――ああ、やっぱり。
予想どおり、ふたりがいた。
比呂弥と彩愛が、そこにいた。
突然帰ってきたわたしに、比呂弥は驚愕したように大きく目を見開いた。
こちらに背を向けていた彩愛が、上体をひねって振り返る。
わたしと目が合った彩愛は、この世の終わりみたいな顔をした。
ふたりは、ベッドの上にいた。
仰向けになった比呂弥の腰のあたりに、彩愛が
ふたりとも、服を着ていなかった。
わたしは、目の前の光景の、意味がわからなくて。
頭の中が真っ白に染まって、なにも考えられなくなる。
理解できない。
脳が、心が、現実を拒絶している。
これは、わたしの勘違い?
そう思いたかったけど、勘違いのしようがないってことくらい、思考停止した頭でもわかった。
わたしは声を発することもできず、ただ呆然と、部屋の入口に立ち尽くした。
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