第13話 はじめての×××③

 おそらと合流してからも、僕たちは三人で楽しく充実した時を過ごした。

 そうして、楽しい時間は瞬く間に過ぎていき……

 やがておそらが、「暗くなる前に帰ろう」と言い出した。


「そうだね、そろそろ帰ろうか」


 僕が同意すると、おそらは佳月さんに目を向けた。つられるように、僕も佳月さんを見る。


「待って、おそら」


 佳月さんはまっすぐにおそらの目を見返した。


「最後に、おそらにひとつお願いがあるんだけど……」

「うん? どうしたの改まって?」

「一回だけ、先輩と二人で観覧車に乗ってもいいかな……? ほら、やっぱりデートの定番だと思うし、たぶん本番でも乗ることになると思うんだけど、でも私そういうの慣れてなくて自信ないし、今のうちに少しでも慣れておきたいなって……思うんだけど……どう、かな?」


 早口で言って、顔色を窺うようにおそらを見る。

 佳月さんは不安げだが、おそらのことなのでどんな答えが返ってくるかは予想できた。


「いいよ彩愛、その意気だよ、がんばって。じゃあわたしは地上でフランクフルト食べながら待ってるから」

「……うん、ありがとう」

「本番のデート、ぜったい成功させようねっ」

「……うん」


 おそらが笑顔を覗かせるたび、僕は罪悪感に胸が押し潰されそうになるけど、見ないふりをしてどうにかやり過ごす。きっと佳月さんも同じような心境だろう。

 だけどこれが、僕たちが自らの手で選び取った道なんだ――。



 フランクフルトをかじるおそらに見送られ、僕たちはゴンドラに乗りこんだ。

 僕は佳月さんの隣に座ろうか迷って、無難に正面に腰を下ろした。


 ゴンドラは僕と佳月さんを乗せ、ゆっくりとゆっくりと上昇していく。佳月さんが微笑を浮かべながら、地上のおそらに向かって手を振り返している。


 シンと静まり返った狭い空間で、やがて佳月さんは僕に向き直った。


「先輩、今日はありがとうございました」


 ぺこりと小さくお辞儀して、顔をあげる。かすかに頬を上気させ、潤んだ瞳をまっすぐに僕へ向けてくる。


「最初、おそらが三人でデートするって言い出したときはどうなることかと思いましたけど……本当に、来てよかったです。おかげで、とっても素敵な時間を過ごすことができました」

「うん、僕もだよ。単純に、みんなで遊ぶのがすごく楽しかった。また来たいね」

「はい…………でも」


 佳月さんはそこで一度言葉を区切り、僕たちは数秒のあいだ見つめあった。


「今度はできれば、比呂弥先輩と二人だけで、来てみたいです」

「……そうだね。おそらには悪いけど、次は二人で来ようか。あ、でもそれなら、せっかくだし別の場所に行ってみるのもアリかもね」

「…………」


 佳月さんは答えず、じっと僕の目を見つめてくる。

 まるで、を窺うような眼差しだった。僕のリアクションを気にするみたいに、どこか不安げな表情で僕を見ている。


 いったいなんだろう、と佳月さんの言葉を脳内で反芻してみて、気づいた。

 ……あぁそうか、今、はじめて名前で。

 あまりに自然すぎて気がつかなかった。


「……」


 僕も、応えよう。

 佳月さんと、もう一歩先へ踏み出すために。


「――彩愛はさ、遊園地以外で行ってみたい場所とか、あったりする?」


 佳月さん――彩愛は、あからさまに驚いた顔をしていたが。

 やがて、うれしそうな笑みを湛えながら言った。


「私は、先輩と一緒なら、どこだっていいんです。先輩さえそばにいてくれれば、それだけで」

「そっか」

「はい」


 顔を見合わせ、微笑みを交わす。

 ゆったりとした時間が静かに流れていく。


「あの、比呂弥先輩……隣、行ってもいいですか?」

「うん、一緒に座ろう」


 僕は腰を浮かせて少しだけ端に寄った。空いたスペースに彩愛がそっと腰を下ろす。

 二人のあいだに間隔はなく、肩と肩がピッタリと密着している。その重みが、どこか心地いい。


「先輩、見てください」


 彩愛が外の景色に目を向け、地上を指さした。


「あそこにおそらがいるの、見えますか?」

「……うーん、あれかなぁ」

「よく見えませんよね?」

「うん」


 おそららしき人影は見えるが、とてもじゃないが顔まではわからない。

 もうだいぶ上まで来た。時計でいえば十時と十一時の中間あたりだろうか。


「こっちから見えないってことは、向こうからも見えないってことです」

「……?」


 いまいち要領を得ない。彩愛はなにが言いたいんだろう?


「この位置なら、下からどれだけ目を凝らしても中の様子まではわかりません。さっき、乗る前に確認しました」

「……つまり?」

「ここなら……誰にも邪魔されないってことです」


 僕の背中に、彩愛の細腕が回された。すぐ目の前に彩愛のとろけきった顔が迫った。


「ん、んんっ……」


 口づけを交わす。唇をついばみ、舌を伸ばしあって、絡めて、離した口元から唾液の糸が引いた。


「……彩愛、」


 開いた口を、また彩愛に塞がれる。好き放題に口内を蹂躙され、一瞬で脳が溶ける。おかげでなにを言いかけたのか忘れてしまった。

 だから代わりに、別の言葉を囁く。


「彩愛、好きだ」

「私もです、大好きです、比呂弥せんぱい……っ」


 彩愛の指が、ゆっくりとなぞるように背筋を這う。ぞくりと、全身に震えが走った。


「先輩、私は」


 僕の首筋に顔を埋めながら、彩愛は言う。


「私は、おそらにはできないことをしたいって、そう思ってます。だけどその前に、おそらにもできること――おそらが先輩としてきたことは、私も、ぜんぶしておきたいんです」

「…………」

「私が言いたいこと、わかってくれますか、先輩……?」

「……彩愛」


 僕は彩愛の後頭部を撫でつけ、反対の腕をそっと腰に回すと、そのまま滑り落ちるみたいに椅子の下へ降りた。衝撃で少し揺れる。


 硬く冷たい床の上に、彩愛の身体を優しく横たえる。床に広がる長い髪が妙になまめかしく感じた。


 鼻と鼻がくっつきそうな至近距離で、彩愛はじっと僕を見つめる。

 視線だけで、なにかを強く訴えかけてくる。

 ……求めてくる。


「彩愛」

「比呂弥せんぱい……」


 かすかに揺れ動くゴンドラの中、椅子に挟まれた狭苦しい空間で。

 観覧車の頂点で。

 僕は。


 ――僕は、彩愛を求めた。



 ゴンドラから降りた僕たちを、おそらが出迎えた。


「どうだった?」


 彩愛は笑顔で答えた。


「うん、ばっちり」



     ♥ ♥ ♥



 帰りのバスの車内。僕は片手でスマホをいじりながら、隣に座るおそらの言葉に相槌を打つ。


「絶対、また三人で行こうね」

「うん」

『それなら今度の土曜日とかどう? なにか予定あったりする?』

「彩愛のデート、うまくいくかな。そもそもちゃんと誘えるかな?」

「佳月さんならきっと大丈夫だよ」

「それは、一緒に観覧車に乗ってみての感想?」

「まあ、そんなとこ」

『大丈夫です! 先輩より大事な用事なんてありませんから』

「ふぅん、比呂弥がそう言うなら心配いらないかな。……それで、比呂弥はどうだった?」

「? どうって?」

「彩愛と一緒に、観覧車に乗った感想」

「楽しかったよ」

『わかった、じゃあ土曜日ってことで』

「それだけ? 彩愛のこと、好きになっちゃったりしてない?」

「なにそれ? 佳月さんのことは元から嫌いじゃないけど?」

「そうじゃなくて。異性としてってこと。密室で二人きりになって、ドキドキしたんじゃない?」

「まさか」

『あ、でも、おそらにも誘われたらおそらを優先してあげてください。私なら、いつでも大丈夫なので』

「ほんとに?」

「そりゃ確かに、佳月さんは可愛いし、いい子だとも思うけど。でも、それだけだよ。僕が好きなのは、おそらだけだから」

『大丈夫、絶対に彩愛を優先するから。好きだよ、彩愛』

「……そっか」

「うん」

「変なこと言ってごめん。わたしも、比呂弥のこと好きだよ」

『うれしいです❤ 私も大大大好きです❤ 愛してます、比呂弥せんぱい💕』


 僕はスマホの画面を消灯すると、ポケットに仕舞った。

 にやけそうになる口元を誤魔化すように、窓の外へ目を向ける。

 次の土曜日が待ち遠しくて仕方なかった。

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