第12話 はじめての×××②

 品定めするように園内をぶらぶらと見て回る。

 僕の左隣ではおそらが、右隣では佳月さんが、きょろきょろと周囲のアトラクションへ目を向けている。


 佳月さんは最初、おそらの左隣を遠慮がちに歩いていたのだが、おそらの手によって半ば無理やり僕の右隣へと収められた。僕の隣へ来た佳月さんは、おそらの死角で僕の肩をちょんちょんとつつくと、振り向いた僕にいたずらっぽく微笑みかけた。


 遊園地に来てテンションがあがっているのだろうか、普段は見せない子どもっぽい一面が愛らしくてたまらない。


 佳月さんは案外この状況を楽しんでいる様子だった。ならば、僕も変に気負わずに、素直にデートを楽しんだほうがいいのかもしれない。もちろん、ぼろを出さないよう注意する必要はあるけど……。


 いくつかのアトラクションを三人で楽しんだあと、僕は次に乗るアトラクションの話題を佳月さんに振ろうとして、やめた。佳月さんのことばかり気にしていたらおそらに怪しまれる。それにいちおう、これは僕とおそらのデートということになっているのだ。


「そうだおそら、次はあれにしない?」


 僕は真っ赤なジェットコースターを指さして、おそらを見た。


「しない」


 おそらは僕の指さした方角をちらりと一瞥しただけで即答した。


「まだ乗ったことないの?」

「ない」

「いい加減解禁してもいいころだと思うけど?」

「やだ、落ちるもん」

「まだそんなこと言ってるし」


 思わず苦笑する。そういうところは昔から全然変わってない。


「ジェットコースター苦手なの、おそら?」


 佳月さんが会話に加わってくる。


「苦手っていうか、乗れないの。落ちるから」

「落ちる? 高いところが怖いってこと?」

「それは別に平気」

「?」


 首を傾げる佳月さんに、僕は補足してあげることにする。


「背が低いと、ジェットコースターから放り出されちゃうらしいよ」


 小さかったころは、僕もおそらも身長制限に引っかかって乗りたくても乗れなかった。

 僕が成長して乗れるようになってからも、おそらはしばらくのあいだ乗れなかった。

 そしてようやく乗れるようになって、だけどおそらは乗らなかった。

 おそらいわく、身長制限をギリギリ超えたくらいじゃ落ちるかもしれない、とのこと。


 それからも遊園地に来るたび、背が伸びるたび、僕は一緒に乗ろうと誘い続けているのだが、おそらは「絶対落ちる」の一点張りで。

 要するに、変なところで臆病なのだ、おそらは。


「どこまで本気で言ってるのかは知らないけどね」

「あの、素朴な疑問なんですけど……」


 僕の解説を黙って聞いていた佳月さんが口を開く。


「いくらおそらがちっちゃいっていっても、身長制限はもうとっくに超えてますよね?」

「超えてる超えてないの問題じゃなくて、まだ足りないの。だって絶対落ちるもん」


 おそらが食い気味に言う。

 昔から背が低いことを気にしている節があるおそらだが、ここまでくると病的だ。


「ちなみに、どれくらいあれば落ちないと思うの?」


 僕は訊いた。


「う〜ん…………彩愛くらい?」

「…………」


 おそらがジェットコースターに乗れる日は、どうやら一生訪れないらしい。


「そっか、彩愛だ」


 突然、閃いたとばかりにおそらは佳月さんを見た。


「……なに?」

「彩愛、わたしの代わりに乗ってきなよ。比呂弥と一緒に」

「……」


 佳月さんは黙って、おそらを見返した。


「……先輩と二人で?」

「うん。三人でも楽しいけど、二人のほうがデートの練習になりそうじゃない?」

「…………」


 佳月さんはなにやら考えこんでいるようだった。

 やがて、ちらりと僕を見て、


「先輩は、それでもいいですか?」

「もちろん。乗ろうか?」

「……はい。じゃあおそら、ちょっとだけ先輩のこと借りるね?」

「うん、いってらっしゃい。わたしはアイス食べながら待ってるから」


 というわけで、おそらとは途中で一旦別れ、僕は佳月さんと二人でジェットコースター方面へと向かった。


 ……図らずも、佳月さんと二人きりになった。

 せっかくなので、おそらの前では言えなかったことを言ってみることにする。


「あのさ、」「あの……!」


 かぶった。


「なに、佳月さん?」

「いえっ、先輩からどうぞっ!」

「……えっと」


 改めて言おうと意識すると、ちょっと緊張する。


「さっきはおそらがいたから言いそびれたんだけど、その……今日の佳月さんの服、似合ってるね」

「えっ……ほ、本当ですか……?」

「うん、可愛いと思う。すごく」

「…………ありがとう、ございます。先輩にそう言ってもらえると、悩んだ甲斐がありました……」


 佳月さんは案の定、照れたように視線を逸らし、頬を朱に染めた。その顔が見たかった。僕は満足した。


「それで、佳月さんのほうはなにを言いかけたの?」

「私のほうは、たいしたことじゃないんですが……」

「うん、なに?」

「……実は私、絶叫系のアトラクションが大の苦手なんです」

「え」


 衝撃的な告白だった。

 それが本当なら、たいしたことじゃないどころか大変なことだ。


「てことは、ジェットコースターも?」

「はい……怖いです」

「だったら、どうして……」


 どうして、おそらの提案を受け入れたりしたんだろう。そんなに苦手なら断れば……と、そこまで考えてから、もしかしてと思う。


 ふいに、佳月さんが歩みを止めた。倣うように、僕も立ち止まる。


「どうしても、先輩と二人きりになりたかったから」


 果たして、佳月さんは真剣な声色でそう言った。


「……ごめんなさい、わがままですよね、私。二番目でいい、なんて口では言っておきながら、自分の気持ちを優先して、先輩とおそらを引き離すような真似をして。本当にごめんなさい……」


 声を震わせ、佳月さんは胸の内を吐露する。僕は努めて穏やかに、優しく声をかけた。


「そんなこと、気にしなくていいから。それよりも、戻ろう?」


 もうジェットコースターはいいだろう、そう思ったのだが。


「乗りたいです、先輩と」

「いや、でも」

「少しでも長く、先輩と一緒にいたいんです。それに……」


 切実さのにじんだ声が。純粋な想いがこめられた、その澄みきった眼差しが――まっすぐに僕を射抜く。


「おそらにはできないことを、したいんです」

「…………」


 おそらには、できないこと。

 佳月さんとしか作れない思い出。

 それは……とても魅力的な提案に思えた。


「……わかった。だけど、どうしても無理そうだと思ったら、ちゃんと言ってね。そのときは、おそらには内緒で別のアトラクションに乗ろう」

「はい……ありがとうございます、先輩」


 目的の場所には二分とかからず到着した。

 係員に誘導され、待機列に二人で加わる。

 列といってもそれほど並んでいるわけではなく、稼働中の車両が戻ってき次第、すぐに順番が回ってくるだろう。


 僕は隣の横顔をそっと盗み見た。さっきはああ言っていたものの、やはり怖いのだろう。表情には色濃く不安がにじんでいる。


「…………」


 僕は意を決し、躊躇いながらもできるだけさり気なく、佳月さんの手に触れた。すべすべした手の甲を、ほっそりとした指先を、優しく包みこむ。

 ピクリ、と佳月さんの肩が小さく反応する。


「大丈夫だよ、僕がついてるから。僕がずっと、佳月さんのそばにいるから」

「……せんぱい……」


 佳月さんがもぞもぞと手を動かし、指先を絡めてくる。僕はその手を力強く握り返す。


「ジェットコースターは車よりも安全な乗り物だから。係員の指示に従って、ちゃんとバーを掴んでれば、落ちたりすることはまずありえないよ」


 そこで一度言葉を区切り、


「それでも、おそらなら落っこちちゃうかもしれないけどね?」


 と、茶化すように言った。


「……ふふっ」


 佳月さんがこらえきれないとばかりに噴き出す。


「たしかに。絶対落ちるって言いきってましたもんね」

「どれだけ厳重に固定しても、きっとすり抜けちゃうんだろうね」

「かもしれません。ふふっ」


 列に並んでいるあいだ、僕たちはずっとそんな話で盛りあがっていた。

 順番が回ってきたころには、佳月さんの表情からはすっかり不安が消えていて。

 僕たちは何事もなくジェットコースターに乗ることができた。


 戻ってきて、車両から降りた佳月さんの第一声は、


「自分でもびっくりするくらい、怖くなかったです。たぶん、先輩がいてくれたから」


 というものだった。

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