第5話 恋の始まり③

「……はいっ、私なんかでよければ、喜んで!」


 それだけ言うと、私は今度こそ先輩に背を向けた。本当は全速力で走り去りたいくらいだったけど、先輩の前でそんなはしたない姿を晒すわけにもいかず、自制した。


 とはいえ、限界なことに変わりはない。

 これ以上はもう、先輩の前に立っていられなかった。

 これ以上見つめあっていたら、冗談抜きで死んじゃうって思った。


 顔が異常に熱い。

 心臓の鼓動は自分でも引くくらい激しくて、一向に落ち着く気配がない。


 ……だけど、それも仕方ないと思う。

 だって、こんなに早く再会できるなんて、思ってなかったから。


 確かに、ずっと妄想はしてきた。

 あの日、先輩に出会って、はじめて言葉を交わした時点では「おそらの幼なじみカッコいい」くらいにしか思ってなかったから、一目惚れというわけじゃない。だけど数分後、別れるころにはもう好きになっていた。


 それから一週間、ずっと先輩のことばかり考えていた。こんなに人を好きになったのは生まれてはじめてだった。


 さっきも友達と話しながら密かに先輩のことを考えていたところへ、本当に先輩が来て。

 心の準備なんて、できていなかった。

 動揺しすぎてテンションもちょっと変になっちゃったし……。どうか先輩に変な子だって思われてませんように。


 嫌われたくない。

 好き。

 私は、比呂弥せんぱいのことが好き。


 わかってる、先輩はおそらの彼氏だ。

 高校に入学して最初にできた、私の大切な友達の、恋人だ。


『だからおそらとは、正式な恋人ってわけでも、ないんだ』


 先輩はそう言っていたけど。でも。

 それが嘘だってことくらい、わかる。

 わかってしまう。


 先輩の言葉を鵜呑みにして喜べたらよかったんだけど、私はそこまで鈍感ではないし、盲目的になってもいない。


 あの日の翌朝、私にだけこっそり耳打ちで報告してくれたときの、おそらの表情。

 お世辞にも表情豊かとは言えないおそらにあんな顔を見せられれば、二人がお試し期間の恋人なんかじゃないって、嫌でも思い知らされる。


 だからこそ、妄想だけで我慢するつもりだった。

 言葉を交わすだけで満足するつもりだった。

 だけど私を見る先輩の眼差しには、の熱がこもっていて。


 あんな目で見つめられたら、期待してしまう。

 私にもまだ可能性があるんじゃないかって、夢を見てしまう。


 ダメなのに。


 それはいけないことだって、頭ではちゃんとわかっているのに。

 それでも諦めきれないのだから、我ながら救いようがないと思う。


 だけど、それが本心。

 いろんな意味でどうしようもない。


 私は、比呂弥せんぱいのことが好きで。

 私の思いあがりでなければ、比呂弥せんぱいも私のことが好きで。

 つまり私の妄想でなければ、私と先輩は、両想いだ。


「せんぱい……好きです、比呂弥せんぱい……」


 そっと胸に手を当てて、誰にも聞こえない声でつぶやいた。


 結局、私はどうしたいのか。

 私は、先輩とどうなりたいのか。

 肝心な部分を誤魔化しながら。

 明日もまた先輩に会えるという喜びを、今は噛み締めている――。



     ♥ ♥ ♥



「ごめん、おまたせ。待ったよね?」


 校門前で、部活終わりのおそらと合流する。ここまで急いで来たようで、呼吸が苦しそうだった。


「気にしなくていいよ。僕が言い出したことなんだから」

「本当にごめんね」


 心底申し訳なさそうな顔で、おそらが見あげてくる。


「だって比呂弥、本当は部活見学するつもりで……だから待っててくれる気になったんでしょ?」

「……」

「それなのにわたし、比呂弥の気持ちも考えないで、恥ずかしがって拒否しちゃったから……」

「だから、いいって。僕のことは本当に気にしないで。明日からも勝手に待ってるから」

「ううん、それはもういいの」

「……え?」


 実にあっさりと。


「部活、辞めてきたから」


 おそらは言った。


「元々、体験入部中だったし。正式に入部するって決めてたわけでもなかったから」

「え、いや、でも……なにも辞めなくても、」

「それこそ、比呂弥が気にすることじゃないよ。これは、わたしが自分で決めたことだから」


 僕の目を見てキッパリと言うが、それでも僕は食い下がる。

 それだけは。

 どうしても、認めるわけにはいかなかった。


「……だけどおそら、中学でもバレーやってたでしょ。そんなに好きなら、やっぱり続けるべきだと思う。恋愛との両立だって、できないわけでもないんだし」

「ありがとね比呂弥、わたしのこと、いろいろ考えてくれて。だけどね、もう決めたから――わたしも比呂弥を見習って、もっと彼女らしくなろう、って」

「…………」


 まっすぐな眼差しで、そんなふうに言われたら。

 僕はそれ以上、なにも言えなくなった。


「そういうわけだから、明日からも一緒に帰ろうね、比呂弥」

「……うん、もちろん」

「もう二度と遅刻しないからね」


 冗談めかして言って、おそらは笑った。


 そのあとも、家に着くまでいろんな話をしたけど……

 内容なんて、一切覚えていなかった。

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