第3話 恋の始まり①
おそらとの関係が、幼なじみから恋人に変わって一週間。
恋人同士になってもチャットの頻度は相変わらずだし、休日に遊びに出かけるようなこともない。
変化らしい変化といえば、毎朝時間を決めて一緒に登校するようになったことくらいだ。それまではたまたま鉢合わせない限り一緒に行くことはなかったので、以前に比べれば恋人らしくなったといえなくもないが……
とはいえ本当にそれだけで、手を繋ぐことも、特段会話が弾むこともない。
基本的には、今までどおりの僕とおそらだった。
だから僕は、
「今日からはさ、彼氏らしく部活終わるの待ってようと思うんだけど」
と、そんな提案をした。
おそらはバレー部で僕が帰宅部なので、帰りはいつも別々だったのだ。
「そう言ってくれるのはうれしいけど……でも悪いよ。けっこう遅くなっちゃうと思うし……」
「いいよ、どうせ暇だし。それにせっかく恋人同士になったんだから、少しは彼氏らしいこともしたいんだ。ダメかな?」
「……ん、わかった。いっしょに帰ろ」
それでもまだ申し訳なさそうにしているおそらに、僕はしっかりとうなずいてみせた。
――というのが、今朝のやり取りだ。
あとになって思えば、そのときにはもう、僕の心には打算と期待しか残っていなかったんだと思う。
放課後になってすぐ、おそらからチャットが飛んできた。
『言ったからにはちゃんと待っていてくださいね』
「もちろん」
と即レス。
『ありがとう』
おそらの返事から少し間を置いて、僕はまたメッセージを送った。
「ところで、バレー部の活動場所って第二体育館だっけ? もう着いた?」
すぐに返ってくる。
『今向かっているところです』
『ていうか』
『来ないよね?』
『本気で恥ずかしいので見学はやめてほしいです』
おそら、昔から授業参観とか大の苦手だったもんな。この反応は予想できた。
「残念」
さも行くつもりだったかのようにそう返信して、スマホを仕舞った。
さて。
おそらはもう、教室にはいない。
彼女がまだ教室に残っているかはわからないけど……急ごう。
僕は逸る気持ちを抑えながら、一年三組の教室へと向かった。
そして、一週間前と同じように、扉の陰からそっと中を覗きこんだ。
緊張で無意識に喉が鳴ったが、気にせず僕は室内を見回した。教室の中を、ただ無目的に見回しているふうを装って、それとなく、せわしなく視線を移動させた。
教室の片隅で談笑する、女子の一団が目に留まる。
後ろ姿だけでわかる。あのスタイルの良さと美しすぎる黒髪は、間違いなく彼女だ。
一団に加わっていた女子の一人が、僕の存在に気づいた様子でこちらを見ながら何事か話している。
こちらに背を向けていた彼女も、視線を追うように振り向いた。
一週間ぶりに見た彼女は、やっぱり、とんでもなく可愛かった。
彼女は――佳月さんは僕の姿を認めると、すぐに顔をそむけて友人たちに向き直った。そしてひと言ふた言言葉を交わしたのち、輪を抜け出してまっすぐに僕のもとまでやってくる。
「あ、えと……お久しぶりですっ」
佳月さんはちらと上目遣いで僕を見て、小さく頭を下げた。
「あ、うん、こちらこそ……えっと、佳月さんだったよね」
白々しく聞こえないよう細心の注意を払いながら、僕は言った。
佳月さんは意外なほどぱあっと表情を輝かせた。
「私のこと、覚えててくださったんですねっ」
「まぁ、そりゃあ、ね」
忘れるわけがなかった。
佳月彩愛。
それはこの一週間、幾度となく思い返した名前だったから。
「うれしいですっ……」
言葉どおり、本当にうれしそうな顔で佳月さんは言う。
なんだろう、佳月さんのテンションが、この前よりも若干高い気がする。なにか良いことでもあったのか、それともこの前は警戒していただけで、こっちが普通なのか……わからないが、どちらにしろ魅力的なことに変わりはないので、たいした問題ではない。
「あ、ごめんなさい、おそらに用事があるんですよね? おそらなら、ついさっき部活に……」
「あ、いや、うん。それは知ってるんだ」
「? そうなんですか?」
「うん……ちょっと部活が終わるまで待ってようと思って。でも、見学には来るなって言われちゃったから……仕方なく、ぶらぶらして時間を潰してる感じかな」
「あ、そうだったんですね」
よし、ここまでは順調だ。
問題はここからだ。
どうにかして、少しだけでいいから、佳月さんと一緒に過ごす時間を作りたい。頑張って、そういう流れに話を持っていかないと……
「えっと……先輩は帰宅部、なんですか?」
「え、うん、そうだけど」
「……私も、まだ部活決まってなくて。いろいろ見学してはいるんですけど。だ、だからあの、私も暇なのでっ……」
佳月さんはどこかしどろもどろになりながらも、じっと僕の目を見つめてきた。
「あ、あの! 先輩さえよければ、ちょっとお話でもしませんか……?」
……まさか、佳月さんのほうから誘ってくれるなんて。
一も二もなく、僕はうなずいた。
「実は僕も、佳月さんともっと話してみたいなって思ってたんだ」
勇気を出して、そんなことを言ってみる。
「あ、ほら、あのおそらの友達がどんな人なのか気になって……」
言ったとたん後悔に襲われ、反応が返ってくるよりも早く言い訳するようにそう付け加えた。
「…………私も、同じです」
「え……」
ぼそりと言ったのを誤魔化すように、佳月さんはちらりと背後の教室に目をやった。
視線をたどると、さっきまで一緒にいた女子たちが、ニヤニヤしながらこっちを見ていた。
「あの先輩、ここだとアレなんで……」
「あ、うん、そうだね」
僕たちは教室の中からは死角になっているであろう窓際まで移動すると、向かいあった。
「…………」
「…………」
そして、沈黙。
自分から誘っておきながら、佳月さんはどこか居心地悪そうに視線を逸らしている。
……うん、そうだな。
ここは先輩として、僕がリードすべきだろう。
「そういえばさ」
僕はふと気になったことを、直球で訊ねることにした。
「佳月さんは、聞いてる? その、僕とおそらのこと……」
言ってから、思う。
そんなことを訊いて、僕はどうしたいんだろう。
佳月さんが知っていたとして、あるいは知らなかったとして。
そこから先。
どういう流れになるかなんて、わかりきっているのに。
「あ……お付きあい、されたんですよね?」
ほら。
案の定。
「おめでとう、ございます」
祝われた。
……僕は、どうしたいんだ?
佳月さんの顔を見たくて。話がしたくて。ただ会いたくて。ここまで来た。
で?
それで。
結局――僕は佳月さんと、どうなりたいと思っているんだ?
「…………」
答えは、まだ、出そうで出ない。
だけど。
「ありがとう、でも――」
ただひとつハッキリしているのは、佳月さんにおそらとのことを祝福されるのは、本意ではないということ。
「佳月さんの考える“お付きあい”とは、ちょっと違うのかも」
気づけば、僕はそんなことを口走っていた。
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