第2話 運命の出会い②
「迎えに来てくれるって、思ってなかった」
無表情ではないのに、どこか感情を読みきれないいつもの表情で、おそらは言う。
生まれつき栗色の、ふんわりとしたショートボブの髪。エスニック調のニット帽の両端から垂れ下がる大きなボンボンが、なだらかな胸の前で揺れている。入学して間もないというのにすでに着崩した制服はおそらのセンスが全面に出ていて、よく似合っていた。
「その言葉、そっくりそのまま返すよ」
「待ち合わせ場所、ちゃんと決めとけばよかったね」
そう言って微笑するおそらに、僕は「……ん」と曖昧にうなずいた。
もしもちゃんと待ち合わせ場所を決めて、すぐに合流できていたとしたら、僕は……
その先を考えるよりも早く、僕の視線は吸い寄せられるように彼女のほうを向いた。
目が、合った。
彼女もまた、僕のことを見ていたらしい。どこかぼんやりとした表情をしていた。
僕と目が合ってしまったことに気まずさを覚えたのか、佳月さんは焦ったように顔をそむけた。
「行こ、比呂弥」
おそらに手首を掴まれ、我に返る。
「あぁ、うん」
「彩愛も、比呂弥の相手してくれてありがとね。じゃあね」
おそらは佳月さんに声をかけると、僕の手を引いて歩き出した。
「あ……」
思わず漏らしてしまったかのような、かすかな声が。
背後から聞こえた。
僕はおそらに手を引かれながら、ちらりと、背後を振り返った。
また、目が合った。
一秒、二秒、三秒。
今度は、顔をそむけない。まっすぐに僕の目を見ている。
それから佳月さんは、ぺこりと小さく頭を下げた。
これ以上意味もなく視線を送り続けるのは憚られたので、佳月さんが顔をあげたタイミングで、僕も前を向いた。
……それにしても。
なんだろう、この、後ろ髪を引かれる感じは。
おそらに会えたんだから、これ以上、おそらのクラスに用事はないはずなのに。
……いや、わかってる。
そういうことじゃなくて、つまり、僕が気になっているのは――
「ね、比呂弥」
歩きながら、おそらがこちらを見ずに声をかけてくる。
「ん?」
「付きあってくれない?」
「……? そのつもりだから、こうしてついて行ってるんだけど」
そんな改まって訊かなきゃいけないほど、どこか遠くまで連行するつもりなのだろうか。
大事な話があるとは言ってたけど、ここではできない話なのかな。
「あの、ちがくて。そういうことじゃなくて……」
「?」
比較的ハッキリと物を言うタイプのおそらにしては、珍しく歯切れが悪い。
「だから、あの…………ねぇ、比呂弥は」
おそらが立ち止まるのに合わせて、僕も立ち止まる。
身長が余裕で150cmに届かないおそらは、ほとんど空を見あげるみたいに僕を見て、言った。
「比呂弥は、わたしを彼女にしてみる気とか……ない?」
最初、おそらがなにを言っているのか、本当にわからなかった。
現実味がなさすぎて、言葉の意味が理解できなかったのだ。
「え。…………え?」
「だから、彼女。彼氏彼女。男女交際」
「……僕と、おそらが?」
「うん。付きあってほしい」
「…………」
さっきの「付きあってくれない?」って、あれ告白だったのか……。
おそらが言ってることの意味は、どうにか呑みこめた。
だけど、納得できるかは別だ。
「どう? 無理なら無理で、ハッキリ言ってくれていいよ」
「ひとつ、訊いてもいい?」
「なに?」
「おそらはさ、僕のこと好きなの?」
「…………」
今度は、おそらが沈黙する番だった。
「どうなの?」
「好きか嫌いかでいえば、間違いなく好きだよ」
「それは、異性として?」
「……それは、その……」
言葉を探しているのか、おそらはまた黙りこむ。
「僕はね?」
突然の告白で、まだ戸惑いもあったけど。僕は今の正直な気持ちを、包み隠さず話すことにした。
「正直に言って、おそらを異性として意識したことって、たぶん今日までの長い付き合いの中で一度もないと思う。僕にとっておそらは、一人の女の子っていうより、家族の一員って感じだったから。……彼女もいたことないくせに、なに偉そうなこと言ってるんだって思われるかもしれないけど」
「わかるよ」
ともすれば告白の返事とも取れる言い回しだったが、気にした様子もなくおそらは言った。
「だって、わたしも同じだから。比呂弥のこと、ずっと幼なじみとしてしか見てなかった。告白した今も、心の底から『好き』って言える自信、ないし」
「それでどうして、告白しようなんて思ったの?」
「わたしも、正直に言うね? 比呂弥と付きあいたいって思ったのは――興味本位、なの」
「興味本位?」
「男の子と付きあうって、どんな感じなんだろうって……わたし最近、ずっとそんなことばっかり考えてて。だけど、別に気になる人がいるとかじゃなくて」
「それで、僕?」
おそらは僕の目を見てうなずいて、
「誰でもよかったわけじゃないよ。付きあうなら、比呂弥以外には考えられなかった」
疑問が顔に出ていたのか、先回りするようにそう言った。
「昨日もクラスの男子に告白されたけど、断った」
「興味あったんじゃないの」
「あったけど、でも、それ以上に怖かった。恋人ってことになったら、なにされるかわかんないし、なにされても文句言えなそう」
「そりゃあ、ね」
「わたし、ただでさえ女で非力なのに、そのうえチビだから。無理やり襲われたりしたら絶対抵抗できないし。そういうの考えると、よく知らない人と付きあうのはどうしても怖かった。だけど比呂弥なら、わたしの嫌がることは絶対にしないし、人として信用できるから」
「…………」
なるほど。
理由はわかった。
納得もできた。おそららしいとも思う。
「それで……どうかな。付きあってくれる?」
実のところ、それが告白だと理解したその瞬間に、僕の中で答えは出ていた。
おそらのことを異性として意識したことがなかったというのは、本当だ。告白されたことで急に意識しだした――ということもない。だが、そうは言っても、僕は健全な男子高校生だ。たとえおそらに興味はなくても、女の子という生き物には興味がある。幸いなことにおそらはけっこう可愛いし、これから異性として意識していく、意識的に切り替えていくことは、できないこともないと思う。
だから僕は、すぐに返事をするべく口を開いて、
「……………………」
声が、出ない。
おかしい。なんでだ。
感情の読みにくい表情に、ほんの少しの不安をにじませ、おそらはじっと僕の答えを待っている。
「わかった、付きあおう」
という、その一言が出てこない。
「僕でよければ」
「これからよろしく」
「じゃあ、付きあってみる?」
なんだっていい。
迷いはないのに、喉につかえたように、言葉を発することができない。
「…………」
そのとき。
なぜか、ふいに。
脳裏に浮かぶ顔があった。
今日出会ったばかりの黒髪の美少女が、じっと僕のことを見つめている……。
……いやいや、なにを考えているんだ、僕は。
たしかにあの子はとんでもなく可愛いし、僕の好みど真ん中だ。あんな子を自分の彼女にできたなら、そりゃあもう幸せに違いない。
だけど、世界はそこまで、僕に都合よくできていない。そんな夢みたいなこと、ありえるはずがないのだ。
あれだけ可愛ければ当然、彼氏くらいいるだろうし。
そもそも一度会っただけ、ちょっと言葉を交わしただけの男に、脈があるとは思えない。
だから、彼女に未練があるから告白の返事を躊躇うなんて――そんなのは馬鹿げている。
今はおそらが、僕と付きあいたいと言ってくれているのだ。
女の子と付きあえる絶好のチャンスを、逃していいのか? 付きあえるなら、おそらでも充分じゃないか?
そんな考えはおそらに失礼だって、わかってる。
でもおそらだって、僕に異性として見られていないと認識したうえで、それでも僕を選んだんだ。
だったら、罪悪感を覚える必要なんてない。
僕はおそらの目を見て、堂々と答えた。
「わかった、付きあおう」
おそらは驚いたように少しのあいだ固まって、それから、はにかんだ。
「ほんと? ありがと」
その笑顔は、おそらが僕にはじめて見せた、女の子の顔――
そんな、気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます