君がくれる歌

朱井葵

ep01. 実弥


4月7日。

初めて秋くんにあった日。


 その日は高校の始業式で、私は高校2年生に進級した。

 登校すると教室の前の掲示板にクラス替えの張り紙がされていて、女子たちがきゃあきゃあと騒ぎながら集まってその紙を眺めていた。


「今年も一緒で良かったあ!」

「ええ、私だけ違うクラスになっちゃったあ。」

「担任の先生誰だろう!」


 みんなが一喜一憂する中、夢中で自分の名前を探す。ま…まつ…おか…あった。


【2535 松岡実弥まつおかみや


 2535という数字が示すのは、2年5組35番ということ。


「あれ、実弥おはよー、何組?」


 話しかけてきたのは真野喜晴まのきはる。中学校からの友達だ。始業式という今日も抜かりなく、髪の毛をくるくるとカールさせた校則違反ヘアーだ。


「5組だった。」

「私もさがさなきゃー、えーっとお・・・」


 喜晴は私と同じ5組だった。同じ「ま」から始まる苗字なので、探すことなく私の名前のすぐ真下見つかった。とはいえすぐに教えてしまうのもつまらないので、しばらく喜晴の観察をする。


「えー、1組にも2組にも3組にもいないんだけど!!どこだどこだあ。」


 その横顔は実に楽しそうで、思わず釣られてにやにやする私に気付いた喜晴は「もしかして」といった表情で5組を見る。


「…あはは!実弥と一緒じゃん~!やったあ!」

「一緒だね!!私もうれしい!」


 二人でひとしきり喜んで、教室へと向かう。クラス替えが済んだ後の教室に入るこの瞬間の感覚は、小学生の頃からずっと変わらない。楽しみであり恐怖である。いつまでも慣れない。新しい世界に踏み入る、そんな感覚だ。

 ガラッとドアを開けると、まだそれほど生徒は集まっていなかった。喜晴と前後の席に着く。


「なんか、初日って緊張するよねえ。」


 嬉しそうな顔で喜晴は笑った。

 その時、開いていたドアからのろのろと入ってきた男の子が隣の席に座った。眠たそうな目を雑に擦りながらぼうっとしている。去年のクラスでは見なかった顔だ。誰だろう、と思って見ていると、ふわりとこちらを向く。


「…あ、はじめまして!」


 目が合った瞬間、人懐っこい笑顔で笑う。ぼけーっとして見えた覇気のない顔も、柔らかく笑われると魅力的に見えるものだ。ふわふわとした印象の彼は、なんだか良い子そう。


「はじめまして。」


 愛想笑いを浮かべて丁寧に返す。第一印象というものは人づきあいをしていく上で最も大切なものだと…誰かが言っていた。


「あ、おれ、日野悠ひのゆうって言います。よろしくね。」


「私は松岡実弥。みやって呼んで。」


「おっけー。隣、感じのいい人で良かったわ。」


 嬉しそうに笑ってくれる。軽い口調ではあるものの、そういわれて悪い気はしない。


「ありがとう。」


 その後も、今朝はトーストを焦がしてしまったとか、実は朝はご飯派なのだとか、どうでもいいような話を楽しそうにしてくれた。あまりにも楽しそうに話すものだから、こちらも楽しくなってきて夢中で聞いていた。いくつか適当な話題を膨らませ、連絡先だけ交換した。担任の先生は深山(みやま)先生という若い女の先生で、手短な挨拶と共にホームルームは終わった。


 学校は午前中に放課したので、私は久しぶりに遠回りして家まで帰ることにした。一緒にどうかと喜晴を誘ったが、バイトなんだよお、と断られた。始業式から忙しい子だ。

 海沿いの道は、中学生の頃によく使っていたが、高校に上がってからは3回訪れたことがあっただろうか、という程度。潮風が気持ちよくて、大好きな道だったのに、

高校生になって心に余裕がなくなった。いつも早く家に帰りたいという気持ちが先行してしまうせいで、なかなか足を運ばなくなってしまったのだ。

 坂を下るとすこしずつ海の匂いがする。

 ここに来ると、いつもどこか懐かしいような気持ちで一杯になる。この場所が待っていてくれたような気持ちになって、全然来れなくてごめんね、と言いたくなる。

 海水は変わらず綺麗で、陽が反射してきらきらと光った。砂に足を乗せると、さくっと音がする。ローファーが砂で薄汚くなる。お母さんが新学期に向けて買ってくれた新しいものなのに。怒られてしまうだろうか。そっとローファーと靴下を脱ぐと、潮風が足に纏わりつく。4月の、少し寒いくらいの風はどこか心地よかった。


 さく、さく。


 歩を進める。

 私には定位置があった。そこに腰を下ろして、一人で歌うのが好きだった。


「よいしょ…っと。」


 ばば臭い掛声と共に腰を下ろす。スカートが砂まみれになるのは、何だかもうどうでもよく感じた。それよりも、この場所と一体になれるような、なつかしい感覚に浸りたかった。

 ザザーと音を立てて近寄って来る波は美しくて、引く波と共に心が浄化される気がした。

 ザザーン、ザザー――

 波の音を聞いていると、心が癒される。勉強も、テストも、受験も、友達も、何もかもどうでもよくなってしまう。全てから解放されて、波の一部になって、一緒に歌いたい。小さく口ずさんだ声は、波に飲み込まれて消えていくようだった。

 気持ちいい。

 目を閉じて深呼吸をすると、潮の匂いがふわっとしてくる。


「…このまま寝ちゃいたいなあ。」


 眠気が襲う。

 今日は始業式で、久しぶりに早起きしたからだろうか。昨日までの春休み気分が抜けていないのだろうか。

 少し…だけ…



―――

 

 どこからか、穏やかな音色が聞こえる。波の音の隙間にギターの音色が組み込まれたようなその音色は、優しく耳に届き心を落ち着かせる。

 目を開けると、夕暮れの空が見えた。


「・・・。」


 ―――夕暮れの空…?

 ガバッっと飛び起きて時計を確認すると16時。がっつり寝てしまっていた。


「…あ、起きたね。」


 背後から声がして、あまりの驚きに心臓が止まりそうになる。


「…‼」


「…あーごめん。驚かせた?」


 振り返ると、無気力そうな男の子がギター片手に座っていた。ジーンズにTシャツ、パーカー、スニーカーという格好はどう見ても寒そうで、ぼさぼさの黒髪も決しておしゃれとは言えない。


「…すみません、えーっと、」


 どうしてここにいるのかを聞くべきか。誰なのかを尋ねるべきか。いや、それなら自ら名乗るのが筋かもしれない。とりあえずギターの腕を褒めてみようか…


安東秋あんどうあき。」


「え?」


「俺の名前。」


 ぽかん、とする私を見て申し訳なさそうな顔を見せる。


「君、名前は?」


「えっと、実弥…です。」


「実弥。…ちょっと聞きたいことがあって。」


「…え、あ、聞きたいこと、ですか?」


出会ったばかりの私に?


「―――うーん。」


戸惑う私を困ったように見つめて、彼はため息を吐いた。


「―――やっぱ、いいや。」


「えっ、」


「…ああそうだ、俺ね、実弥と同じ学校の転入生だから。仲良くしてよ。」


 にこっと、ここで彼は初めて笑った。無気力な不愛想さとは相反するような、優しい笑顔。その笑顔と、同じ高校ということにも、安心感をおぼえる。


「…もちろん!」


 よかった。そう言って、彼はゆっくりと立ち上がる。


「…それじゃ、今日は帰ろっかな。」


 立ち上がった彼の荷物はギター一本だけだった。ギターケースさえ無く、ギター一本だけ。


「ケース、ないの?」


「ああ、…無いね。」


 まるで今気付いたかのように答えて、苦笑いする。

 まさかとは思うけど。


「…落としたの?」


 私が尋ねると、顔を微妙に歪める。うーん、と考え込むような顔。


「そう、かも。」


 この人、意外と抜けているところがあるのかもしれない。


「ま、いいや。」


 大して気にした様子も見せず、ギターのネックを握りしめる。


「よし、じゃあ、実弥、またね。」


「…うん。」


 笑顔を見せようと思ったが、どうしても呆れた笑顔になってしまった。


「あ、あと、」


「なに?」


「女の子がこんなとこで寝ないほうがいいよ。」


 今度は秋が呆れたように笑って、じゃあね、と手を振る。正論ですよ。


「…うん。」


 爆睡していた自分を思い返すと恥ずかしく思えて、思わず下を向いた。去っていく足音を、少しだけ寂しく感じた。


「秋、またね。」


 つぶやいた私の声は、波に消された―――と思ったが、彼には届いたのだろうか、

秋はもう一度こちらを振り向いて微かに笑った。


 翌日、学校で“安東秋”の存在を確かめるのは簡単だった。なんせ転校生。みんなの注目の的、話題の中心になっていたからだ。おまけに秋くんは格好良かった。昨日は驚きが勝って秋くんのルックスはあまり気にしなかったが、たしかに、思い返せば格好良かったのかもしれない。あまり鮮明に憶えている訳ではないので断言はできないものの、女の子の反応が答えみたいなものだった。「安東秋くんって、知ってる?」と聞けば「あの、転校生の、イケメンでしょ!!」と答えた。こちらから尋ねなくても、「3組の転校生超イケメンらしいよ!!」と教えてくれる子もいたくらい。

 私と違って、秋くんは随分ときらきらしたモテモテ高校生活を送っていらっしゃるのだなあ。


「転校生、みた?」


 お昼休みにこの話題を持ちかけて来たのは、なんと日野悠だった。


「え、ああ、秋くんでしょ。」


「そう!!!」


 興奮したように、椅子ごと近づいてくる。


「めっちゃ格好良くない?!びっくりしちゃった。」


「ああ、そうだね。」


 よく憶えていないので、適当に話を合わせることにする。こういう時は適当に流すのが一番、相手に話させてあげるのが一番だ。


「さっき、廊下で落としたノート拾ってくれてさ。これはモテるのも納得だよ。俺が女だったら惚れてたなあ。」


 お前はマンガの主人公か、というような展開。へらっと笑う悠に続くように話に入ってきたのは喜晴。


「悠も顔は良いけどねえ。秋くんと比べたらしょぼいな。」


「このタイミングで俺の話はしないでよ!」


 ごめんねえ、と言葉だけの謝罪をした喜晴がけらけらと笑う。


「実弥もああいうのが好きなの~?」


「別にぃ。それに、秋くんはちょっと変わってそうだし。」


 ギターを握りしめて歩く後姿を思い出す。変な人だと思う。でも、優しい人だとも思う。


「…でも、意外と話しやすい人だと思うよ。」


「え、実弥も秋くんともう話したの!?はやーい。私だけじゃん、話してないの!」


 不満そうな喜晴は、仲間に入れてもらえなかった子供のように拗ねた顔をする。「いいだろー。」と、悠がわざと自慢げな顔をして見せる。昨日海辺で会ったことは、面倒くさいから黙っておこう、と思った。


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君がくれる歌 朱井葵 @esora_uta

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