第10話 美しいその激しい想い
この先、何度だってわたしは今日のような思いをするのだろう。
後戻りするには遅すぎ、足は前ばかり進んでいった。
魔王の別れ際の嬉しそうな笑顔を握り潰したい衝動をかられながら、城内の廊下を優雅に、だが決して走ることなく歩き、あの日の約束を思い出した。
わたしの大切な人は昔から体調を崩しがちで、そんな時ほど人払いをする。
心配をした国王夫妻は王太子の扉を薄い木の素材にし、彼の行動を監視させた。
いつもなら侍女たちが扉に耳を這わせ、部屋の音に神経をすり減らしている。しかし、わたしが登城し扉の前に立つ時だけは、ふたりきりにしてくれる。これも国王夫妻の計らいであり、王太子が部屋から出てくる一縷の望みに賭けた結果といえた。
小さな手でコンコンと叩く。
「……起きてるの?」
庭先での出来事から三年ほど経った頃だろうか。
一か月近く部屋に閉じこもったことはなく、心配を募らせ一週間ほど通い詰めていた。
子供特有と言えばいいのか、思い通りにならない怒りを込め、もう一度、手のひらをバチンっとぶつける。
「……アヴェリー、その叩き方はダメです。手の平が痛くなりますよ」
「ふんっ、知らないの? グーで扉をたたいても痛いのよ!」
声が聞こえたことへの安堵半分、今まで無視されてきた怒りも込め今度はつま先で扉を蹴った。
「ふふっ、アヴェリーは中々の乱暴者ですね。……庭園を駆け回る姿をみながらお転婆だなーっていつも思っていたんですけど、実は違ったようです」
「あっそ。嫌いなら、そう言えばいいじゃない。お淑やかなお嬢様が好きだって!」
散々、心配をかけて結果これである。
初めのころは彼の言葉から発せられる雰囲気が不気味で怖かったけれど、この頃はほだされ始めていた。だからふてくされながらそう告げ、扉を背にし床に座りこんだ。
どれぐらい経っただろう。
床には二人分のティーセットが置かれているけれど、冷めている。二度ほど代わりの物が運ばれていたから、中々の時間が過ぎていた。
いつもならアヴェリーから話しかけていたけれど、今日は怒っているのだ。嫌いだとハッキリ言われるまで、自分から動いてやるもんかと思うぐらいに。
とはいえ、子供の体力はそろそろ限界がきていた。
ウトウトしていたのだろう。
ガンッと扉に頭を打ち付け目が覚めると王宮の窓から見える空は茜色に染まっていた。
慌てて立ち上がり、別れの挨拶を告げようと合図を送るため拳を作る。
「アヴェリー、もう来なくていいですよ。僕は……とても無力なんです」
叩こうと力を込めたとき、王子のか細い声が聞こえた。
「また夜がきて、僕は大勢の死を見せられるんです。そして、誰ひとり救えない……」
この頃のアヴェリーは王子がどうして部屋に閉じこもるのか知らなかった。この時もきちんと把握したわけではないけれど、自身の無力さに辛くなってないているだと感じることはできた。
「たくさん、たくさんの国が戦をしているんです。過去なのか現在なのか知らないけれど、多くの人が――」
王子、という身分は国民を救うためにあるのだと教えられたのはいつの頃だろう。王子はくだらないと呟いてはいなかっただろうか。
「あ、あのね……!」
この時、何を言おうとしたのだろう。
アヴェリーは訳も分からず声をあげていたのはたしかだ。
「あなたは英雄でもなければ、勇者でもないの。遠い世界の人まで救う必要なんてない! むしろ、あなたは怖い発言たくさんして、わたしを何度も泣かせる悪者……そうよ、魔王なんだから、自分にとって大切なものだけを守っていればいいのよ!」
薄い扉だから王子の笑い声が聞こえてきた。涙交じりだったけれど、アヴェリーは自分の言葉が届いたことがうれしくて、胸を張った。
「…………僕は、アヴェリーだけを守りたい」
力なく言いながら扉から姿を現したのは、少し年上の綺麗な少年王子。
部屋に閉じこもっていたせいかくたびれて見えるけれど、アヴェリーは彼以上に美しいものを知らない。
「でも僕は王子で、いつか王太子になり国王にならないといけない。嫌、だな」
祖父や父は幼いアヴェリーに言っていた。
自分が好きなものを守るのは当然だと。
彼を悲しませている原因が嬉しい内容だったから、笑顔にするために当然の道を選ぶ。
「うん、いいよ。わたしがあなたの代わりにこの国だけを守る」
だから、約束したのだ。
「お前のせいで王太子殿下は攫われたのよ! 罪人が、王宮を歩くなんて私が許しませんわ!」
魔王が――いいえ、王太子が攫われた。
その情報は上層部のみに伝えられ、パーティーは何もなかったかのように続いていた。
今回開催されたパーティー会場は王宮の西側に位置する、いわば外向きの場所にある。政が執り行われている場所とは離れているため、二つを繋ぐ回廊を急いで歩いていた。
だというのに、甲高い声が響き、わたしたちの足取りを止めた。
振り返れば案の定というべきなのか、公爵令嬢がまなじりを吊り上げ駆け寄ってきている。
「この女をすぐに捕らえなさい!!」
「黙りなさい」
ランディの他に父親ぐらいの年配の貴族がふたり控えていたけれど、彼らに対処を任せずわたしが一歩前に出る。
「なっ、無礼な! 私を一体誰だと思っているの? お前よりも身分高く、この国の国母になる者なのよ!」
「公爵令嬢という身分をひけらかすのなら、あなたはそれ相応のふるまいを求めます」
「あ、あなたは、どうなのよ! 王太子殿下をみすみす攫われ、こんなところを悠長に歩いて……罪の意識はないの!?」
「わたしがこの場に立つ時、一介の侯爵令嬢として立っているわけではありません。さらにこの場は政の場。そのなんたるかを学んでもいない小娘が口をはさんでいい場所ではありません。わたしの言葉が理解できたのなら即刻立ち去りなさい」
顔を真っ赤にしてながら、言い返そうとしているのか、しかし怒りで言葉が浮かんではこないのだろう。こんな娘を相手にする時間はない。
パーティー会場からわたしたちの後を追いかけてきたナリディスの姿を見つけた。
「ナリディス、あなたはこの先に来る必要はありません。両親には緊急事態用にすでに指示が伝えられているので、あなたはそちらに従いなさい」
「えっ、は? 何を言っているの姉上!」
高さで圧倒しようというのか、ランディが公爵令嬢の前に立ちふさがりわたしに話しかける。
「そっちが動くとなると、オレも別行動をとらせてもらうぞ」
「わかってるわ。教会に行くんでしょう? 彼女に必ず系譜を持っていくように伝えてちょうだい」
「他に伝言は?」
「…………蒼い薔薇が枯れた地をよみがえらせるはずだと」
了承の意だろう。ランディは心得たかのように振り返り、胸元に拳をあて深々と頭を下げる。マントをひるがえし自分の役割を全うするため立ち去った。ついで、と言わんばかりに令嬢を引き連れ。
「姉上……あなたは一体何をしようとしているんです」
「わたしは美しい者は好きよ。でもね、綺麗ごとは嫌いなの」
あの王は危険だ。
隣国は宗教国家。王といえど教会に逆らうことはできない。その教会は大昔、神の血を引くとされる王が自分のために国を作って以降、我が国の王家の血を欲している。中でも力を発現した王太子の存在は教会として、神として崇め利用したいのだ。
そして――あの蒼い薔薇としても同じだった。いや、あの男の立場を考えれば教会よりも欲しているだろう。
彼の国は王権制度があるにも関わらず、時代の王を選ぶのは神託とされている。選ばれれば生まれたての赤子であろうとも王となり、神の代弁者として認められる。
神の血脈の者をリスト化し、それぞれに番号をふる。
賽の目にはそれぞれの番号が刻まれ、教皇が賽を投げる。
五十人ほどいると言われる血脈は三度かけふるいに掛けられ、最後はもっとも出た目の数が小さい者を王とするのだ。
この運任せのような制度を利用し、幾度となく不幸が起きていた。
単純に王という甘い蜜を欲しする時もあれば、教会の権力を削ぐ動きを見せたときなども王は命を落し、国は混乱に陥る。
民衆は王に期待をしない。
教会へと依存を高めるため、宗教国家としてこれ以上ない制度なのだろう。
そして今回の選ばれた王を見極める意味もあり近くで話したけれど、あの王はたしかに民のための王となる。
今まで宗教に強い王はいたけれど、武断の王はいなかった。先の戦は前国王派と聞いているけれど、その実相手は教会の者だと聞いている。
だからこそ愚かな王が憐れに思えた。
早急に自らの立場を強固にしたいがために、もっとも手を出してはいけないものに手をだした。あの時素直に詫び、我が国に弱みを握らせたままであれば国王の座を温めておけたのに。国内を平定する前に行動に出てしまったばかりに、簡単にその玉座から引きずり下ろされてしまうのだから。
ナリディスは必死に自分を納得させようと考えているようだけれど、しかし、彼が答えを得るまで待つわけにはいかない。
「行ってちょうだい、時間との勝負よ!」
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