第11話 美しくも愛しくもある者
王太子がパーティー会場から姿を消して十日が経った。
隣国まで、強行軍で片道五日程度だろうか。しかし残念ながら、我が国の王太子殿下は馬には乗れないので馬車で移動する他ない。誘拐した王は連れてきた官を置き去りにし機動力を優先させたところで――たかがしれている。
まあ、相乗りしているのなら話は別だけれど。ありえないでしょう。
かくいうわたしはというと、指示を出すことは全て終えた今特にやることがない。一応身の危険があるため王宮にいるけれど、とても暇だ。早く魔王が戻ってくればいいのに……と考え、頭をふる。
今は目の前のことに一応集中するべきだろう。
わたしが城にいるように、なぜか公爵令嬢も逗留していた。聞いた話によると王太子が攫われたことを広めると馬鹿なことを言ったためらしい。
報告だけ受け、無関係を貫こうとしていたけれど気を抜きすぎたのだろう。
お気に入りの庭園を散歩しているところを公爵令嬢に捕まり、誰の許可を得たのか王宮の一室でお茶会をすることになってしまった。
「私、王太子殿下が心配ですし、あの方が戻られたさい、真っ先にお出迎えしたいと思っているんです」
「まあ、素晴らしいお考えですわ。愛らしい方が待っていてくだされば、殿下も喜び舞い戻ってくると思うんです!」
相づちをうつのは彼女の取り巻きだ。
だから一体誰の許可を――考えるまでもなく、公爵が許可をもぎとったのだろう。用意された一画は、一部の貴族のために貸し出された場所だ。忙しく家族に会えない者、婚約者との時間を過ごせるようになど、出仕する者たちのために与えられた場所だったからそれほど問題はないのかもしれないが――用意されたダージリンティーに視線を落した。
「まったく、王太子のお相手にはエリザベス様がお似合いですわ」
「そうかしら? 私とあの方では十以上も離れているから、相手にされない気がするけれど……」
「まあ! 殿方は若い女性が好きだと言いますから、ご安心ください」
こういう空気は本当に久しぶりで気持ちがいい。
何かすれば痛い目に合う、と悟った令嬢たちから距離を置かれ、友人はいるけれど、魔王が必ずといっていいほど同席するものだから落ち着かない。本当に落ち着かないものだから、お茶会を諦めていたほどだ。
悪意のつもりかもしれないけれど、まったくの効果はない。
ただただ魔王の耳に入らないでくれさえすれば、と願うだけだ。
「そうそう、アヴェリー様は近々、隣国の王子とご婚約だとか。おめでとうございます」
「まあ! そうなんですね。殿下のことは私にお任せください。あの日の無礼な振る舞いは、お祝いとして許して差し上げますわ!!」
父親が適当なことを言い含めたのか、はたまた現実逃避の結果なのか。どちらにしろ王の相手はわたしでも彼女でもない。
「エリザベス様は殿下の妃になる、という意味を理解しているのでしょうか?」
「当然ですわ! あの方を愛し、あの方を支え、次代の王を産む。たかが侯爵令嬢に言われなくともわかっております。何より、私ならあなたが終えていない妃教育をすぐに終わらせます」
侯爵令嬢、という身分をたかがなんて言えるのは彼女ぐらいなものだろう。愛らしい様子に笑いが漏れる。馬鹿にされたとでも思ったのか顔を真っ赤にして、それでも優雅に微笑もうと必死に顔を作る。
マナーとしては良く出来ているのだろう。しかし、わたしの心には響かない。美しくないのだ。
「終えるもなにも、わたしは妃教育を受けてはおりませんよ?」
「……どういうことですの? 毎日のように王宮に通って、勉強をされていると伺いましたが」
「どなたからですか?」
淑女らしい微笑みを彼女たちに向ける。情報を得ようとするのは勝手だけれど、相手に探りをいれていました、なんて伝えるのはお馬鹿な証拠だ。
問いの意味を理解したのか、忌々しげに目を細めた。
「どなた、と仰いますが誰もが知っていることですわ。あなたが婚約者という立場でもないのに、王宮で教育を受けていることは」
「だから、妃教育ですか? 短絡的すぎませんか?」
首を傾げ微笑む。彼女たちの怒りを煽るのはなんて簡単なのだろう。
「では! 何を学んでおられるのですか!」
「どうして教えなくてはいけないのです?」
至極まっとうな質問をすれば、彼女たちは面白いぐらいに騒ぎ始めた。
先ほどまでの淑女の仮面を剥がすが早すぎる。社交界デビューまでに鍛えておきなさいと親切心を見せれば、彼女たちの怒りはさらに燃え上がることだろう。
冷静さを取り戻すまでの間、ひとり冷めたダージリンティーを飲んでいようと心に決めた時だ。
侍女が内扉を開けた。
やっと戻ってきたのかと安堵と一緒に、わたしが勝ったのか彼が勝ったのかが気掛りだった。
「見苦しい……。こんな娘しか育てられないなんて、公爵位に相応しくない男のようですね」
令嬢たちの声がぴたりと止まる。
「庭園にいると聞いて来て見れば、なぜここに?」
魔王はわたしの隣に腰を下ろし、今日も流したままの髪に指を絡める。
令嬢は嬉しさから頬を染め、魔王の元へ駆け寄ってきた。
「でっ、殿下! どうしてこのような場に……。ああ、けれど私、殿下と話がしたくて」
取り巻きふたりはさすがに思うところがあるのか、戸惑いの表情をしている。きっとわたしも彼女たちと同じ顔をしている自身があった。
タイミングが悪いというよりもこの男……狙っていたんじゃないでしょうね。
「……本当に頭が悪い女ですね。アヴェリー、排除してもいいでしょうか」
「ダメに決まってるでしょう」
ため息を吐きながら、魔王の手を髪から離し真っ直ぐ目を見る。
「こんな所だけど――」
椅子から立ち上がり、ドレスで隠れているとはいえつま先から指先、頭の先まで意識して優雅に礼をとる。
「帰参を心よりお待ちしておりました、王太子殿下」
「ふふ、ただいま、アヴェリー」
嬉しそうにわたしの両手を握り締めた、とても美しく微笑んだ。
プラチナの髪にも白磁の肌にも神秘的な紫の瞳もそのまま。一点の曇りもなく美しくわたしを魅了してやまないものだ。
「そうそう、とっても悔しいですけど今回は僕の負けでした」
彼のこの言葉がわたしが懸念していたことが解消された。
「嬉しそうに笑うんですね。僕としてはちっとも面白くないのに……」
「仕方ないわ。わたしはあの方に、ほんの少しでいい。幸せになってもらいたいの」
両手を握りながら魔王は器用にも肩をすくめ立ち上がった。
部屋から出ていってしまうと思ったのだろう。令嬢は今にも魔王の体に触れるように前屈みになり声を上げた。
「わ、私のことを無視しないでくださいませ!!」
「……まだいたんだ。姿を消していれば酌量してあげようかと思ったんだけど、もうやめました」
相手の心を凍らせるような冷たい視線を向ける。
わがままに育ったことは彼女の言動から推測でき、自分の思い通りにならなかったことはないのだろう。
それは彼女個人だけの問題ではない。
「ダメだと言っているでしょう」
「こいつらを守る価値があるんですか? こいつらを守る前に、僕の心を守ってください」
あごでまだ立っている令嬢たちを示す。
「アヴェリーが僕の知らないところで傷つけられたり、軽んじられたりしていると思うと僕は……この国だって滅ぼします」
「分かりたくないけど、それはわかっているわよ。そうじゃなくて、わたしは、あなたの重い言葉を向けられたって、こうして元気でしょ? だから、あのぐらい平気なの」
だから? と魔王の視線が語っている。
「むしろ、あなたの口からこの国を軽んじることを聞く方が辛いわ」
「アヴェリーを軽んじる民を守る価値がないと判断しているだけです」
「そんなはずない。だって、本当はこの国が大切なのでしょう?」
不機嫌を隠さず、魔王は顔を逸らす。
「ねえ、笑って。ちゃんと笑っていてくれたら、それがわたしの幸せになるのだから」
わたしに話しかけた人の家を潰すとか、わたしに少しひどいことを言った人の家を潰すとか考えただけで恐怖だ。
学生の頃、わたしは選択を間違えた。
もう間違えたくないから、こうして彼のそばで伝える。
「潰さなければいいんですか?」
「違う! そういうことじゃないから!!」
一度だって彼の言葉を疑ったことはない。
ただ、もう少しだけ周りに目を向けて欲しい。きっと、わたしを手に入れてしまったら、満足してしまうから。わたしという世界だけで終わってしまう。
それだけは阻止したい。
だって、この世界は美しいものが溢れていて、楽しいこともたくさんある。
だから、もう少しだけ……もう少しだけ、あなたの心はあなただけのものよ。
「わたし、あなたと出会ったことを一度だって後悔したことはないわ。だから、これからもさせないで」
「……分かっています。だけど、時々でいいから僕に愛を囁いて。じゃないと、本当に狂って、この国を滅ぼしたくなります」
伝えたい。同時にまだできないという感情がせめぎあう。
真っ直ぐに見つめる瞳に嘘はなく、わたしは魔王になりかけている彼に音にならない言葉を囁く。
――誰よりも愛してるわ。
口の動きから彼は察しているはず。
今はこれで十分だと思って欲しい。
「…………何よ、何よ、何よ!! 行き遅れの女なんかに夢中になって、そんなのより絶対私の――ッ!!」
魔王の顔から感情が消えた。
音もなく、一瞬で。
「あ、あの、私たち、これで失礼いたします」
「申し訳、ありませんでした!!」
彼女の取り巻きは逃げ出した。
魔王の悋気に触れたことは明白で、今にも射殺しそうな殺気が部屋の温度を下げ、愚かな令嬢ですら悟り震えている。
「あのね、彼女も悪いと思っているわけじゃなくて……その」
フォローする言葉が思い当たらない。
彼女の言葉は事実といえば事実。
貴族社会で女性の結婚適齢期は十六から十九とされている。わたしは今年で十九、形の上とはいえ婚約者はいないのだから、十分行き遅れだ。
「そんなことより、両陛下のもとに挨拶に行くので着いて来てくれませんか?」
魔王は爆発寸前の怒りを抑え込んだのだろう。にっこりと取って付けたような笑顔を貼り付け、わたしの手を握り潰すように力を込めそう言った。
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