第12話 魔王の美しくもない独白

 僕は昔から冷めた子どもだったらしい。


 先人たちの言葉を借りたため一応「らしい」と付けたけれど、多少なり……いいや、多大に自覚があるし、直すつもりもなく恐らく死ぬまでこのままだ。

 そのため正しい言葉でいうなら、冷めた子どもであり今現在も一点を除いて冷めた人間だ。


 どれほど優秀でも幼い頃のことまで記憶になく、人伝えでしか聞いたことはないが、総じて皆が同じことを言う。

 ただ、物心つく頃には人間が薄汚れた生き物であると認識し、この国の国王とその妃も嫌悪の対象だった。彼らはそのことを哀しみ、未だに『父上・母上』と呼べない息子をそれでも愛してくれたのだから、十分出来た人間なのだろう。しかし、幼い頃より見続ける悪夢の影響で歪んだ心がそれを拒んだ。


 代わりに婚約者でもないアヴェリーが小規模のお茶会で『義父様・義母様』と呼び、隙間を埋めようとしてくれているのは知っている。彼女が呼ぶなら自分も呼んでもいいかな、ぐらいに気持ちが変化していた。

 が、それは彼女を手に入れてからだ。



 アヴェリーという少女は昔から変わっていた。

 王宮でもっとも変わっていた僕に言われたくない、と彼女は言うだろうけれど事実なのだから仕方がない。

 宰相でもある父親に連れられ、王宮の庭に遊びに来ていた時のことだ。

 当時、僕の元には本当に塵みたいな女たちが、婚約者になろうと近づいてきていた。大方その内のひとりなのだろう、と遠目から眺めていた。

 だけど、彼女とその父親は一行に僕の元にこない。

 父親は娘を優しく見守り、その娘は――ひたすら花畑の中を蝶々を追いかけていた。


 最初は愚かな子どもだと思った。あんな虫をおいかけて何が楽しいのだと。

 彼女の姿を視線で追っ手いると、ふいに力が発動し目の前に映像が流れる。

 ゆっくりと、蝶が灰に見え吐き気を覚え始めた。

 これは、どこか小さな村で起きている殺戮の光景だった。

 燃えさかる炎。焼き焦げ、黒煙に煽られ広がる灰。人々はそんな中逃げるけれど、背後から切り捨てられ死んでいく。臭いは感じないはずなのに僕の鼻孔はなぜか捉えてしまい体中を巡る。自分の体が穢れていくのを感じ、同時に姿は見えていないはずなのに、救いを求められているようで辛かった。


 もっと辛いのは、命を奪った人間の残忍な笑みを見続けなければいけないことであり、僕の歪な笑みと酷似していることだ。


(ああ……この街はどうなったんだろう……)


 力の暴走は一通り見終わると消え、王宮の庭園が広がった。時折、どちらが本当の現実なのか分からなくなる。それでも落ち着けば花の香りや、生温かな風が肌を撫でる感触にこの場所が現実なのだと知らせてくれた。


 僕にとって目の前に広がる庭園というのは、その程度のものだった。

 楽しそうに笑い走り回る少女が目障りだったが、力の影響でしばらく動けず、仕方なく目の前の愚かな娘を見ていた。

 彼女は小一時間走り回り、それでも追いかけている。


 体力は回復していた。

 自室に下がってもいいけれど、ここまで一心不乱に追いかける姿が奇妙に思え目が離せなかった。

 理由を考えていくと、自分と同じなのではないかと至る。人間に興味が持てないから、植物や虫を追いかけるのでは、と。

 思い至ると話しかけずにはいられず、彼女に近づいていく。


「きみは人にきょうみがないの?」


 もしそうなら、どれほど嬉しかっただろう。自分と同じものを共有できる人物。

 勝手に期待していたわけだけど、次の彼女の言葉を聞いてこの時の僕は強く思った。


 しかし、あっさりと裏切られた。


「わたし、きれいなものが好きなの。……だから、あなたも好き!」


 どうしてそんな笑顔でひどい。


 この二つだった。


 だから目の前の花を手で散らした。舞う花びらが灰のように見えて僕は気分が悪くなり、部屋に戻ろうと少女に背中を向ける。しかし、彼女は――それすらも美しいと喜びの声をあげ。


「でも、こんなひどいことしちゃダメだよ?」


 と、立ち去る僕に告げた。


 ねえ、アヴェリー。この時の僕の気持ちが君に分かる? 


 他人に感心をもてなかった僕が、初めて心動かされた瞬間だった。


 この後、三日三晩熱が下がらず、忘れたいのに女の子の笑顔が頭から消えなくて、苦しくてしかたがなかった。気付けばどうやったら手に入るのか考えていた。

 始祖の力とやらで否応なく人々の生き死にの――それも残酷なシーンばかり――瞼を閉じれば浮かぶのに、あの瞬間から君の眩しい笑顔しか写さなくなったぐらいなんだから、当然の結果だ。


 僕付きの侍従が異変に気付いたのは、君を捕まえるためにどうすればいいのか思案を始めた頃のことだ。たぶん、一週間も経っていないだろうけどね。


 今まで人に関心を抱かなかった僕の行動は常軌を逸していたらしい。鳥かごの作り方から始まり、要塞の建設の仕方に終わるそんな書物を手当たり次第読んでいたら、まあ当然驚く。


 ああ、今とそう変わらないって君の綺麗なソプラノの声で叱られそうだ。


 ……この話をしたら、君はこう言うだろうね。


「わたしじゃなくても誰でも良かったんじゃないの? ねえ、あなたのことを綺麗だって思ってる人は、たくさんいる。もう少し、周りを見て」


 って。


 いいよ認めてあげる。

 君じゃなければいけない、なんてことはなかったのかもしれない。だけどね、僕の心を動かしたのはあの場所にいた君に他ならない。花びらが舞う中ハニーブランドの髪が風に広がり、太陽のような笑顔を向けられた瞬間から世界が彩ったんだ。

 陳腐な言葉だけど、運命だっていうのなら、運命だったんだろう。

 だからね、奪ったのは君なんだから、ちゃんと奪い返されてくれないと――ずるいよ。


 国王夫妻もね、アヴェリーのことで人に関心を持てたのだから、と他の女たちを紹介してきたんだよ。君には言っていないけど。

 全部無駄で、その人たちが君を傷つけ始めた。

 だから僕が君のまわりを飛ぶ蛾を握り潰し初め、君に毒を吹きかけるものたちを潰し初めてからそれも極端に減ったんだよね。

 蝶は僕だけでいいんだ。


 君が涙を流して怒ったことは過去二回。

 一度目は初めてのプロポーズ。

 二度目は君の体に傷を付けた馬鹿な令嬢の親が治める領地を潰した時だ。


 あの時、叩かれた頬は今思い出し手も痛い。

 言葉通り、潰してやったんだけど君の涙を見て、してはいけないことなんだと気付いた。あの後から、君は僕の名前を魔王と呼び始めたんだったね。


 まあ、その前から僕のことを魔王と言っていたけれど、正面きって言われたのはあれからだ。

 それでも傍にいてくれたのは僕が好きだから。そう信じてる。違うなら話は早い。君が僕を見てくれるのなら、泣き顔だって平気なんだから。次のターゲットを絞り、その土地が潰されるだけだ。


 僕の性格を矯正することを諦めた国王夫妻が、君を立派な考えを持った人間にしようと躍起になっていたこと。普通の淑女が、婚約もまだなのに妃教育を受けるなんてありえないよ。さらに今は帝王学を学んでいる。僕の心があまりに歪だから君には負担ばかりをかける。ごめんね。


 ひとつだけ約束できることがある。

 君だけは、君の心だけは壊されないように丁寧に触れる。

 どうしたら僕は君を守れるんだろう。


「おい、部屋に閉じこもって何があった。こっちは間者の後始末で大変だっていうのに」


 入室の許可なく執務室に入ってきたのはランディだ。乱暴な足取りで机に叩き付けるように書類を置く。チラッと見れば、隣国への援助についてだ。どうでもいいけれど、アヴェリーのためには必要なことだから、仕方なく用紙を手にとる。


「壊してしまいそうで、怖いんです……」


 誰のことを言っているかなんて、長い付き合いのランディには分かるのだろう。


「……壊れてもいいって言ってなかったか?」

「ええ、思ってましたよ。壊れてしまえ、ぐらい思ってましたけど……無理です。実際壊れれば、僕も壊れるでしょうね」


 指一本触れない。

 彼女の了承を得た上であればいいけれど、無理矢理なんて絶対にできない。


 情けないけれどこれが現実だ。

 初めは違った。おかまいなしに手を握り、求愛をした。だが、大泣きされ、その勢いが未だに尾を引き触れることを僕に躊躇わせる。

 こんな風に誰かを思いやるのも、引きずるのも全て彼女だけ。


「重いよな。あの日のことなんて、気にしてないと思うぞ?」

「いいんです。僕からじゃなくても、彼女から触れてくれますから。知ってますか? 彼女の指は柔らかくて冷たくて気持ちいいんです」

「いや、自慢されても哀れにしか見えないぜ?」

「いいんですよ。――万が一にも嫌われるよりも、全然ましです」


 彼女の気持ちが自分に向けられているのは知っている。それでも怖い。怖くて、ひとつひとつ解決していかないと前に進めない。


「お前さ、アヴェリーに関して総じてダメな男になるよな。まあ、逆にアヴェリーがいないと人間止めることになるんだろうけど…」

「気安く呼ばないでください」

「王太子――」

「そっちじゃない」


 分かっているのにこの男は名前を呼ぶのを止めない。

 忌々しくて舌打ちをし、ランディの顔を睨み付ける。


「そもそも、あなたはいつも邪魔しに入りますよね。いい加減、消えてくれませんか?」


 当時から僕の側仕えとして、王宮に上がっていたランディはあの日も一緒にいた。勝手に僕の後ろに立っていたわけだけど、本人は警護とか言っていたな。どうでもいいし、そんなことより大事なことがある。子どもの頃、掴んだ手を引き離したのは彼だった。


「睨むな睨むな。綺麗な顔に睨まれると背中がぞくぞくするんだよ」

「とんだ変態野郎ですね、気持ち悪い」

「変態の真骨頂に言われても痛くも痒くもないけどな」


 ランディはそう言うなり、書類を机の上に投げ捨てるように置いた。

 隣国の援助の他に何かあるだろうかと思えば、ああコレか。


「まだ彼女に手を出す愚者がこの国にいるとは思いもよりませんでした」

「公爵が言うには勘違いだったらしいけどな」

「ははは、面白い冗談ですね。一度、滅びたほうがいいんじゃないんですか? そうすれば爵位も一掃されますし」

「待て、早まるな。あんまり大事にするな! アヴェリーが悲しむ」

「わかっています。だからこうして、不正を集めてもらっているんです」

「……止められなかったか?」

「完膚なきまでに潰したいのを、家を潰すぐらいで我慢しているんです。アヴェリーもわかってくれます」

「いや、わかんねぇよ」

「アヴェリーだけ見て生きて生きたいのに……この世は生きづらいです」

「……俺、頭痛いから寝るわ」

「どうぞお好きに。その間に全て終わらせておきます」


 いったい彼女との関係に口を出してきた馬鹿共は、どうしたら殲滅できるのだろう。この国ごと滅ぼせば早いのだろうか。王太子、などという身分がなくなればくだらない女は近づいてこないだろう。気付けばそんな風に思う。しないのはただ、アヴェリーが悲しむから、それだけだ。

 ランディの言う通りなのが悔しいが。

 というか、彼女のことを理解しているこの男も憎い。


「俺を見るな」

「では消えますか?」

「……ゴメンナサイ、まだ生きたいです」

「ふんっ、遺言書があれば納得すると思ったんですが」

「さっさとアヴェリーが諦めてくれないかな。こいつに他のもんが綺麗だって分からせるの無理だと思うわ」


 それには激しく同意だった。


 一度でも触れれば彼女以外、本当に目に入らなくなる。彼女を縛り付け、彼女に害を為す全てを滅ぼすことになるかもしれない。

 敏い彼女は知っているからこそ、僕の言葉に頷かない。むしろ悲しそうな顔をして、自分の胸を押さえる。

 抑えなくてもいいのに、我慢なんてせず、僕の胸の中に飛び込んできてくれれば――。


 その日を待っている。

 もう限界だ、と僕への気持ちが溢れて無理なのだとすがってくれる時を待っている。

 そうすれば、少しの命が失われても仕方がないと思ってくれるはず――幻想だとしても思い描く未来は甘くて、酩酊してしまう。

 だから言わない。彼女が望むように美しいものを前よりも感じられることに。

 彼女の思うつぼだからつまらないじゃないか。


(ふふ、本当に僕は物語の中にでてくる魔王のようですね)


 ねえ、愛する人……――



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