第8話 美しい者に群がる蛾


 隣国を招いたパーティー当日。

 華やかという言葉が霞んでしまいそうな煌びやかな会場へと、わたしは弟にエスコートされ入城した。

 大広間の天井を彩るのは名の知れた画家が描いた夜空の模様。夜を藍色で表現し、季節によってかわる星の配置を上手く配置し全てを描ききっていた。そして星々の間を縫い天井から吊された地上を照らすシャンデリアという名の太陽が光源となり、装飾としてつけられた数々の宝石が複雑な色合いとなり地上に降り注いだ。


 昼と夜。


 この場に相応しい、これ以上とない舞台だ。


 城で行なわれたパーティーには何度も参加しているけれど、足を踏み入れる瞬間、いつも奇妙なとでも言えばいいのか、一種の不思議な緊張感に包まれる。

 多くの貴族の視線が一瞬にして自分に向けられるせいだと考えたことがあるけれど、別のパーティーでは感じない独特の緊張。真剣に向き合ったことはないが、頭の片隅で、政治が行なわれる国の中枢という考えが強いせいなのだろうと、そんな風に答えをだしていた。


 ――ここは政の場、今日は一層緊張しているのは、特にその匂いが濃いからかしら。


「姉上?」


 心配そうに声をかけてくる弟ににっこりと微笑みかけ、次いで地上に視線を向ける。

 大広間を見下ろすシャンデリアから零れる光りを受けた貴族の――特に参加女性たちのドレスは美しさを際立たせている。縫い付けられた宝石が光りを受け輝いているのは間違いないが、身に纏う女性たちの見事な立ち姿があってこそ更に会場を華やかなものへと変化させているのだ。

 その傍に佇む黒系統のタキシード姿の男性たちもまた際だし、互いに互いを支え合うかのような一対の羽。彼らが手を取り合い、広間の中央でダンスに興じればたちまち花を咲かせる。

 音楽は風であり、ドレスは揺れる花であり、そして男女は花の蜜を吸う蝶。それらの影に潜む政治の匂いをかぎ取るわたしは、一介の令嬢ではないのだろう。


「……なんでもないわ。美しいパーティーね、ナリディスもそう思うでしょう?」


 愛想をどこに捨ててきたのか、自分と似ている顔立ちの弟が一歩踏み出しわたしに顔を向ける。


「何を暢気なことを言っているの。心配ごとがあるのかと思ったのに……」

「ふふ、ごめんなさい。見とれていたの、美しい令嬢たちの姿に。正直なところ、よくこれだけの人数を集めらたなと関心もあるけれど」


 楽団は王宮お抱えがいるから可能ではあるが、社交界シーズンというわけでもない今、王都にいる貴族はそれほど多くはないだろう。一ヶ月もあれば戻ることは可能ではあるけれど、隣国のために王都に来るかと言われれば、利がなさすぎる。


「今回、準備したのがバーフィルド公爵だからじゃないかな? 彼の派閥の人間は否応なく参加しているって聞いたよ」


 なるほど、とひとつ頷きながら、あまりの用意周到さに口元が緩む。

 違和感を覚えるぐらいに青を使用しない会場の貴婦人たちのドレスは、隣国を敬遠していることを意思表示しているように見える。外交補佐官たちはさぞや肩身の狭い思いをしていることだろう。


「あからさますぎるわね」

「えっ、何か言った?」

「やりすぎだと言ったのよ。これじゃ、内通していませんって示唆しているようなものでしょう?」


 ナリディスは訝しむような表情をしていたけれど、人とぶつかる前にわたしの腰を支え横にずれる。


「ちゃんと前を見て歩かないと、いつか誰かにぶつかるよ」

「ナリディスがフォローしてくれるのでしょう?」


 苦虫を噛みつぶしたような顔をする。しかし、きちんとわたしをエスコートしながら歩く姿を見ると着実に紳士として成長していることを感じ、姉としては素直にうれしく思う。


 でも――ね?


「あなたは何も思わないの?」

「…………わからないよ」


 政治家としてはまだまだね。

 我が侯爵家の嫡男としては及第点をいつかもらえるかもしれない。まだ十六歳なのだから、将来性を考え、許容範囲だろう。しかし、わたしの立場を考えれば足らない。


「昨年、我が国で流行した色を忘れてしまったの?」

「……寒色系の色だったね」


 ここ数年我が国では寒色系の色が流行し、昨年は白に近い水色と、空色だった。

 流行の形とドレスを身に纏うことは貴族の令嬢として、家の格を他家に伝える一種の手段。ここで流行遅れのドレスを身につければ、一気に家の財政を不安がられ貴族間の取り引きに響くのだ。

 正直、わたしの髪色にはいまいちな色だけれど、クローゼットには寒色系が多い。

 事前に知らなかったこともあるが、他者と色をあわせない暗黙のルールが守れないことを考えながら参加したぐらいだ。

 だというのに、この場の女性たちは色合いが違う。

 事前に準備していたとしか思えないのだ。


「ふふ、呆れてものがいえないってこのことね」

「姉上が笑える立場なの? 誰のせいでこんなことになっているか、わかってるよね」


 ナリディスはヒントを与えれば答えに気付くことができる。なら、そろそろ実地訓練に出すのもいいかもしれない。

 

 しかし、公爵が隣国と繋がった理由――王太子妃の座を狙ってのことだろう。

 誰も手を出さないと高をくくっていたことは認めるし、様々なところに軋轢を生むことになることは明白。申し訳がないとも思うが、今さら後悔しても遅い。


「わたしが全面的に悪いのよね。本当にごめんなさい……って、あなたに謝っても仕方がないのだけれど」

「いいや、オレは他の人より迷惑をかけられているから、謝ってもいいと思う」

「もしかしなくても婚約者のことを言っているの?」


 言えば、ナリディスはこれでもかっていうぐらい、首を縦にふる。


「アレに捕まってくれないと、オレは一生独身のままだ」

「さすがにそれはないと思うわ。侯爵家を継ぐ者として、子どもを成してもらわないと」


 そう返すと、ナリディスの頬はひくついた。

 わたしは答えを間違えたらしい。


「姉上って恐ろしいぐらい真面目だよね。なのに、全然わかってない!」

「わたし、あなたよりちゃんと見えていると思うわよ?」

「そうだけど、そうじゃないんだよ! 今の状況でオレに婚約者、ひいては恋人なんて絶対に作れないから。作ろうものなら、壊される運命しかみえないから!」


 いくら会場内は人々の話す声と音楽があり小声の会話なら消してもらえるけれど、今の声量は聞かれてしまう。静かにするように目に力をこめ睨めば、ナリディスは言葉をつまらせながら唇だけで「ごめん」と形作った。


「……姉上が本当に分かっていないようだから言うけど、オレにお付き合いする女性ができたら誰が姉上をエスコートするのさ。オレ、アレになんて言われてるか知ってる? 会場内で何があっても姉上をひとりにするな、化粧室にだってついていけ、だよ。アレが絶対に許すはずないって」


 弟ナリディスは魔王のことをアレと呼ぶ。

 幼い頃、わたしの弟ということで散々嫌な思いをしてきて、今では手の平を返したように「僕の弟です」と方々に紹介されては、仕方がない。

 とはいえ、薄々感づいていたけれど、そんな指示を出していたとは……。我が弟ながら不憫すぎる。


「そんな目で見ないでよ、悲しくなるよ。姉上は不思議に思ったことない? オレってさ、案外優良物件だと思うけど、一度だって婚約の打診がきたことがないんだよ。会場にいたって、声をかけられたこともない」


 言われてみれば、その通りだ。


「わたし、前言撤回するわ。全然周囲のことが見えていなかったのね」

「姉上は政治家だから」


 困ったように小さく笑うナリディスに、経験者からの助言を伝えることにした。


「魔王から下された試練だと思うっていうのはどう? 案外、やる気がでていいんじゃないかしら。あなたの成長にも繋がると思うしね」

「試練なら何度もうけてるから、パス。オレは姉上が嫁いだ後、ゆっくり探すからさっさと結婚してほしい」


 どうやら不満しかないようだ。

 まあ、そうだろうと納得しつつ、正直婚約の意思があるのなら今は保留でいい。わたしとしてもナリディスの相手は慎重に決める必要があると考えている。


 気を取り直し、わたしとナリディスは国王、王妃の元へ挨拶をする列に並ぶ。本来であれば両親と共に来るべきところだが、彼らには今回万が一を考え控えてもらった。


 ――わたしの思い過ごしならいいのだけれど。


 嫌な予感というものはよく当たる。

 しかし、信じたくなくて目を逸らせばしっぺ返しを食うのだと身を以て学んでいた。今打てる最前の手を、切り札はきらないに限るのだから。


「まあ、嫌ですわ! こんなところに、我が国の王太子をもてあそぶ女狐がいるだなんて」


 パチン、とわざとらしく扇を閉じる音がした。

 鈴を転がすような声と言えばいいのだろうか。幼さがハッキリと感じさせる喋り方から、恐らく社交界デビューを迎えていない娘だろう。

 頭の中にある貴族鑑からピックアップしながら振り返ると、案の定というべきなのか十二、十三歳あたりの少女が五人ばかりが集まりわたしを見上げていた。


 周囲にいた貴族たちは関わりたくない一心でか、波のように引いていく。しかし、興味はあるのだろう。視線をビシバシと感じ居心地が悪い。


「……バーフィルド公爵令嬢、今の発言を取り下げていただけますか?」

「控えなさい! 挨拶も交わしていない下位の者に指図される覚えはありませんわ!!」


 ナリディスの言葉をバッサリ斬り捨てる。

 いくら公爵令嬢といえど、社交界デビューも迎えていない小娘に言われるのは腹が立つというものだ。

 だが、彼女の自信ある態度にナリディスは鼻白み、踏み込むのを止めてしまった。

 情けないと微かに思いながら、全身をみやる。身に纏うドレスは一級品であり、彼女自身もマナーを真剣に学んできたのだろう。みごとに着こなしていて、わたしとしてもいいものを見せてもらったと、こんな時でなければうっとりしていた。


「まったく、侯爵位を賜る身だというのに弁えぬ振る舞いも問題ですが、髪ひとつ満足に結んでこないなんて……みっともないですわ」


 彼女の一言に周囲の貴族のほうがざわめきだす。

 彼女の父親は何を教えてきたのだろう。

 たしかに社交場において髪は流すにしても在る程度結うのが礼儀であり、ひとつにまとめるほうがマナーとして正しい。

 しかし、禁止されているわけでもなく、王太子自らが望んだことは有名な話であり、注意されるいわれはない。


 ――さて、この場をどうしようかしら。わたしから話しかければナリディスと同じセリフを言われるだけよね。


「――くだらないお喋りはそこまでです、アヴェリー」


 考えていれば、挨拶をしにこないわたしたちに焦れたのだろう。

 背後から一房わたしの髪を指に絡め、少し引っ張り自分へと意識を向けようとする王太子に気付いた。

 ドレスをつまみ、背筋を伸ばしたままカーテシーをする。


 神々の寵愛を一身に受けた美男子は、プラチナの髪が生える紺色の正装とマントも正装に合わせた紺色とはいえ、金糸で縫われた蔦模様は美しく絡み合いセンスよく表面を飾っている。何より、裏面は白一面と彼の姿を際立たせる色使いだ。急ごしらえとはいえない完璧な姿に感嘆の声が広がっていく。

 いつものことながら自分のことのように嬉しくなり、背筋が伸びる思いだ。


「あなた方が挨拶にこないので、つい迎えに来てしまいました」

「申し訳ございません」

「僕が待ちきれなかっただけで、アヴェリーに罪はありません。では行きましょうか」


 ナリディスが気を使ってわたしの一歩後ろに下がる。魔王はそれは嬉しそうにわたしに腕を差しだし、困った人だと思いながら手をかけ歩き出そうとしたその時だ。


「王太子殿下、お待ちください! わたくしはバーフィルド公爵令嬢の――」

「…………」


 振り返る視線には一切の甘さが消え、容赦のない冷たさが浮かんでいた。


「あ、あの……」

「社交界のマナーを学ぶには早すぎるご様子ですね。疲れを感じる前に帰られたほうがいいのではありませんか?」

「……っ」


 愛らしい顔が悔しそうに歪む。

 取り巻きの少女たちが取りなすのが聞こえたけれど、八つ当たりの声でかき消されてしまった。あちらに関してわたしが出来ることはない。

 しかし、先ほどから殺気を隠そうともしない魔王を止めることができる。本人も我慢しているとは思うけれど、一応釘を刺しておく。


「何かしてはダメよ? 相手は社交界前のご令嬢、知らなくて当然なのだから」

「知らないのなら知ってから来るべきでしたね」

「公爵が強引に連れてきたとしか思えないわ。恐らくあなたに引き合わせたかったのよ」

「無意味なことを」


 がりっ、と歯を強くかみ合わせた音がした。


「……わたしも十分気をつけるから、あのような真似はしないで」

「…………アヴェリーが言うのならわかりました」


 魔王が立ち止まった。

 エスコートされているわたしも当然止まることになるけれど、玉座にはほど遠い。目で行かなくていいのか、と問えば首を横にふる。その姿も様になるから女として嫉妬を覚えないではないけれど、意味がわからず国王夫妻へと視線を向けた。

 そこには金髪を短く刈り上げ、太陽の陽差しによく当たるのだろう。健康そうな小麦肌に筋肉質の体、何より人目を惹く――蒼い瞳。


 わたしの視線に気がついたのだろう。

 男は肉厚の唇を持ち上げた。

 魔王とは真逆といっても過言ではないタイプの美丈夫だけれど、武の王と聞いている。そのせいか肉食獣を彷彿とさせ、わたしは思わず身を震わせていた。


「やっぱり、アヴェリーは来るべきではなかったんです」


 わたしの腰にそっと手を添え、後ろから抱え混むように魔王は立つ。責める口調だったのにも関わらず、彼の薄い体を感じ、なぜか胸をなで下ろす。


「彼の国の目的はあなたであるほうがあるはずよ」

「それはそうですけれど……僕には彼の目的がどちらか判断がつかないんです。考えられる可能性として、彼は僕たちふたりを欲していると思うんですよね」


 まさか、と反論するだけの材料がない。

 とはいえ、ふたり同時に国外に連れ出すのは無理だ。


「――可能性の話をここでしていても仕方がないわ。これは隣国と我が国の戦争なのだから」

「分かっているんつもりですが――僕はアヴェリー以外どうでもいいんですよね」


 くすり、と笑う声にため息が漏れる。

 少し後ろにいるナリディスも同じようにため息を吐いていた。


「というわけで、アヴェリー。挨拶は不要です」

「は!? 何が、というわけなのか全く説明されていないのだけど?」


 腰にある手袋越しに手の甲の皮を抓りながら、小声でささやく。傍目から見ればわたしが魔王によりかかり、甘えているように見えるだろう。何より、抓られている本人が満更でもない顔をしているのだから問題はない。

 そもそも非常識なことをサラッと言ってのけた魔王が悪い。


「あの男は戴冠式を迎えていないことを盾に、自らを王とは名乗っていません。が、あの場所に立っているだけで、意味はわかりますね? そして目的がどちらか判別できない今、アヴェリーは近づかないでもらいたいのです」

「……ここで我を通すのは愚か者というわけね」


 くすっ、と小さく笑いながら、満足げに髪に口づけを落とす。蕩けるような笑みを浮かべているのだろうけれど、そう簡単に思い通りにいくと思わないことだ。


「ナリディス、あなたひとりでご挨拶をしてきなさい」

「なっ、何を言っているんですか! コレはアヴェリーがそばに置いても害のない唯一の生き物。それをむざむざ遠ざけるなんて、どうかしています」


 弟が反応する前に魔王が吠える。

 というより、ふたりともアレとコレと……名前を呼ぶという能力をどこに置いてきたんだ。


「わかっているわよ。ちょっとした意地悪のつもり」


 わたしたちのやり取りを見守っていたナリディスから「姉上!」という抗議の声が聞こえたけれど、無視だ無視。


「国王陛下たちには後日お詫びを、とお伝えいただける?」

「もちろん、伝えてあります」


 それだけ言うと魔王はわたしの髪にキスを落とし、玉座の元へと戻っていく。

 蒼い瞳の男の値踏みは続いているようで、魔王の一挙一動に集中しているようだった。


 ――あの男は隣国をまとめあげることができるでしょうね、何もなければ。


「……姉上? 何をするつもりですか?」

「わかりきっているでしょう?」


 ニッコリ笑いかければ、弟は気味の悪いものを見るような表情をする。まったく失礼な男だ。何より、もう少し表情を隠すことをいい加減学んでもらいたいと思う。


「アレとしては、姉上が帰ることを望んでいるのではないのですか?」

「そうね。でもわたしは望んでいないし、魔王の婚約者候補としては不足なのよ、それでは」

「まったく――姉上!」


 くるんっ、と身をひるがえした時だ。

 前方から現われた女性が手にしていたグラしからワインが溢れ、わたし目がけ飛び散った。

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