第7話 美しくもその手は取れない
簡単には偽造できないように白い封筒の四隅には透かしが入り金箔で蔦模様と鳥をあしらわれ、さらに中央には溶かした蝋と王家の印を押した後がくっきりと刻まれている。
あまりの突然のことで誰から誰宛てなのか、なんて考えてしまったけれど王家から貴族家に宛てた招待状だろう。
火急の呼び出しであれば紙ではなく羊皮紙に印され騎士が運ぶことが慣わし。さらに言えば、これは魔王であるこの男がわたしの家宛てに用意された手紙を差し止め握り潰そうとしたのだろう。
隣国の王の一件と急きょ我が国にきた隣国の大使たち。
非公式の、それも宗教の普及のためとはいえ、内乱を終えてということもあり国家間同士のやり取りに繋がる彼らと交流を計るため、情報の成否を見定めるためにといった事情からパーティーが開催されると考えて間違いない。
「いつ」
こっちはドレスも用意していないというのに、目の前の男は重要な手紙を握り潰していたのだ。苛立つのも仕方がないというもの。自然と声が低くなり、手紙をバンッと押さえ付け問いただすように端的に再度問う。
「いつ、決まっていたの」
「半月ほど前です」
怒らないでください、と小さく呟きながらも顔はちっとも反省の色が見られない。この男は悪いと思っていないのだから仕方がないのだろう。そもそも、情報戦においてわたしは負けただけの話だ。
「……ずいぶん、時間が短いのね」
王宮での、それも大使格を招いてのパーティーなのだからもう少し時間があってしかるべきだ。双方参加するものの準備はもちろん、王宮側にもスケジュールというものがあり、高官たちの参加の有無、その影響により業務の停滞、警備体制、食材の準備などなど半月で調整するには厳しいものがある。
「国王が把握したのがその時期だったんです。展示会とやらも本来はもっと小規模――官吏が訪問する予定ではありませんでした。でなければ許可などしなかったでしょう。内乱は治まったとはいえ、国内の平定には時間が足らなすぎます」
ではなぜ外交補佐官という小物が招き入れられたのか。いや、問題はそこではない。
「あの青は本物だったわ」
「そのようですね。直前に搬入品もそうですが、随行する者たちの名もすげ替えられていました。それが判明したのが半月前」
「あまりに遅すぎるわ」
「わかっています。とはいえ、本物かどうかわからなかったので……」
「直前になって公務をわたしに任せたというわけね」
魔王は苦々しく頷く。
今思えば、あのタイミングでわたしに公務を投げてくるのはおかしい。しかし、情報がおりてこれば腑に落ちるというものだ。
王妃とてものの価値を見極める目は持っている。しかし、隣国の青についてはあまり詳しくはないのだろう。そもそも詳しいほうが少数なのだ。わたしの家は運よくとでもいうのか一枚所持し、昔から良く見ているから詳しい。
「でも、それなら事前にこの情報がほしかったわ」
「そういうから全て秘したようです。この点のみ評価したくなりました。ああ、そうそうランディも当然知りませんでしたよ」
まったく、どこまでも用意周到な。
まあ、わたしが首を突っ込まずにいられないことは誰だって分かることだ。ここは下がるべきところなのだろう。
「事情はわかったけれど突然の変更の許可が降りたということは、一貴族が彼の国の政治家を招き入れたというのね」
融通をきかせなければ国境を通ることはできない。
戦乱の時の民へのなさりようから我が国では貴族や官吏が我が国に入るにあたり、他国の者たちが訪れるよりも厳しく取り締り条件に関しても納得できるものがなければ入管は不可能とされた。
初めこそ“ただの展示会”だったはず。
それを急きょ変更し、許可を出した何者かがいるのだ。相応の地位を持つ者が“招待”しなければ不可能。
「まったく、あなたを遠ざけるために僕が預かっておいたというのに、全て水の泡ではありませんか」
「ええ、そうね。出会ってしまったのだから、行かないわけにはいかないわ。わたしが元気だということは、知られているでしょうから」
「ふふふふ」
「うふふふふふ」
不気味な笑い声で互いを牽制しながら、引っ込めようとする招待状を食い止めるため力を籠める。手の平を伸ばした状態で置くんじゃなかった、と後悔しながらもここまできたら諦める他ないのは魔王のほうだ。
「往生際が悪すぎるでしょう!」
「ありがとうございます。僕の美点のひとつなんです」
「褒めてないからっ!」
「褒めてください」
「無理!!」
わかりました、と渋々といった表情で手を離す。当然、目の前の男が引っ張っていた部分はしわが寄っている。まったく、綺麗なのにもったいない。
指先で伸ばしながら必要なことだから話しの続きをする。
「そもそも、隣国はわたしを本当に狙っているの?」
「隣国が安定するためには有力な国の王女、もしくは令嬢を欲するのは至極当然。あなたに目を付けているのは何も隣国だけではありませんし、隣国が欲するのも当然。本当に忌々しい話しですが――国内において、眠っていた野心の芽が出てきたのかもしれませんね」
「……たしかに、そう考えるべきね」
この国の王太子の妃の座は未だ空いている。
候補の令嬢がいるとはいえそれが事実。
むしろ、今日までよく大人しくしていたものだと思う。それだけ毒の地の恐ろしさを身に染みているのだ。わたしも、他の貴族たちも。
「でも……わたしは隣国の王がもっとも必要としているあなたを放っておくとは思わないわ」
「知っていますか? 隣国の数代前の国王は愚かなことに神を取り戻すため、内乱を起こしたのですよ」
突然なんの話をと思ったけれど、ひとまず黙って頷くことにする。
「反対の異を唱えた者たちは神の裏切り者ということで。多くの者の命を奪い、結果国内は混乱を極め、我が国の国境に軍が辿り着くことなく――」
「別の王が神に定められ、立ったのよね」
隣国の異質さに改めて辟易する。
だからこそ、安堵があった。
あの国の王が立つの容易く、安定するには難しいと。
ゆえに、国内だけであれば抑えることができると踏み、婚約者である必要がなかった。
でも、隣国の王は立ち、息の掛かった者が我が国の土を踏んでいる。数人であろうとも戦争から遠ざかっている我が国の者と、国を安定させたい者。どちらが強いのかと言われれば、後者のような気がしてならない。
戴冠式も間もないというのに我が国の貴族と連絡を取れるだけの人脈を持つほどの何かを有しているような気がするのだ。
「アヴェリーは心配症ですね。安心してほしくて、この話を持ちだしたんですが」
「わたしには力がないわ。万が一のことが起きた時、ただ待つだけなの」
だからこそ、起きる前に阻止したかったというのに――自分の無力さが歯がゆくて仕方がない。
「そうなんですか?」
魔王がおどけたような表情を作り、瞬きを繰り返す。
「ただ、待つだけなんですか?」
何がいいたいのかわからず怪訝の表情をしていると――ふと思い出した。わたしが魔王と呼び始めた頃のやりとりを。
「わたしと引き離されたあなたは魔王になってしまうのよね」
「ええ、そうです。だから、完全な魔王になる前にどうか僕を止めに来てください、勇者様」
「いつも言ってるけどわたしは一介の侯爵令嬢。剣だって振るったことがないのよ?」
「大丈夫です。アヴェリーがいればそれだけで僕は正常に戻りますから」
正常な状態がすでに厄介なのだけど、と思いながら体から力が抜けていく。
まだ起きてもいない事態に焦っても仕方がないのだと今さらになって自分が冷静でなかったことを思う。同時にまだまだだな、と。
「アヴェリー、これは僕の勘ですが恐らく隣国の王は潜んでいると思います」
「わたしもよ。自国にいるよりも安全でしょうし、信頼できるものを自ら率いたほうが確実だもの」
脳裏に浮かんだのは、神が描かれた付属物だと名乗った包帯から覗く蒼い瞳の男だ。
「同意見です。なので、彼と間違っても目を合わせないでください」
「は…………?」
「それから近づかないでください。できれば同じ空間にも居てほしくないので、息を吸うのは最小限に留めてくださいね」
「…………バカなの?」
「最大限の譲歩です」
「どこがよ!!」
まったく、と怒りながら紅茶を口に運ぶ。
そして焦った理由を分かってしまった。
結局、わたしは怖いのだ。万が一にもわたしを失った後の魔王がどうなるのか考えるだけで体が震える。
最悪の選択をするための準備はできている。
自分が選べるのかその時にならなければわからないけれど――迷わず進む気がしてならない。
「アヴェリー」
答えるより先に魔王は立ち上がり、わたしの真横に立つ。正面を向くため体を半回転させると、彼は目の前で膝をつく。少しだけ視線が低くなった魔王の視線はいつになく強く見上げ、今までにないほど真剣な瞳を向ける。
「お願いです。決してひとりにならないでください」
頷くより先に魔王の手が伸び、ハニーブラウンの髪ごとわたしの両頬を包む。人より量のある髪が肌と肌の接触を隔てるように、彼の体温はあまり伝わってこないけれど目の前にゆっくりと近づいてくる紫の瞳がたしかな熱量をわたしに向けてきた。
そして――唇が触れる寸前、止まる。
互いの吐息が交わり唇の表面を撫でるだけだけれど、わたしたちにとっての最も近づける距離。
「アヴェリー、こんな形でなければ婚約してほしいと請うのですが」
「ダメ」
わかっている、とでも言うようにまぶたを降ろし、そして開く。
美しい宝石がきらめきながら、強請る。
「……早くあなたの体に触れられればいいのに」
この魔王は、強引な面もあればそうではない面もある。
一歩引いた態度をとる……それは触れる、という行為についてだ。
唯一触れるのは髪で、そのため結い上げることだけは止めて欲しいとわたしに懇願したぐらいだった。
(どうして、こんなこと言うのよ……ばか)
触れたい、なんて言葉を言われたのはほんの僅かなせいもあって、『好き』という言葉よりもわたしを緊張させる。
今、絶対に顔が赤くなっている自信があった。
(たぶん、それも知っているから、あまり言わないんだろうな)
色々と本当に我慢してくれる。そのせいもあって魔王になっているのかもしれない。そう考えるとわたしの良心が痛む。被害はいつもわたし自身ではなく、その他大勢に降りかかるのだから。
それでも――わたしは諦めきれない。
わたしの緊張を感じ取ってか、くすりと小さく笑い誰よりも大切な人の手が離れていった。
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