第6話 美しいその銀糸の髪
しばらくの間、わたしに抱きついたまま魔王は静かな寝息をたて始めた。起きるまで抱きしめられたままか、とぼんやりと過ごすこと一時間。体が辛くなってきたこともありポジション移動をすると、魔王の眠りを邪魔してしまったようで彼が目覚めた。
もう少し眠るよう勧めたけれど、案の定というかこれ以上は申し訳ないと謝罪され、汗を流すため部屋に設置された湯殿へと向かった。その間にわたしは朝食の支度を出す。そうこうしている間に、手早く湯浴みを済ませた王太子がすっきりした顔で現われ、用意された椅子に腰をかける。髪からは水が滴り落ち、朝日というには時間が経ちすぎていたけれど、太陽の光を浴び宝石のような輝きを放っていた。
「急がなくてもいいのに……。せめて髪ぐらいは拭いてから出てきなさいよ、風邪ひくでしょう」
「構いません。風邪を引けばアヴェリーはお見舞いに来てくれますし、引かなくてもあなたは僕の髪を拭ってくれるのでしょう?」
タオルをテーブルの上に置きながら、首を傾げてくる。いつもならさらりと顎のラインに沿う銀糸の髪も頬に張りついている。ついでに平手を張り付かせてやろうかと思うものの、相手は一応調子が悪いのだからと自分に言い聞かせタオルを受けとり魔王の背後へと回り拭い始めた。
「ふふ、ありがとうございます」
「ほんとーーに廃嫡されちゃえばいいのよ」
「ですね」
繰り返すやり取りは穏やかな時間の何よりの証拠なのだろう。朝食を運んできた侍女たちは安堵の微笑みを浮かべながら、軽食を並べていく。王太子が礼を告げると彼女たちはしずしずと部屋から出ていき、この空間には護衛の騎士が扉の前にふたり立っているだけだ。そのせいか、わたしが髪を拭う衣擦れがやけに気になってしまう。
「……お腹が空いているのなら食べていいのよ?」
「いえ、アヴェリーに髪を拭ってもらう数少ない機会ですから、堪能させてください」
「堪能って……わたしは侍女じゃないから、下手だと思うのだけど」
自分の侍女を見よう見まねで拭っているけれど、時々髪がからまり、銀の髪が数本抜け傷みを感じているはず。この状況の何を堪能するというのだろう。
「下手でもいいんです。アヴェリーとふれ合える数少ない機会ですから」
「ああ、そう」
もう何も言うまい。
ため息をひとつ吐き出し口を閉じると、再び静寂が訪れる。
やっぱり気恥ずかしさを感じてしまい、でもそわそわしているのを察せられたくないから意味もなく口を開いた。
「あのね、昨日画商に行ったって言ったでしょう?」
「ええ、一緒に過ごしたい僕の気持ちを無視し、行きましたね。後から聞いたところによると、王妃の代わりに行ったとか。公務なら僕も同行すればよかったです」
痛くもない腹を口撃されるのなんて慣れたものだ。王太子のネチネチとした言葉を無視するのも今では得意分野だったりする。
「あなたは何を、どこまで知っているの?」
ランディから報告はいっているだろう。同時にわたしとの会話以上の情報を今の彼は握っているはず。
「……せっかくの気分が代無しです」
不満を漏らしながら魔王はわたしに椅子を勧めるから、わたしはあらかた拭き終わったこともあり素直にテーブルを挟み腰を掛けることにした。
それを確認すると魔王は作業をするように朝食を口へ運ぶ。腹ごしらえは大事だからわたしは何も言わず、開け放たれた窓の外へと視線を向けた。そこには色とりどりの花びらが陽差しが注ぐ中、風の道を自由きままに舞う姿がある。思わず零れる吐息とともに、暖かな風を頬に感じ魔王の髪をゆっくりとではあるけれど乾かしてくれているのを感じ取る。優しい行為に思えて自然と笑みが浮かんだ。
「何を見て笑っているんですか」
魔王の不満の声を聞いて呆れながら説明する。
「外の風景よ。すごく可愛くてきれい。風の上を舞うのはきっと気持ちいいでしょうね」
「なるほど、本当にきれいですね。あなたにそんな表情をさせて……嫉妬してしまいました」
わたしの視線は窓の外。
魔王の視線は目の前のわたし。
会話は成立しているけれど、その実まったく成り立っていない。
いつものこととはいえ、諦めの意味を込めため息を素直に吐き出した。
「美しいものを見て感動しているアヴェリーの姿が、僕はこの世で二番目に美しいと思っているんですから仕方ないと思いますよ?」
「…………ちなみに一番は何」
「僕のことが好きだと言うアヴェリーですかね」
「ご愁傷様」
過去一度だって伝えたことはない言葉を、それは嬉しそうにうっとりと微笑みながら言ってしまう魔王の脳はとても残念だ。
でも、と先ほどの苦しそうな表情とうってかわり、幸せそうな笑みを浮かべる魔王はたしかに美しいと思う。
わたしも末期なのかも、と思いながら好きな人のてらいのない笑みというものは、美しく見えそして幸せにしてくれるものなのだ。
この世に数ある美しい物たちは、美しいだけで終わってしまう。それは立場だったり、お金で手に入らないものだったり、形として掴めないものだったりする。
魔王の笑顔はお金でも形としても掴めないものだけれど、守ることはできる立場がある。マナーがなっていないという意味もこめ、わたしに手を伸ばす魔王の手を扇で叩き落とし、守るためにあえて不安の種を撒く。
「それで、話をうやむやにせず話しなさい。どこまで知っているの。わたしが関わっているのなら、きちんと話して。対処が遅れれば大惨事になるわ」
「……役立たずが」
魔王たらんとする表情を作り、舌打ちをする。その表情は一瞬ですぐにいつもの蕩けるような笑みを浮かべるのだから、見事なものだ。
「あなたの子飼いには言い含めておいたつもりだったんですが、一体誰がアヴェリーの耳にいれたんです?」
「バカね。わたしが教えると思うの?」
過去、何人も子飼いの者たちを魔王は潰してきた。ランディに止めるように伝えてもあの男は魔王の命令を優先する。物理的に使えないようにするわけでなく、魔王の子飼いになるからランディとしても手足が増えるからうれしいのだとか。本当に使えない男だ。
だからこそ、傷を増やすとわかっていても彼女に情報を集めるように命じた。彼女に言えば教会に預けられた子どもたちが自然と情報屋となる。灯台もと暗しというけれど、魔王はわたしが彼女を傷つけるような真似はしないと思っている。
魔王はわたしに不安の情報を伝えるのを嫌がる。そして気付かれないうちに全てを片づけてしまう。わたしの耳に入るのは全てが終わった後だ。
魔王は自分にすべて罪があるというけれど、それは違う。同時にわたしは必要以上に罪科を増やすような趣味はない。だからこそ、罪を減らすため、情報が必要だった。
「わたしにはわたしの手足となる者が必要だとわかっているはずでしょう。駒になるような人を探すのも大変なの」
「ですから、あなたは王宮預かりになればいいんですよ。婚約者となれば体外的にも問題ありません」
結局のところそこに帰結するのか、とため息を零してしまう。
「わたしを関わらせたくないのは理解しているの。でもね、隣国の使者が実際この国にいるし、わたしと接触……待って。わたしが画商に行くことにしたのは急きょ決まったことよね」
「ええ、ですから――これが開かれるんですよ」
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