第3話 美しい不穏をもたらす蒼の瞳
言い捨てると同時に後ろから声をかけられた。よく通る声は耳朶を心地良く震わせる響きがある。おそらく意図してそういった声を出しているのだ。
わたしは扇を広げながら振り返る。
ランディがわたしを庇うように一歩前に出たけれど、わたしは目の前の男から視線を逸らすことができなかった。
海のような蒼の双眸があまりに美しく、息をするのも忘れてしまう。目を瞠るわたしに気付いたのかランディは一歩下がり、しかし鋭い視線は目の前の人に向けたままだ。それもそうだろう。顔全体に巻かれた包帯によって彼の容貌は隠され、戦傷者のように見える。しかし、彼は違う。わたししですら一瞬で気付いたのだから、ランディが気付かないはずがない。
我が国に援助を求めるために意図して怪我人を連れて来た可能性はあるが、それにしても包帯が綺麗すぎる。膿みが出た形跡も血のあとも、数週間前まで戦に明け暮れ顔全体を包むほどの怪我をしたのに、ありえるはずがないのだ。薬も包帯も食料も足りていないのだから。
ということは目の前の男は綺麗な包帯を与えられ、十分な足取りで移動できるだけの薬――怪我人と仮定してだが――と食料を与えられる地位にいる。
これだけでもきな臭いというのに、目の前の蒼い瞳は自尊心に溢れ、どこかほの暗さを感じさせる。計略と陰謀にまみれた政治家が持つ独特な色彩だ。
警戒するに越したことはない。
だが、分かっていても愚かなわたしは美しい者に抗えず、一歩近づき声をかけた。
「あなたもこちらの国の方で?」
つっ、と視線を神が降臨された絵画に向ける。それだけで伝わったのだろう。包帯をしている意味を感じないほどの力を込め、蒼い瞳の男は頷く。
「こちらの外交補佐官の付き添いで来られたんでしょうか?」
「いえ、私はこの絵画の付属物ですよ」
「……そう、神の従僕というわけね」
バカバカしいことに彼の国は神が宿ると言われる絵画に、従僕を付ける慣わしがある。選ばれた者は一生涯、絵画の傍にいて全てを捧げるらしい。
「あなたの瞳の色と相まって、一層際立つというものね。神も喜ばれていることでしょう」
「ええ、きっと」
口元が笑みの形を作る。しかし、彼の瞳はわたし同様嘲りの色が見てとれた。それだけで彼がただの従僕ではないことを悟る。
何かが引っかかったのはランディも同じらしく、小さくわたしの名を呼び引き上げるよう指示を出す。それにわたしも賛成の意を込め小さく頷き、踵を返そうとした時だ。
「カタログを受けとっていただけますか? 神々の力は美しさと力強さが込められています。模写した絵にも宿り、あなた方の神を導いてくださるでしょう」
ぴくり、とわたしのこめかみが動く。
あなた方の神という言葉は我が国にとって禁忌に等しい言葉だ。特にわたしには許せない一言だった。だからこそ、告げてしまった。
「真実、神がいたとすれば、貴殿の国は争いなど起きなかったのではないでしょうか?」
ランディも同じ気持ちだったのか止める素振りすら見せない。それをいいことにわたしは続ける。
「事実を見る気もないのならば、我が国のことまで口を出すのはやめて頂きましょう。我が国には神という存在は力を有することはなく、人の力で成り立ち維持しているのです」
外交補佐官の顔色は真っ青に染まっていたけれど、目の前の包帯男は蒼い瞳を大きく見開いたかと思うと口元に手を当て体を少し前屈みにさせた。何が起きるのかと目を細め見ていると肩を震わせ笑い出した。
「ふっ、はははは! これはこれは辛辣なお嬢さんですね」
従属物は幼い頃より神に対しての教えをすり込まれていると聞く。だというのに、まったく瞳の色を変えないとは――何者なのか調べなくてはならない。
いや、小馬鹿にするものを感じるのだから、彼なりに怒りを覚えているのだろうか。
「隣国ですもの。良好な関係に越したことはありませんでしょう? だからこそハッキリと忠告をさせていただいただけです。ついでにもうひとつ、ご忠告させてくださいな」
蒼い瞳を射すくめるつもりで、わたしは不敬を口にする。
「神を欲するあまり我が国に手を出せば、あなたの国は火の海へと沈むことでしょう」
これは暗に絵画を燃やしてやると言っているようなものだ。
案の定、外交補佐官は真っ赤に顔を染め、わたしを非難する言葉を言い始めたけれど、男は案の定笑うだけだ。普通の従僕ならばわたしを強く非難し、最悪ナイフで刺されても文句は言えない。
――付属物のふりをして、目的のものをさらいにでもきたと考えるのが打倒よね。
神が分かたれ、表向きは秘されている力。
人智を越えたそれは人を幸せにはしない。
それを彼の国は神と呼ぶのならわたしの国には神がいる。
あの人の存在を知られてから何度もその身を狙う恐ろしい宗教国家。
この者達は主張する。
その昔、神と崇められていた宗主は我が国の祖となる道を選び、ただの人として生きる道を選んだ。
だがその影響なのか人智を越えた力を持つ者が国王家には極たまに生まれる。彼らはその者たちを自らの国の神と崇め、度々攫おうとする。
目の前の男もまたその一派なのだろうか。
答えを出すのは早いけれど、荒れている国だからこそ可能性は非常に高い。
「重々承知しおきましょう。それでカタログは受けとっていただけますか?」
「……受けとりましょう。それでは失礼」
早急に知らせる必要があると判断したわたしは彼との会話を切り上げ、不自然なほど脂汗をかく外交補佐官に向き合い、用件ができたことを告げ馬車へと乗り込んだ。
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