第4話 美しい悪あがきと言う

「戦は嫌いよ。だって美しくないもの」


 馬車に乗り込んだわたしは目の前に座るランディにぶつけた。この状態がおかしいことはお互いに分かっているけれど、これも慣れた。話し合うための場所を設ける時間も人手も惜しい時は馬車に限るのだ。

 嫌味をぶつける魔王の被害にあうのはランディだけだから、わたしは正直どうでもよかったりする。魔王自身、わたしたちが馬車の中で話し合うほど緊急性が高いことは理解しているから、ランディもそれほど辛い目には遭わない。……たぶん。

 彼は苦笑と共にわたしが何が言いたいのか理解したのだろう。行者に馬車を出すように命じながら「同感」と呟いた。

 忌々しい思いを抱きながら戦傷者のふりをした男に思いを馳せる。彼は火種になるとわたしの勘が告げていた。

 あれをどうにかしなくては美しいものを奪い、美しいものの心を壊す種になる。それだけはなんとしてでも阻止しなくては。この国に戦の欠片一つでも持ち込もうとする者がいれば叩き出すつもりだ。苛立ちを隠すことができず、馬車の椅子を扇で叩き付ける。

 隣国の神のためにとあたかも許される戦だと言わんばかりの態度は最もわたしが嫌うところだった。


「そう怒るなって。オレもあいつを守るために騎士なんて割の合わない役目を真面目にやってんだからな。戦はあいつを苦しめる原因そのものだ。あいつはいつだってギリギリのところで生きている」

「この国に戦禍を持ち込もうとする者はすべて排除しないと」

「……年々言うことが物騒になっていってるぞ」

「仕方ないじゃない。魔王を助けるためよ。あの男は何かがあるわ……我が国の王太子が狙われている。守らなくてはいけないわ」


 王太子として能力がないのであれば、ここまで心を寄せることもなかったのかもしれない。

 暴君まがいなことをする一方で彼は、民のために政の一旦を既に取り仕切り一定以上の成果を上げている。魔王は治水について興味があるようで、あまり人が寄りつかない場所まで清潔な水が行き渡らせた。貴族たちの信頼もある部分を除けば得られているため、恐らくこのまま即位することだろう。

 何事かがあれば別だけれど。


「おい、目が物騒なことになってるぞ」

「……わたしはね、魔王のアキレス腱である自覚はあるの」

「そうだな」

「何事かが起きなければいいのだけれど、胸騒ぎがするわ」

「……毒の地の一件があっても動く馬鹿がいると思うか?」

「自国の貴族なら、違うかもしれない。他国の目的は神そのものよ。そもそもこの時期にあれだけの神を持ち運べるなんて、異常よ。即位したばかりの王が動いていると考えてもいいんじゃないかしら。即位した王の情報は?」

「それに関しては調べているが、どうやら傍系も傍系。すっげー遠い血筋らしくて情報がでてきてないんだ。戦での振る舞いなんかが伝わってくるのにも、もう少し時間が必要だろうしな」


 戦争に突入すると報せを受けてから子飼いの諜報員を向かわせたけれど、わたし個人としても情報を得ることができないでいた。

 ランディはわたし以上に情報筋を持っているのに、そんな彼もわからないとなると理由があるはずだ。そこまで考えて包帯で隠れた蒼い瞳を思い出す。


「…………顔を隠していたとか?」

「神が顔を隠して……ああ、いや。可能性はあるが、どうだろうな」

「全く情報がない点を考えると、おかしすぎるのよ」


 吟遊詩人たちが歌う曲は、民衆から集め、彼らが独自に手を加える。

 戦が終わったばかりで、詩人たちも近づきたくはないのだろう。しかし、われ先に、と近づく者はいる。だというのに、まったくないのは異常ではないだろうか。


「そうは言うがな、顔を隠す意味って何かあるのか?」

「現時点でわたしたちが困っているわ」

「……なるほどな。新王は今までの王とは違い、民を戦に駆り出すような真似はしなかったと聞く。だから素性が伝わり難いのかと思っていたが、一手、二手先を考え行動していたと考えれば、顔を隠すことは理にかなっている」


 通常であれば、民の信認を得られるとは思えない。

 しかし、そこは神の国。新王の即位式は神が降臨した翌日に執り行われると決まっていて、顔をさらす必要はない。そして都合の悪いことに神の降臨は戦が始まる直前――時間がゆうにあるというわけだ。


「……やっぱり急いで知らせたほうがいいわ。あなたはあなたの仕事があるでしょうし、ここで別れましょう」

「は?」

「わたし、行きたい場所があるし。そっちはそっちで好きにしてちょうだい」


 これ以上、首を突っ込むのは得策ではない。と同時に、相手の狙いがわたしなのか違うのか確認する意味でも動いておきたい。

 隣国が王太子を狙っているのは勘だが、では手に入れるために自国の貴族がなにもしていないのだろうか。答えは否、だ。

 隣国は度重なる戦争によって金がない。それを考えれば下手に我が国に手を出せないのだ。しかし、ここで手を出してきたということは、我が国の愚かな貴族がなにかしら動いた可能性が非常に高い。

 例えばわたしを廃し、自らの娘を王太子と結婚。王太子は隣国の神の座に座らせ、娘の父親がこの国で権勢をふるう。

 成功する可能性は低いけれど、わたしがいなければ娘を王太子妃につける可能性は一見して高まる。馬鹿はそう考えるのだ。


「あのな……お前が傷ついたら魔王がどうなるかわかってんのか」

「知ってるけど、今は戦禍がかかっているの。些事を気にしていないでさっさと片付けるに限るわ」


 行者に合図を送り、侯爵家の馬車が待つ教会へと行き先変更を告げる。


「またあそこに行くのか? 魔王が嫌がる」

「誰が嫌がろうと行かなければいけない場所だと思うのだけど? そもそも、報告しなければいいのよ」

「オレが言わなくても、あそこ間諜が山のように配置されてるからな」


 知っている。

 勤めている人間全てが魔王の手下。

 だからこそうってつけなのだ。

 ランディもそのことを分かっているからこそ止めるふりだけに留め、わたしたちは途中で別行動をとった。



 王都にはいくつもの孤児院が存在する。その中でも王太子の名の下に建設された孤児院はここだけだろう。

 わたしの罪によって誕生した行き場のない子供たちを一つの場所で世話をするため作られ、そのシスターに選ばれたのは毒の地と呼ばれる領土を治めていた貴族の娘ルティナだった。


「ルティナ、顔をあげてちょうだい。あなたが元気そうで良かったわ」

「……一週間前にも同じ言葉を頂戴いたしましたよ」


 そうだったかしら、とうそぶきながら近づく。ルティナは元伯爵令嬢の名に恥じない礼をとりゆったりとした動作で顔を上げる。

 こんな穏やかな顔をしていただろうか、とわたしは時間を見つけては訪れるようにしていたけれど毎回疑問に思う。


「なにか困ったことはないかしら」

「特には……子供たちも健やかに過ごしております」


 ルティナは今にも泣き出しそうな顔をして微笑む。

 それもそうだろう。自分の父が治めていた土地は劣悪な環境の孤児院しかなく、子供たちは満足に食事も睡眠もとれていなかったのだ。そのことを知ったのは罪を侵したのち、王都に監視付きで孤児院の世話を命じられた時だ。

 当時の子供たちの大半はすでに成人し、自身が望んだ仕事についたと聞く。彼らはルティナを憎み、王太子を英雄視するだろう。そんな美談ではないのに。

 わたしはそのことを思うたびルティナを抱きしめたくなる。彼女はなにもしていない。ただ、自分が欲しいと思った美しいものを手に入れるため、わたしを傷つけただけだ。いっかいの侯爵令嬢であるわたしを……それだけで色々な人に恨まれ、シスターとなり、生まれ育った土地を毒まみれにしてしまったのだ。

 罪科がどこにあるのかと問われれば、わたしは自身の名を挙げる。


「アヴェリー様、今日子供たちと共にクッキーを焼いたんですが、食べていただけますか?」

「ぜひ、いただくわ! でもお菓子まで焼けるようになったのね」

「ええ、やっとですけれど。どうしても分量を計算することが苦手で……私のようなものが作った品ですが」

「ルティナ、あなたが何を思って私のような、と発言したのか知らないけれど、わたしはその言葉は嫌いよ」

「……アヴェリー様は昔からそうでしたね。普通の貴族の娘であれば、料理をする者を厭うというのに」

「なぜ? 素晴らしいことだわ。あなたが何を思って自身を卑下するのかはわからないけれど、何度だって言うわ。素晴らしいわ」


 だって、と喉に引っかかった言葉を飲み込み、ルティナの荒れた手を撫でる。貴族だった娘にとってこの肌は隠したいものなのだろうか。だからこそ彼女たちは間違えてしまったのだろうか。そうなのであれば、わたしはこう告げるだろう。


「あなたが当時身につけていた衣装もとても美しかったわ。けれど、わたしは今のあなたもまた美しいと思うの。……着飾ったわたしが言うと偽りを言っているように感じてしまうけれど、あなたは美しい。だから前を毅然と向きなさい」

「いいえ、いいえ! 前を向くなど……前を向けば、私はあの光景を……っ」


 ああ、と零しながらルティナの瞳孔がひらき、遠くを見つめながら涙が落ちていく。


「私は間違えた……絶対に傷つけてはいけないものを傷つけてしまった。その間違いは……愚かな私を罰するため……あの土地を、あそこに住んでいた人や動物たちを……殺した。あ、あれ以上の罰を……私は与え、られ……ひぃっ、いや、いやぁああああああ!」


 わたしに向けた言葉ではない。当時の自分に向けているのだろう。視線は絡み合うことはなく、頭を抱え取り乱す彼女の背を撫でる。 

 いつも思う。

 わたしは彼女の前に姿を現わさないほうがいいのだろうか、と。しかし、足を遠ざければ、それはそれで彼女の不安を煽るらしく通わないわけにはいかなかった。


 教会の窓に茜色が差す頃、彼女は我に返りいつもの言葉を告げる。まるで、わたしに刻むように、何度も何度も。魔王に命じられたのか、暗示でもかけられたのかわたしを捕えようとする言葉に思える。


「あの方にとってアヴェリー様は特別なのだと身に染みてわかりました」

「…………」


 そうね、と頷けばいいのか、違うと否定すればいのか、いつも悩む。結果としてわたしは言葉を返すことなく、言葉だけがすり抜けていく。


「恐ろしいのです。どうか、あの方を見捨てないでください。あなた様が離れてしまった時……――きっと、この国を滅ぼしてしまわれます」


 彼女の言葉はわたしの胸を深く抉る。

 魔王は一度、ある領地を滅ぼした。

 治水を整えている理由も知っている。同じことをする愚かな貴族が現われた時、水を穢しやすくするためだ。あの男の行動すべてに理由がある。

 わたしの罪が眠る場所。

 毒の地。

 魔王はあそこにわたしが近づくことを許さない。けれど、ルナティアは罰として彼の地が毒に侵される様を見せられた。結果とし、心がやんでしまった。

 ですから、とわたしの考えを遮るようにルナティアは続ける。彼女の視線はわたしが手に持つカタログだ。


「あの男性には近づかないでください」

「……教会が展示会を手伝うとは聞いていたけれど、何か気付いたことがあるのね?」


 頷くかわりに、ルナティアはまぶたをゆっくりと落とす。

 涙に濡れた瞳は美しいが、痛々しさが目立つ。いつか、彼女の瞳が完全な美しさを取り戻せればいいのに、と思うけれど欠けているからこそ美しさが際立っているのかもしれない。


「あなた様のことを探っているようでした。恐らく、そのため我が協会へと依頼を寄越したのでしょう。どのような気性の方か、どのようなことに精通し、民の人気など。本当に細々と……」

「王太子殿下のことではなく? わたしのことを調べていたのね?」


 重ねて聞けば、ルナティアは深く頷く。

 アキレス腱でもあるわたしを攫う算段でも練っているのだろうか。


「……わたしのことを調べる必要が隣国にあるのかしら? 行動範囲であれば納得もできるのだけど」

「あなた様はご自分のこととなると、大変疎いようですね」

「一体、どういう意味?」


 王太子のアキレス腱という意味では重々分かっているけれど、探られている内容を聞くと首を傾げずにはいられなかった。


「あなた様は我が国の未来の王妃。しかし未だご婚約が成立していない。その地位が確定していない以上、他国が優秀なあなた様を欲しがるのは道理。御身はただの侯爵令嬢ではないのです。他国にとってもこの国にとっても。そして他国へとあなた様が嫁ぐことがあれば、愚かな貴族は諸手はあげて喜ぶことでしょう」

「――肝に銘じておくわ」


 そう返すことしかできず、わたしは孤児院から立ち去った。お土産にクッキーをもらい。

 彼女もまたわたしが使う間諜のひとりだ。いいように扱う自分に嫌気がさしながら、馬車に乗り込んだわたしはひとりごちた。


「はあ……いつからわたしはそんな重要人物になったのよ」


 自分の悪あがきの末だとわかっていても、言わずにはいられなかった。



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