第14話 美しくも毒に侵され
王太子が視察から戻ってきたと対外的に発表されたと同時に、わたしはタウンハウスに戻ってきていた。
彼らの戻りが遅かった理由を問うたけれど、のらりくらりと交わされ、ランディに至っては笑って誤魔化すだけだ。もっとも切り崩しやすい弟に話を聞くため行動にでる。
ナリディスが屋敷にいることは確認済み。わたしを避けて行動しているようだが、彼には学業という避けがたいものがあり、必ず通らなければならないエントランスで待ち伏せすることにした。
メイドたちが働き始める時間に扉の前で仁王立ちしているのだ。彼女たちはわたしを見てはぎょっとしたようは表情をし、しかし相手はプロ。見なかったことにして仕事へと戻っていく。目当ての人物はさてどんな反応をするのかと待っていることしばらく。
「あっ、姉上っ!?」
「おはよう、ナリディス。ずいぶんと早く、学院に行くようになったのね?」
できるだけ相手に恐怖心を与えないよう、自然な笑顔を心がけたのだけれど。いやだわ、ナリディスの顔色が青くなっていく。まるで処刑台に立たされた犯罪人のようだ。本人は気付いているのかわからないが、足は後じさり、視線はあちこちを彷徨い逃げ道を探している。
愚かな弟が本気で走れば逃げられるが、ここで逃げられたとしても帰りも同じことをするだけだ。さらに逃げられたとしても次の日の朝、同じことの繰り返し。そのぐらい考えればわかる頭は持っているのでしょう、という意味も込めてにっこりと微笑んだ。
「どこに行く気か知らないけれど、わたしの部屋にいらっしゃい。逃げたら承知しないわよ」
弟は降伏するかのように項垂れた。
早朝から申し訳ないがメイドにお茶と軽食を運ばせ、下がるように言う。年ごとの姉弟といえどふたりきりになることは推奨されないが、我が家では適用されない。
「ずいぶんと酷い顔になったわ。ちゃんと食事はとっているの?」
いや、と首を横にふり、テーブルの上で握られた両手は微かに震えていた。
「父から与えられた仕事は完璧にやり遂げたそうね」
「……ただ、ランディさんより先に隣国の監察官に渡すだけだったから。姉上は、何が起きるのか知っていたの?」
ナリディスがしたことは、隣国の王を廃し、新たな王にすげ替えるための告発。彼の王の下で働き命を散らした者たちから怨嗟の声を受けたのだろう。
問いには答えず、軽やかな香りを漂わせる紅茶を口にする。ティーセットは朝ということもあってか、愛らしい模様が描かれていた。見ていると笑みが浮かんでくる。そのまま、ナリディスを見た。
「あの情報は誰が集めたと思っているの?」
魔王に奪われた子飼いの密偵たち。
彼らの忠誠心は次代の国王と王妃に向けられている。当然、あの男も握っていたことだが、わたしのもとにも届く。
まあ、わたし以上にほの暗い「何か」を握っているようだけれど。
「不思議に思わなかった? ランディよりも先に届けること、なんて命じられて」
「たしかに……。それ以上に事前に用意されていた書類に驚いたけど」
「当然じゃない。こうなることは予想できたのだから、指を咥えてみているはずないでしょう」
ひとつの国がふたつに別たれた。
初代国王は国を二つに割ったほどの勇猛さを持つ男。
当時は一夫多妻で、子だくさんだということが歴史を紐解けばわかる。そして、彼の子が忽然と家系図から姿を消していることも。
このことは正史には書かれていないが、隣国は我が国の初代王の血筋を諦めてはいなかった。しかし王を連れ戻すことは不可能と判断し、さらには洗脳しやすい子どもを狙ったのだ。
当然、王は戦争を仕掛け、奪われた子どもたちを何人かは取り戻したのだろう。
何人かは連れ戻すことはできず、隣国で血を繋げているはず。
さらに国王はこの時の怪我が原因で病に倒れ、一夫一妻制に切り替え、子どもたちを守るため厳重な警護を言いつけた。
わたしが正式に婚約者にならずフラフラしていることが許されているのもここにある。
早くに嫁げば子どもができる可能性が増す。多くできてしまう可能性を憂えているのだ。他国でいうスペアはスペアには成り得ない。諸刃の剣だ。
護衛をつけるにしても人選はどうするのか、など現王子に関しても何度も吟味されたときく。信頼に応えることができたのはランディひとりだったとも。
「……なぜ、支援の手を差し出すのですか? 自分が酷いことを言っていることはわかっています。それでも、隣国など……」
「滅びられては困るからよ」
ナリディスはわからない、と首を横にふる。
決して我が国は広大な大地を持っているわけではない。それでも発言権を有し、注目を浴びているのには明白な理由がある。
隣国の宗教は我が国には浸透しなかったが、周辺を囲う国々には多く信者が存在する。国教となっている場所もある。
「あの国は我が国にとって刃であると同時に、我が国の盾でもあり剣でもあるの」
「そ、んな……」
苦しそうに声を絞り出し、顔を両手で覆う。その手の震えは先ほどよりも大きく、弟の精悍さは失われ、一層やつれた。
これ以上は言わないでおこう。
ナリディスには彼女を手放したわたしの駒になってもらわなくてはならない。
隣国と限定したが、我が国の王の血は他の国々にとっても民の支持を得る上で欲しいものだった。王家は子どもを作りたがらないが、それでも降嫁する王女や公爵位を与えられ臣下に降る王子はいた。
彼らはそのたびに言われるのだ。
子どもを他国に連れていってはいけない、と。
安全な場所といえば聞こえはいいが、狭苦しい世界だろう。親が決めた者としか接点をもつことができないのだから。
神などではないと幾ら言っても、あの不思議な力が発現する限り誰も信じはしない。いつか消えてくれればと願うしかない。
「アレは自分の価値をよく理解している。……あなたが、いやあなたに万が一のことがあれば……」
「でしょうね。だからこそ、魔王は自分が連れ去られることを選んだのよ」
何かに気がついたのか、顔をあげる。
顔色は相変わらず悪いが、ほんの少しではあるが赤みが戻ってきたようだ。
「決して、あの男は自国をないがしろにしていないわ。魔王にならない道を選んではいるの」
「……姉上に嫌われたくないからですよ」
返事はせず、新たな問いをする。
「途中、魔王とランディと合流したのよね。どこで何をしていたの?」
「オレに聞かなくても知ってるでしょ。どこに誰がいるのかも。あの人を隣国に届けた時、お任せしますって姉上に伝えてくれって言っていた……」
伝えるのが遅いのではないかと思ったが、仕方ない許してあげよう。
ナリディスは年齢で言えば十分優秀だ。しかし、若く、経験が足りない。わたしは経験を補うため、あらゆる国の裏と呼ばれる歴史を紐解き学んだ。全て、あの男のために。
だからこそ物足りないのだ。
将来、否応無しにあの男の側近となる。
父はわたしと魔王の関係が始まった折に即座に宰相職を返上し、後進を育てるために奔走したが、弟はそうはいかない。
「姉上には当分、敵いそうにないな」
疲れた顔に少しだけ精悍さが戻ってきている。安堵しているのだろうけれど、これでは将来つかいものにならない。実の弟をこんな風に見てしまうのも帝王学の賜物なのだろうけれど、少し寂しい。
これを分かち合えるのもきっとあの魔王だけだ。
「なら、学びなさい」
それしかない。
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