沙悟浄について


 沙悟浄について語りたいと思うことは、あまりない。

 正直、俺はあの男が苦手だ。いやむしろ、嫌いだと言ってしまってもいい。


 悟浄は暗い。とにかく、根が暗い。

 いつも不景気な面をぶら下げて、背中を丸め、俺たち一行の一番後ろから、ひたひたとついてくる。燦然と輝く孫行者に隠れて存在が薄らいでいるような、そういう男である。


 特に俺が気に入らないのは、奴の寡黙さだ。

 悟空は俺に対して気に入らないことがあると、すぐに口汚く罵るし、しばしば手も出る。罵声を浴びせられるのも殴られるのも厭だが、逆に言えば、悟空は何を考えているのか分かりやすい。彼のそういう単純さ、はっきりとしているところは、好ましかった。


 それに引き換え、悟浄はどうだ。何か俺に言いたいことがあるようなのだが、それを口に出そうとはしない。はっきり態度で示そうとはしないのだ。


 ああ、あの目玉! あの泥のように暗く淀んだ大きな眼で見つめられるたびに、全身に悪寒が走る。陰湿な視線の奥底に潜む、侮蔑の影。奴が俺に向ける視線に潜むのは、軽蔑の感情だった。


 おおかた、大食らいの能天気な豚、と心の中で俺を蔑んでいるのだろう。それならそうと、悟空のように、はっきりとそう言えばいいのだ。そうしないで、ただじっと腐った魚のような眼を向けてくるところが、俺は心底気に入らなかった。



 沙悟浄には変な癖がある。


 奴は俺たちに混じって会談したり、法術の訓練をしたりことを好まない。いつも少し離れたところにうずくまって、じとっとした眼でこちらを観察しているか、さもなければ、自身の足元を見つめていた。そして蚊の鳴くようなか細い声で、何やらぶつぶつと呟いているのだ。


「もう駄目だ、俺は……」

「嗚呼、俺はなんでいつも、こうなんだろう……」

「何をどうしたって、変われやしないんだ、この俺は……」


 一度、奴の独り言にじっと耳を澄ませてみたのだが、奴が一心不乱に呟いている言葉は、だいたいこんな感じだった。そうしている時の悟浄の顔は陰鬱に塗り固められ、牢獄に閉じ込められて途方に暮れる罪人のようだった。


 いったい、奴は何に苛まれ、あれほどの自己呵責に追い込まれているのだろうか。俺にはさっぱり分からなかった。


「病気なのさ、悟浄のあれは」


 いつだったか、悟空と二人きりになった時、悟浄の奇癖について話をしたことがあった。孫行者は奴について、次のように自身の見解を語った。

「あいつは何にでも疑いを持つんだ。俺にも、先生にも、お前にも。そして何より、自分自身に。だからああやって、いつまでもぐずぐずしているんだ。そういう病気なんだよ、あれは」


 俺は感心した。この猿、何も考えていないように見えて、ちゃんと他人の本質を見抜いているのだから、時々ひどく驚かされる。それも理屈なしの直感で、鋭く真理を突いてくるのだから、なかなか侮れない。


 どうやら悟浄は、『何故?』という奇態な病に侵されているようだった。

 自分とはいったい何なのか? 自己の本質はどこにあるのか? ――悟浄はそういう答えのない命題の答えを探し続ける、という奇妙な思考に、取り付かれていると言うのだ。その思考が、絶えず足元がぐらついているような不安感を奴にもたらし、意味不明な独言を吐き出させているのである。


「自分を疑うようになっちゃあ、お終いさ。これは何? それはどういう事なんだろう? なんて、いちいち考えていたら、キリがないだろう。そういう意味のないことを、いつまでもやっているんだよ、あいつは」


「要は、底なしの馬鹿なんだ」そう言って、悟空はこの話を切り上げた。

 まったく、この世にはおかしな病気があったものだ。俺などは、食う・寝る・遊ぶの事柄ばかりに考えていて、『何故?』など考えることなどないのに。


 確かに、終わりのない『何故?』に思い煩う悟浄の奴は、阿呆だと思う。

 しかし――同時に、気の毒だとも思う。


 悟浄は、俺と同じような病に侵されているのだ。


 どんな名医でも妙薬でも治すことが出来ない、厄介な病気。そんなものに侵されているのは、どうやら、俺だけではなかったらしい。この世には色んな病魔に悩んでいる者がいるのだなあ、と俺はひそかに思った。


 悟空とのそんな会話があってから、俺は少しだけ――本当に、ほんの少しだが――悟浄に対して、それほど嫌悪感を抱かなくなった。

 奴がぶつぶつと何事か呟く時、きっと己にしか理解できない苦しみに、苛まれているのだろうから。

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