三蔵法師について
三蔵法師は大変に優しいお方だ。
何故なら、いつも俺に食べ物を分けてくださるから。
我々はしばしば野営で夕餉をとるが、俺はいつも食い物の分量が少ないことに、不満を抱いていた。山中や民家のない原っぱでは食料の調達は困難なのだ。
俺が何より我慢できないことは、空腹である。だから俺はいつも、足りぬ、腹が減ったと文句を言う。
すると、師父は「わしはもう、十分だから」と言って、自分の分を俺に譲ってくれるのだ。
もちろん、師父の言葉が方便であることは、知っている。師がいくら小柄で食が細いからといって、野営での食事では満腹になっていないことは明らかだ。それなのに、師は少ない食べ物を俺に分け与え、あまつさえ、優しく頭を撫でてくれる。
俺はそうした師父の行動が、不思議でならなかった。
食い物を他人にくれてやるなど、俺には考えられない行為だ。繰り返すが、俺が何より我慢できないことは、空腹だ。この世の生き物は、食って楽しみ、楽しむために食っている。生きとし生ける者は、みんな食うために生きていると言っても過言ではない。
それなのに、師父はその生きる上での楽しみをわざわざ他人に譲り渡し、平気な顔をしている。俺には絶対に真似できない行為であった。
食い物を与え、それを食う俺を見ている時、師父は実に充実した顔をしておられた。細い目をさらに細めて、嬉しそうに微笑んでおられる。自分は空きっ腹を抱えているにもかかわらず、だ。
そんな時の、師父の底知れない微笑みを前にすると、俺は妙な気持ちになるのだった。
◆
俺と他の二人は、性格も物の考え方も驚くほど違っているが、そろってこの不思議な方を「先生、先生」と呼んで慕っている。その中でも、悟空なんか特に――当人は頭に嵌められた金輪のせいで、仕方がなく従っているなどとぬかすが――師への想いは強い。
しかし、何故我々がこのひ弱な老人を敬愛しているのか、その理由が今一つ分からないのだ。
もちろん、師父は毎晩食べ物を分けてくれる優しいお方だが、それだけが敬愛の動機ではないように思う。俺は豚ではあるが、その辺の家畜ではないので、食い物を与えられてほいほいと付き従ったりはしない。それなのに、苦労も労働も嫌いなこの俺が、師との険しい旅路を共にしているのは、いったいどういうわけなのだろう。
先述したとおり、師父はか弱いお方だ。実に、弱い。
師父はその弱さゆえに、すぐに妖怪変化に襲われ、囚われの身となってしまう。単純に貧弱だと言うだけでなく、警戒心というものが欠如しているのだ。そのあまりに無防備な有様に、食い物だけではなく、生への執着すらないのではないか、と心配になるほどである。
肉体的、精神的な強さだけで見れば、超人の孫悟空は言うに及ばず、俺にさえ劣っている。自分よりも劣っている者に付き従っているなど、こんなにおかしな話はない。
しかし、我々は師が浚われる度に化け物どもの許に乗り込み、一刻も早く助け出さねばという焦燥に駆られる。どうしても、かのお方を守らなければという、訳の分からない使命感が、たちまち我々の前に現れるのだ。それは、何故なのか。
一度、真剣にその理由を考えてみたことがある。
理由はないが守りたくなる。愛おしくて何故だか放っておくことが出来なくなる。この尊くも不可解な感情の正体は――
肉欲だ。
我々の敬愛の正体は、男色的な欲求である。
そう、我ら三者は――少なくとも悟空には――無意識に性的な魅力をを師父に見出しているのではないか。でなければ、どうして人が命がけで、誰かを救いたいなどと思うことがある?
と、いうようなことを話すと、悟空に殴られ、悟浄には鼻で笑われた。彼らに言わせれば、俺の解釈は全くの見当違いなのだそうだ。
しかし、そんな理由でなければ、どうして三蔵法師という人に、俺たちはこうも引き付けられるのか。その心理の構造が、俺には未だに分からない。
「先生、どうしていつも俺に食い物をくださるんですか」
ある晩、俺は師父にそう尋ねてみたことがあった。その時も師は自身が分け与えた飯を食っている俺を眺めながら、にこにこと陽だまりのような笑みを浮かべていた。それこそ影のない、満月のような満ち足りたお顔だった。
「よいのだ、八戒。わしは美味そうに飯を食うておるお前を見るのが、好きなのだ」
そう言って、師父はまた俺の頭を撫でるのだった。
師の言っていることはよく分からなかったが、掌の温かさは心地よかった。
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