第25話:責任の取りかた

 家に帰ると、居間でくつろいでいた。誰が? あかりが。

「おー、アキラおかえりー」

 ソファに預けた身体をのけぞらせあかりが言う。すっかり一家の一員として馴染んでいた。

 あかりを部屋に閉じ込めておくのは早々に諦めた。じっとしていられない性分なのか、隙を見ては他の部屋のドアを開けたりする。それに風呂やトイレという問題もあった。こればかりはどうしても避けられないし、かといって一緒に入るわけにもいかない。あかりは、

「別にあたしはいいけどね。見せられないような身体じゃないし」

 と着替えとして渡した俺のTシャツの胸元をちらりと少し下げながら言ったが、理性でその返答は却下した。

 とはいえ「ビデオから出て来た美少女と一つ屋根の下で暮らすことになった俺の明日はどっちだ!?」なんて出来の悪いラノベのタイトルみたいな状況を母にそのまま伝えることもできず、どうしようかと思案していたそのときだった。部屋のドアのあたりから視線を感じた俺は腰かけていたベッドから身体を浮かせる。と、そこにはドアの隙間からこちらを覗き込みかっと見開かれた目が! 怖いよ! どこの家政婦だよ!

「おおおおいちょっと何してんの母さん!」

「……息子の成長を陰ながら見守る母」

「なにコントのタイトルみたいに言ってんだよ!」

「コント、息子の成長を陰ながら見守る母」

「言い直さんでもいいわ! ……じゃなくて、えっとこれはだな……」

 俺があかりのことをどう説明しようかと慌てふためていてると、母が俺の肩に手をぽんと優しく置いた。

「いいの。深くは訊かないわ。でもこの歳でおばあちゃんになるのはちょっと早すぎるかなって思うから、それはもう少し先でお願いね?」

「なんの心配をしてんだよ!」

「なにってそりゃあんた……」

「いい! 言わなくていいから!」

 そんなやり取りを経て、あかりが遠方から越して来たばかりであること、また、家族もなく、行く宛てもないことを伝えると、母は少し考えるようなそぶりを見せたあとで、「仕方ないわねぇ」と頷いた。

「まったく、あんたは昔っから困ってる人や動物を放っておけないんだから」

「……うん、さんきゅー」

「だけど、お母さんまだおばあちゃんには……」

「それはわかったよ!」

 そして母の背中を押し部屋を出たのだった。

「ねぇアニキさ、麦茶って普通砂糖入れないよね?」

「なんだ突然」

「いや、あかりちゃんがさ、『砂糖が入ってない麦茶なんて麦茶じゃない!』って言うもんだから……」

「いやいや芽衣子ちゃん砂糖は入れるでしょ! 甘くない麦茶なんて麦茶じゃないって!」

 世の中には誰とでもすぐに仲良くなれちゃうような奴がいて、どうやらあかりもその仲間のようだった。俺には冷たい芽衣子ともちゃんづけで呼び合う仲にいつの間にかなっている。

「いや、麦茶に砂糖は入れんだろ。少なくともうちの麦茶はノンシュガーだ」

「くっ、ちくしょう。この苦い麦茶を飲まないと黒沢家の一員にはなれないってわけか! ええいままよっ!」

 麦茶の入ったコップを手にぐびぐびっとそれを飲み干す。

「ぷはー」

「おー、えらいえらい。でもあかりちゃん、黒沢家の一員になりたいって、やっぱりアニキと……」

「違う違う。あたしはと……」

「と……?」

「と……っても嬉しいのよ。芽衣子ちゃんみたいな子と一緒に暮らすことができて。うん。だからずっとこうしてたいなーって」

 みるみる芽衣子の顔が赤く染まってぼんっと何かが爆発する音が聞こえた。

「ちょちょちょ、あかりちゃん何言ってるの!? わ、わたしお風呂入って来る!」

 カチコチと音が聞こえてきそうなほど不自然な動きで芽衣子は居間を後にした。それを見送ってあかりが口を開く。

「芽衣子ちゃんってほんと可愛いわねー。誰かさんとは大違い」

「可愛くなくてわるーござんした」

「ところでアキラ、どうするの?」

「どうするって何が?」

「何がって映画よ。え・い・が」

「あぁ……」

「『あぁ……』じゃないわよあんた。まったくもう一週間よ。あたしがこっち来て」

 俺が適当な相槌で返事を濁していると、

「はっはーん。さてはあんた、あたしに帰って欲しくないのね? だから映画の話になるとそうやってお茶を濁すんだ」

 ずいっと俺の顔を覗き込み、あかりはにやにやと笑った。

 俺は目線を外すように顔を背ける。

「ばーか、ちげーよ」

 別にあかりが帰ろうが帰るまいが俺はどちらでもよかった。というか帰ってくれた方が精神衛生上絶対にいい。下手に母に気に入られて「ずっとここに住んでもいいのよ?」なんて展開になったらややこしくて敵わん。だってそもそもこいつは――

「さっきのあれ」

「ん?」

「徹って言いそうになったろ」


『違う違う。あたしは徹が好きなんだから』


 急に静かになったと思い、背けた顔を元に戻すと小刻みに震える小さな身体がそこにはあった。

「なっ、なっ、なっ、なんで!?」

 針の飛んだレコードのような悲鳴がその身体から発せられる。

「なんで、ってお前寝るときよく『とおる、とおる』って寝言で言ってるし、親父の話してるときのお前の顔、すげーにやけてるぜ? あれで気づくなって言う方が無理だ」

 唸りを上げて頭を抱えるあかりを見降ろしながら、俺は小さな声で呟く。

「残念だったな。俺がお前の息子じゃなくて」

 あかりの恋が成就していたとしたら、俺は今この場にいない。そんなことを考えると不思議な気がした。きっと、親父とあかりが結ばれる可能性はゼロじゃなかったはずだ。ちょっとしたタイミングのズレで、その可能性は消失してしまった。人生はそんなボタンの掛け違いの連続なのかもしれない。あのときああしていれば。そんな想いは結局全部後の祭りで、そのときそうできなかったことがすべてなんだろう。なんとなく、親父はあかりのことが本当は好きだったのかもしれないと思った。親父の撮ったフィルムに映るあかりはとても魅力的で、だけど、だからこそ親父はあかりをスクリーンの向こう側に留めておきたかったんじゃないか。

「なんか言った?」

「いや、なんでもない」

 よく見るとあかりの瞳は赤く充血しており、少し潤んでいた。

「なんだよお前、泣いてんの?」

「泣いてない」

「いや、泣いてるだろ」

「うるさいなーもう! 泣いてるわよ! このままずっとこの世界で生きて行くのかなって思ったらちょっと感傷的な気分になっちゃったのよ! あんたが徹の名前なんか出すから!」

 わんわん喚き出したあかりは止まらない。

「じゃあ言わせてもらいますけどね、あんただって『なぎさ、なぎさ』って寝言で言ってるんだからね! アキラこそこの前のあの子のこと好きなんじゃないの!?」

「……別にそんなんじゃねーよ」

「嘘だね」

「嘘じゃねー」

「じゃあなんであのとき追いかけたの?」

「……」

「好きな子が同じ空間を生きてるんだから、行くなら今しかないでしょ!」

「……いねーんだよ」

 自分でも驚くくらい低い声が出た。

「あいつはもういねーんだよ」

「いないって……いたじゃない。この前、会ったでしょ?」

「あの子は……違う」

 似ていた。双子かそれ以上に。でも、あの子じゃない。あの子は渚深青で、渚碧海は――。

「死んだんだよ。俺が殺したんだ。去年の夏、勝手に映画に出演させてラストシーンで海に飛び込ませてそのままだ。そのままあいつはいなくなっちまった」

 雲ひとつない青空。その下で大きな波を立てている海。遠のいていく小さな背中。今でも瞳の奥に焼きついている。目を瞑るといつもこのときの映像が浮かぶ。繰り返し繰り返し、俺はあの日を再生している。壊れたビデオデッキみたいに、同じ映像を再生し続けている。

「あかりチョーップ!」

「痛てっ」

「何があったのかは知らないけど、そうやって全部自分のせいにできるほどあんたは偉くないよ。責任を取るのは偉い人の役割」

 その言葉に口の端を歪めて笑う。

「だったらなおさら俺の責任だよ」

 なぜならば。

「現場では監督が一番偉いだろ」

 渚を映画に出演させたのも、渚を海に入らせたのも、渚を死なせたのも、全部俺の責任だ。

「……じゃあ責任とろう」

 それを聞いて俺は鼻で笑う。

「どうやって? 何をすれば責任とったことになるんだよ。どうやったら渚が生き返るっつーんだよ!」

「映画」

「は?」

「映画、完成したの?」

 あかりのまなざしは馬鹿みたいに強くて、俺は黙って目を伏せる。

「だったら完成させるんだよ。あたしのためじゃなくて、その子のために。きみの映画を。そこからじゃない?」

「……どうやって」

「それを考えるのが監督の仕事」

 ぽん、と小さな手が俺の頭を軽く叩く。

「少なくともきみは今を生きられるじゃん。だったら生きなよ、今をさ」

 先程の涙はどこへやら、あかりはけろっとした顔でそう言ってリビングを後にした。

 一人になったリビングで、俺はため息をひとつついてソファに横になる。

 バラエティ番組なのか、つけっぱなしのテレビから発せられる笑い声が耳触りだった。

「今を生きろ、か……」

 昔、そんな映画を観たような気がする。教室の机の上に立ったロビン・ウィリアムズが確かこんな台詞を言っていたはずだ。

『私はこの机の上に立ち思い出す。常に物事は別の視点で見なければならないことを。ほら、ここからは世界がまったく違って見える!』

 バイト終わりの疲れた身体を柔らかなソファが包み込んでいく。まるで深い海の底にゆっくりと沈んで行くようだった。渚は海の中でいったいどんな景色を見ていたんだろう。どこまでいっても真っ白な天井を眺めながら、そんなことを思った。

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