第19話:幽霊

「……ちょっと待ってよここミゾコーじゃん」

 学校に着いたとき、あかりは唖然とした顔でそう口にした。

「あれ、知ってんの?」

「知ってるもなにも……ここ、あたしが通ってる高校」

「えっ?」

「いや、だからあたしたちが通ってるのもミゾコーなのよ」

「……嘘だろ。だいたいお前、制服違うじゃねーか」

 あかりの身につけている制服は、ミゾコーの制服とは異なるデザインだった。

「そりゃ何十年も経てば制服のデザインだって変わるでしょうよ」

「そりゃそうかもしれないけど……」

「でも、やっぱりアキラなんだかんだ言って映画撮りたかったんだね」

「なんで?」

「ミゾコーといえば映画部で有名じゃん。徹だってそれでここに入学決めたって言ってたよ」

「いや、うちの学校に映画部なんてないぞ」

 話が噛み合わない。まるで違う時代の人と話をしているみたいだ。ってその通りだった。

「映画部がない、ってそんな……。じゃあ、廃部になっちゃったの……?」

 左手で髪の毛をもしゃもしゃとかいて険しい表情をするあかり。その顔はやがて苦痛のそれへと変わった。

「痛っ、いたた」

 頭を抱えてうずくまってしまう。身体がよろけ、今にも倒れてしまいそうだった。

「おい、どうした。大丈夫か!?」

 慌てて両手で肩を支える。

「何か思い出せそうなんだけど、思い出そうとすると頭が……痛たたたっ」

 そう言ってあかりは再び頭を押さえた。手のひらからこぼれ落ちた八ミリがコンクリートの地面に当たりカタンッと乾いた音を立てる。

 それは、一瞬の出来事だった。

 俺は目をこする。再び目を開けたときにはもう元に戻っていた。でも、と俺は思う。

 

「大丈夫か、おい」

「うん、へーきへーき。落ち着いてきた。暑い中歩き回ったからかなー。ちょっとふらっときちゃった」

 よいしょ、と声を出して立ち上がるあかり。

 さっきのはいったい何だったんだろう。

 あかりの身体が一瞬、ノイズで歪んだように見えたのは気のせいだったのだろうか。

 念のためもう少しだけ休んでから、俺たちは校門をくぐり、校内へと入った。休日の校舎は人気が少なく、自分たちの足音が床に響いてよく聞こえた。見知った場所にいるのに、何だか迷子になったみたいだった。

「失礼します」

 職員室のドアをノックし、ドアを引こうとした手が宙をかく。こちらが引くのより早く誰かが内側からドアを開けたようだ。

 顔をあげると案の定そこには河瀬先生が立っていた。

「おぉ、黒沢。思ったより早かったな。まぁ入りたま……」

 河瀬先生はそこまで言ったところで俺の背後に視線を移した。

「こんにちは」

 あかりが小さく頭を下げる。

 まずい。

 校外の生徒であるあかりを連れて来たのはやはりよくなかったのか、河瀬先生は射抜くような目であかりを見つめている。

「あ、先生すみません、こいつ俺の従兄妹で、夏休みだからって昨日こっちに――」

「あおい!? あおいなのか!?」

 慌てた俺の弁解の言葉も聞こえていないのか、河瀬先生はあかりの両肩に手をかけ必死に揺さぶる。河瀬先生のこんな表情は見たことがなかった。眉根を寄せ、でも怒っているというわけではなく、どこかつらいことを思い出しているような瞳。

 あかりに目を遣ると、困惑したような表情でこちらを見つめていた。

 その目を見て俺は我に返る。

「ちょっと先生!」

 二人の間に入って引き離す。

 河瀬先生は額に手を当てて何度か軽く呼吸を整えてから、

「取り乱してすまない。きみが昔の友人にあまりにも似ていたものでつい、な。そんなわけないのに、申し訳ない。どうやら暑さにやられてしまったようだ」

 そう口にしてあかりに向かって頭を下げた。

「さ、先生、中入りましょう」

 職員室のドアを開け、先生の背中を押して進む。先生はちらと振り返り、どこか名残惜しそうにあかりの顔を見つめていた。

 室内は冷房が程良く効いていて、火照った身体に心地よかった。始まったばかりの夕暮れのあかりが白い壁をところどころ橙に染めている。

 すっかり落ち着きを取り戻した先生は、約束通りお茶を淹れてくれた。それをありがたく頂戴しながら先生の言葉を待っていると、

「さっきはすまなかった。しかし他人の空似というのは本当にあるのだな」

 茶碗を手に取りお茶をすすりながらそう詫びる。

「いや、俺は平気ですけど。でも、そんなに似てたんですか? その、昔の友達と」

「そうだな……。一卵性の双子と言われても驚かない程度には似ていたな」

「そんなにですか」

「まぁ、もっともその姿は二十年近く前のそれだったから、どちらかと言うと幽霊にでも会ったような気分だな」

 幽霊、という言葉に思わずびくっと反応してしまう。

 黙っていると河瀬先生は組んでいた脚を組み代えて、

「ところで、さっきの少女は他校の生徒のようだったが?」

「いや、従兄妹なんですよ。夏休みで、こっちに遊びに来てて」

「ほぅ……」

 河瀬先生は舐めるような視線を浴びせてきたがやがて、

「まぁいい。それより呼び出した件だが、ちょうど先程会議があってな。本校の生徒はいずれかの部活動あるいは同好会に所属している必要があるのは知っているな?」

「えぇ、まぁ一応」

 生徒手帳の第十二条にも書いてある。ただ、いつまでに所属をしなければならないという記載はそこにはなかった。

「改めて今年の新入生の所属調査を行ったところ、どうやら未所属なのは黒沢、お前を含めて二人のみとのことだ。そこで担任としてお前の処分を今週かけて検討していたわけだが、それが先程決定した」

 河瀬先生はデスクの引き出しからおもむろに白い紙を取り出しこちらへと寄越す。

 手渡された白い紙には無機質なパソコンの文字でこう記されていた。


 黒沢晶は九月一日時点でいずれかの部活動ないし同好会に所属すること。

 もし右記の約束が果たせなかった場合は無期限の停学ないし退学処分とする。

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