第17話:恋するカメラマン

 自販機で買った飲み物を片手に公園へと向かう。ちょうど大きな木の陰にあるベンチが空いていたのでそこに腰かけた。少しだけ暑さが和らぐ。サイレンのように園内に響く蝉の鳴き声。それよりほんの少しだけ大きな声で、深大寺はぽつぽつと話を始めた。

「しかし深大寺が恋をねぇ」

 深大寺は確かにクラス内カースト上位に君臨するだけあってモテた。だけど深大寺自身はそれを別に自慢するでもなく、どちらかいうと居心地が悪そうだった。というのも、話をするようになってみてわかったのだが、深大寺はあまり自分のことが好きではないようだった。何でもそつなくこなせてしまうがゆえに、何かに熱中するということもなく、よってそんな自分に言い寄る女子たちの目は節穴だというのが口癖だった。

 そんな深大寺におとずれた初めての恋。

 それは天気予報が梅雨入りを告げた六月の初旬のことだったという。 

「その日はすごい雨でさ。スパイクの中もすぐにぐしょぐしょになっちゃったんだよ。もう練習どころじゃなくて。だけど大雨に濡れてると変に高揚したりするときあるだろ? 誰が言い出したのか気づけばみんなスパイク脱ぎ始めちゃってさ。ソックスで芝生の上走ってると芝がときどきちくって足の裏を刺して、なんかくすぐったいような気持ちいいような、変な感じがするんだよ。そうやって三十分くらいかな、みんなではしゃぎながらボール蹴ってたんだけど、だんだん身体が冷えてきちゃって部室に戻ってさ。さすがに今日はもう帰った方がいいなってことになって。で、制服に着替えていざ帰ろうってときにスパイクをグラウンドに置きっぱなしにしてたことを思い出したんだ。それで取りに戻ったんだけど、鉄棒にぶら下げておいたはずのスパイクはどこを探しても見つからなかった」

 深大寺はそこまで話してペットボトルのお茶をひと口飲んだ。俺は静かに話の続きを待った。

「でさ、その日は諦めてそのまま帰ったんだけど、翌日玄関で女子に声かけられて。何かと思ったらその子、スパイク持ってたんだよ、俺の。それもピカピカに磨かれたやつ。どうしたんだって訊いたら、昨日帰りに鉄棒に引っかけられたままになってるのを見つけたから家に持って帰って洗ったんだと。でも、俺スパイクに自分の名前なんて書いてないわけ」

「じゃあ何でその子はそのスパイクが深大寺の物だとわかったんだ?」

「そう。それで不思議に思って訊いてみたら、その子、俺の足のサイズ知ってたんだよ。確かに俺、身長の割に足小さいからさ、他の部員と比べても一番小さいくらいなんだけど、他人の足のサイズなんて普通知らないだろ?」

「それで惚れたと」

 何だか逆シンデレラみたいな話だな。

 深大寺は照れたようにはにかむ。

「何ていうか、押しつけがましく感じなかったんだよ。好意を寄せてる相手に好かれたくて何かをしてるんじゃなくて、困ってる人がいるから助けたって感じでさ。真っすぐなんだよな。俺と違って」

 つまり、その女子というのが委員長なのだった。

 こう見えて意外と硬派な深大寺はその後、意識してしまった委員長に声をかけることすらまともにできなくなったという。募る想いをどうすることもできず、カメラを手にあぁして委員長を待ちかまえていたというわけだ。委員長が今日塾の夏期講習のためあそこを通ることを事前に把握していたあたり、なかなか準備周到である。周到すぎて犯罪の匂いもするが。

「相談ってのはこのことだ。自分でもどうしたらいいかわからなくてさ。学校があるうちは毎日顔を合わせられたしそれでどうにか自分を抑えてたけど、休みに入るとそうもいかないだろ? 委員長のことが気になってしょうがなくて」

「どうしたらって、好きだ、って伝えればいいだけなんじゃねーの?」

「それができたら苦労はしないって」

 いや、できるだろお前なら。

 そう思って深大寺の目を見ると恥ずかしそうに目を逸らした。

「まぁ……初めてだからな」

「初めて……ってお前、付き合ったことねーの!?」

「……」

「なぜ黙って頬を赤らめる!」

 思わずつっこんでしまった。

 すると、深大寺は口元をゆるめた。

「……何だよ、気持ちわりーな」

「いや、他のやつらなら俺の機嫌をうかがって、当たり障りのないことばをかけるだけだからさ。やっぱお前は違うなーって」

「ばーか、お前暑さにやられでもしたのか? それは俺がカースト外の存在だからだっつーの。ルールがあるんだよ、集団行動には。俺はその輪の中に入れなかったからルールが適応されてないだけ」

「違うよ。それは委員長と同じでお前も真っすぐだからだ」

 真っすぐ、俺の目を見てそう言う深大寺。

 その言葉に胸の奥がちくりと痛む。そんなことない。

 でも、それを口にすることはできなかった。俺はくちびるを噛みしめてうつむいた。再び顔をあげると、トイレに行っていたあかりがこちらに駆け寄って来るところだった。

「ところであの子とはどこで知り合ったんだよ」

 深大寺があかりをあごで指して訊く。

「いや、親父の知り合い」

「えっ!?」

「あ、いや、そうじゃなくて、親戚だよ親戚。なんか最近越してきたみたいで」

 慌てて言い直す。あかりがビデオから出て来たことは、なんとなく言えなかった。

 そうこうしているうちにあかりがやって来て俺たちの間にお尻をねじ込むようにしてベンチに座った。

「ね、何話してんの? あたしの話?」

 俺と深大寺を交互に見ながら訊ねる。

 プラスチックのベンチはぎぎっと鈍い音を立てた。

「や、別に」

 そっけなく返すとあかりは風船のように頬を膨らませて深大寺の方に向き直った。器用にもベンチの上で正座をしている。

「深大寺くん、あたし回りくどいのとか苦手だから単刀直入に言っちゃうけどそのカメラ、アキラに返して欲しいんだ」

「それは……」

 虚をつかれた深大寺は一瞬口ごもった後、ちらっと俺の目を見て首を静かに横に振った。

「……ダメだ。委員長を撮れなくなる」

「深大寺くんはなんで委員長さんを撮りたいの?」

 なんと直球な。深大寺はあかりの目をみたまま身体を硬直させた。

「ちょっと見てみてもいい?」

 あかりはその返事を待たずに深大寺の手からビデオカメラを抜き取った。

 モニターを開き、先程深大寺が撮っていた映像を再生する。

 しばらくの沈黙のあと、あかりが声をあげた。

「すご……」

 あかりから手渡されたカメラを受け取ると、そこには確かに安物のビデオカメラとは到底思えない映像が映っていた。どうやらレンズフィルターも使っているようで、色味が強いのに、同時に淡さも感じさせる。

「まぁ、昨日、ずっと試行錯誤してたからな」

 照れたように頬をかく深大寺を見て、俺は改めてこいつの器用さと、それから孤独を知る。何をやってもそつなくこなせてしまうってことは、何に対しても力の出力は同等ってことだ。委員長への恋は、そんなこいつがもしかしたら初めてぶつかった壁なのかもしれない。力の出力が調整できてなくてややストーカー気味なのは問題だけど。

「あかり、深大寺には今これが必要なんだよ」

 あかりは腕組みをして、うーんと唸ったあと、

「そうね、カメラは返してもらわなくていいわ」

 あっさりとそう言った。しかし、その言葉には続きがあった。

「その代わり、カメラマンやってよ」

「どうしてそうなる」

 話が読めず口を挟む。

 すると、あかりは腰に手を当てて胸を張った。

「出てもらえばいいのよ、委員長さんにも映画に。そうすれば深大寺くんは心おきなく委員長さんをカメラに収められるし、あたしたちは映画が撮れる。どう? 名案でしょ?」

 確かにそれなら誰も困らない。

 だけど。

「ダメだよ、深大寺には部活がある。サッカーやりながら映画撮影なんて深大寺でもさすがに無理だ」

 そんなことをさせてサッカー部に迷惑をかけるわけにはいかない。ただでさえ大野に目をつけられてるってのに、これ以上何かしたら俺の平穏な高校生活がおじゃんだ。

 俺だって映画撮るって決めたわけじゃないし。

 それに、深大寺はあまり巻き込みたくない。

 俺は去年の撮影のことを思い出していた。

「それなら心配いらない」

 そんな俺の心配をよそに、深大寺はきっぱりとした口調で言った。

「なんで」

「部活辞めたから」

「……………………辞めたぁ!?」

 俺は思わず身を乗り出して深大寺に詰め寄る。

 間に挟まれたあかりの顔がすぐ近くにあって、俺は慌てて姿勢を戻した。

「あぁ」

「あぁ、ってお前、そんな簡単に……」

「簡単なことだ」

 口ごもる俺に深大寺は断言するように言う。

「サッカーは別に五年後にまたやりたくなったとしても出来るだろ。でも、五年後委員長に会いたいと思ってもきっと会えない。いや、実際会おうと思えば会えるだろうけど、それはやっぱり今の会いたいって気持ちとは違うと思うんだ」

「お前……いや、なんつーかすげーわ。お前が一番真っすぐだろ」

 恋は盲目。昔の人はよく言ったもんだと俺は思う。それに、盲目になれるってのはある意味幸せなことでもあるんだろう。少なくともそれを追いかけているうちは。だけど、いつかそれに追いついてしまったり、あるいは永遠に追いつけないことがわかってしまったとき、人はいったいどんな顔をするんだろう。俺はいったいどんな顔をしていたんだろう。

「人生は思ったよりシンプルなのかもしれない。長い間悩んでいたことが随分ちっぽけなことだったんだって今ならそう思えるよ」

 そう口にする深大寺の顔は晴れやかで、見上げた空は雲ひとつない青空だった。

 だから、俺はそれを口にできない。

「ってことで」

 代わりに声をあげたのはあかりだった。

「決定ねっ!」

 それに賛同するように、幾匹もの蝉たちが一斉に鳴き始めた。

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