第15話:RE:夏休みのはじめかた

 どうせ暇なんでしょ? とあかりは言う。確かに暇だ。受験生でもない、部活にも入っていない高校生の夏の前に立ちはだかるものは何もなく、あるのは真っ白なキャンバスのみ。自由。これが自由だ! と大声で叫びたいくらいに自由だ。だが、これが本来あるべき高校生の夏の姿ではないだろうか。大人になれば否応なしに目の前には「やるべきこと」が積み上げられ、それをこなすだけで人生が過ぎていく。あらかじめ下書きのされたキャンバスに色を塗っていく作業が繰り返される毎日が待っているのだ。だからせめてそれまでは自分自身でキャンバスに絵を描くことが必要なのだ。誰かが描いた絵に色をつけるのではなく。まぁ俺の場合は最後までそのキャンバスは真っ白のままなんだけど。いや、だって自分の可能性せばめたくないし。一度絵を描いちゃったらそれに縛られることになるし。うん、だから俺はまだ真っ白のままでいいや。大丈夫、来年から本気出す。

「でもその深大寺くんはサッカー部なんでしょ? カメラなんて何に使うの?」

 例の映画のつづきを撮れとうるさいあかりに、カメラは深大寺に譲ったことを話すと腑に落ちない、という感じで口を尖らせた。

「いや、それが俺もよくわかんないんだけど、なんか俺の夏休みを始めるためにはこれが必要なんだ、とかなんとか言ってたな」

 昨日あった着信には、留守電が入っていた。そこで深大寺は「相談がある」と言っていた。もしかするとその件に関係しているのかもしれない。

「だいたいあのカメラ、アキラのじゃなくて徹のなんでしょ?」

「親父のものは俺のものみたいなもんだろ。それに親父行方不明だし」

 あかりはなんとしても俺につづきを撮らせるつもりらしかったが、俺はそれをかわしつづけた。そして、ロケ地を巡っているうちに何かを思い出すかもしれないからとりあえずロケ地を見てみよう、という結論に至った。「犯人は現場に戻る、ってね」とかあかりは言ってたが色々間違えすぎだと思う。ほんとにちょっと脳やられちゃったんじゃないの?

「まぁ、最悪これで撮ればいっか」

 そう言ってあかりは鞄の中から古ぼけたカメラを取り出した。八ミリカメラだ。

「げっ。なんでそんなもの持ってんだよ」

「小道具よこ・ど・う・ぐ。名探偵あかりさんは犯人の証拠を記録するためにいつでもこのカメラを持ち歩いているのです!」

 あかりがカメラをこちらに向けてたので、俺はなんとなく顔を背ける。じりじりじりじり、と何かを急かすようにカメラが音を立てていた。

 喫茶店を出ると夏の太陽が容赦なくコンクリを焼いていた。熱を帯びた風が顔を撫でて、通りを駆けて行く。室内との温度差にめまいがするほどだった。

 だから最初、見間違いだと思った。

 暑さのせいで幻覚でも見たのかと思ったのだ。

 やれやれ、と思って頭を振る。

 すると背後から声があがった。

「あれ、カメラ持ってる人がいるね。映画でも撮ってるのかな」

 その声に俺はもう一度顔をあげる。

 通りの向こう側、数十メートル先。

 手に小さなハンディカムを持った男が電柱の陰に隠れていた。

 道行く人たちはその男に怪訝そうな視線を向けている。

 サングラスなんかしてるから余計に目立つのだ。

 そして何より目を引くのはそのオレンジ色に輝く髪。

「あいつ……なにやってんだ?」

「えっ、アキラの知り合い?」

 なぜかあかりは目を輝かせて訊いてきた。いや待てどう考えてもそんなポイントなかっただろ。どう見ても不審者だあれは。お前あれだな、将来絶対監督に抱かれちゃうタイプだな。

「さっき深大寺の話したろ」

「うん、カメラ譲ったっていう」

「それがあいつだ」

 信号が青に変わるのを待って横断歩道を渡る。時間が気になるのか、やたら腕時計に目を遣る深大寺に、

「深大寺、お前何やってんの?」

 と背後から声をかけた。

 深大寺は悪戯を咎められた子どものようにびくっと肩を震わせてゆっくりと振り返った。そして俺の顔を確認するとなぜか目を逸らした。

「……人違いじゃないですか?」

「んなわけねーだろ。そんな頭してるやつ滅多にいねーしそのカメラ俺が昨日渡したやつじゃねーか」

「……………………」

「どうした? 昨日の電話と何か関係あるのか?」

 やがて深大寺は観念したように息を吐いた。

「この時間、塾に行くからここを通るんだよ」

「誰が」

「……………………」

「だから誰が」

「……………………委員長」

「委員長ォ!?」

「馬鹿っ! お前声がでけーよ!」

 慌てた深大寺に口を手でふさがれる。

「ちょっと、どういうこと?」

 声とともに俺たちのいる場所に影が差した。

 振り返ると、ひとり蚊帳の外に置かれたあかりがうずくまっている俺たちを見降ろしていた。

「……誰?」

 深大寺はあかりと俺を交互に見て訊く。

「えーっとだな……」

 俺が答えあぐねていると、わたしに任せなさい、という風ににあかりが自分の胸を軽く叩いた。俺はそれを見て小さく頷く。話がややこしくなるといけないからな。うまく頼むぞ。

「あたしは木下あかり。アキラの彼女でーっす」

 はい、こいつを信じた俺が馬鹿でした。

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